きっかけ
「アネモネ」
客間のドアを開けた私をマダムが呼ぶ。
「今度はプライベートでいらっしゃい。気軽に来れる場所ではないけど、また、お話ししましょう」
マダムは気丈に微笑む。
マーガレッタの書物を脇に挟み、私は敬礼を見せた。
次にお会いする時は、必ず、真実を明るみに。
そう決心しながらマダムを見つめ返した。
ドアの先にあった椅子に分隊長は座っていた。
私が出てきたのを確認すると組んでいた長い足を外し立ち上がる。
「終わったか」
「はい」
「…それは?」
分隊長は私が持っていた書物に目を向ける。
「マーガレッタのものです。マダムがお譲り下さいました」
立体起動装置の書物は自分が持っていても役には立たないから、とマダムは私に持たせてくれた。
私と目が合った分隊長は僅かに目を見開く。
「…何て顔をしている」
「どんな顔をしていますか…?」
「泣きそうだ、アネモネ」
分隊長の大きな手が私の頭を優しく撫でた。
分かっている、今は泣いている場合ではない。
でも、こんな悲しい事実があるのだろうか。
マダムの親心が、マーガレッタに死を迎えさせる結果になった。
マダムが発した声の怒りは己への怒り。
マーガレッタが地上に出ず、地下街で過ごしていれば、もう少し生きることが出来たのかもしれない。
調査兵団を目指さずにいれば、地上でまだ空を見上げていたのかもしれない。
かもしれない話が、心を強く締め付ける。
「…外に出よう」
「はい…」
鼻の奥がツンと痛む。
目の奥が熱い。
それを堪える為、キュッと唇を結んだ。
「お待ち下さい」
呼び止められ振り替えると先程の黒髪の少年が立っていた。
「どうしたの?」
訊ねると彼はチケットを2枚差し出した。
「マダムからの指示で憲兵団の方々にはお帰り頂きました。地上へはこれを見せれば出られます」
差し出されたチケットを受けとる。
「貴方は今、憲兵団と関わらない方が良いです」
そっと少年は囁いた。
私は頷いてありがとう。とお礼を伝えた。
※※
地上に上がると驚く程日差しを眩しく感じた。
思わず手で日除けを作る。
「アネモネ」
「はい」
分隊長が私を呼ぶ、けれど分隊長は私を見つめたまま何も言葉を発しようとはしない。
「分隊長…?」
「…少し休もう、疲れただろう」
「いえ…自分は大丈夫です」
「そんな顔はしていないが」
キッパリと言い切ると私の答えを待つ分隊長。
ここは従った方が良さそうだ。
「…分かりました」
「店を知っている。そこで良いか?」
「はい」
答えると分隊長は歩き始める。
私も後を追う。
分隊長が知っている場所は華やかなシーナの奥まった場所にひっそりある一軒家だった。
お店、だろうか?
迷い無くドアを開ける分隊長に続いて一軒家に入ると長い廊下があった。
そこを抜けると天窓から日差しが良く入る通路と、幾つものドアがあった。
「これは、スミス様」
その1つから男性が出てきた。
執事の様な出で立ちで私達を迎える。
「部屋は空いているか?」
「勿論でございます」
男性は手で先を指し歩き始める。
分隊長と私も続いて歩く。
1つのドアが開かれた。
中は個室になっており、テーブルと椅子が4つ、そしてここも大きな窓があって日差しが良く入った。
窓の先には手入れのされた小さな庭が見える。
木目の壁と床、そして上品なデザインの机と椅子。
壁には小さな絵画が飾られていた。
派手な内装ではなく、落ち着く空間に仕上げられている。
「何時ものを2つ」
「畏まりました。菓子等は如何なさいましょう?」
「少し用意してくれ」
「承りました」
男性は頭を垂れてドアを閉めた。
お菓子?ここは食べ物屋さん?
「分隊長、ここは…?」
「個室の茶屋だ」
「個室…?」
「シーナの住人は密談が多い。こうゆう場所も珍しくはない」
はぁ。と返事をして部屋を見渡す。
壁の造りがしっかりしているのか、隣の物音も廊下の音も聞こえない。
「アネモネ。座りなさい」
分隊長は雨具を外し窓側の椅子に腰を下ろしていた。
私も雨具を脱いで向かいに座る。
「…それで、マダムから情報は聞き出せたのか…?」
「はい。ロヴォフはラング商会という所と癒着をしている、と」
「ラング商会…?」
「憲兵団にも物資を卸しているそうです」
「憲兵…成程、ここでロヴォフと繋がるのか」
コンコン。と控えめはノックが聞こえドアが開く。
「わ…!」
木製のワゴンに載せられ紅茶とお菓子が運ばれてきた。
彩り綺麗なカップケーキに目が釘付けになった。
グゥ〜。
慌ててお腹を押さえる。
信じらんない、ちょっと、私の腹の虫。
チラリと分隊長を見るとクツクツと小さく笑っている。
配膳をしていた先程の男性にも聞こえたのだろう、私を微笑みながら見てきた。
穴があったら入りたい。
「スミマセン、お菓子が美味しそうで…!」
素直に謝ると男性は更ににっこり微笑んでくれる。
「光栄です。追加オーダーはお受けできますのでお気軽にご注文下さい」
※※
綺麗なカップケーキをパクリと頬張ると程よい甘さが口いっぱいに広がった。
分隊長が頼んだ紅茶との相性も良い。
ほぅ…。とお腹が満たされて身体の強張りが解ける。
「少しリラックス出来たか」
紅茶だけ飲んでいる分隊長が私に訊ねる。
「はい」
私が答えると分隊長は目を細める。
その表情は少しホッとしたような顔にも見える。
「昨日の昼食から何も食べて無かっただろう」
「知っていたんですか…?」
実はここに来ることに結構緊張していて、昨日の夕飯は喉を通らなかった。
それを見ていたのか、分隊長。
「話の続きをしよう。ロヴォフと憲兵団の繋がりは分かった。マーガレッタが殺害された原因は?」
「マーガレッタは訓練兵団最後の休暇に娼家に来ていたそうです。そこで、ロヴォフと商会の癒着の話を聞いてしまっていました」
「…それで」
「ここからは予測になりますが、癒着の話を聞いた後、マーガレッタは自身の遺品の送り先を変えたと思われます。その後調査兵団に入団。ここまでは何も無かった。しかし、私の立体起動装置にあのメモ紙を残した日、若しくはその前日辺りに、駐屯兵団に異動を申し出た憲兵が何をしようとする兆候を感じたのでしょう」
「それで君にあの紙を残した、という訳か…」
「兄上の情報、ロヴォフは娼家の馴染みだった。という部分を抜いたとしても、マーガレッタは私をここまで来させるのに十分な情報を残しています。遺品の送り先を変えたのは最初の予防策、もしも何かあったら調査兵団の誰かがマダムの元まで行き、上手くいけば情報を聞き出せる様に。そしてその予防策を活用して私にメッセージを残した」
「これで情報は揃った。後は証拠か…」
「証拠って、分隊長。ロヴォフの癒着を証拠を集めるおつもりですか…?」
「そのつもりだ」
私は少し引っかかっていた部分を聞くことにした。
「あの、分隊長…1つ聞いても?」
「何だ」
「今回の件、どうしてこんなにもお調べになろうと思ったのでしょうか?マーガレッタが殺されたから、だけでは少々説明がつかない気がします」
私がマーガレッタから受け取ったメモ紙を分隊長が預かった辺りから引っかかっていた。
分隊長の目的は別にあるんじゃないのか?
そうでなければ、キース団長に報告せず、それがロヴォフが貴族議員だから。という理由ではどうも納得がいかない。
「そうだな…アネモネ」
「はい」
「君はきっと怒るだろう」
「え?」
「私はロヴォフを貴族議員から引きずり落としたい」
「えっ…!?」
驚きで目を見開いたまま分隊長を見つめる。
議員を引きずり落とす…!?
何時もの冷静な状態のまま、分隊長は続ける。
「君の耳にも入っているだろう。ロヴォフは壁外調査を廃止したいと考えている」
「…はい、訓練兵団時代に」
「シーナに住む彼ら、特に貴族は壁外への価値を見出していない輩が多い。そんな所に金を使うなら自身の資金を潤沢にしたい。とな。ロヴォフも同様だ。既に壁外調査の延期を何度も権力で押し通している」
「だから…手を打ちたい、と…?」
「そうだ」
「分隊長にとって…この一件は好機だったんですね」
「そうだ」
カップを持つ手が震えそうでテーブルの下に隠した。
捉え方によっては、分隊長はマーガレッタの死を利用している様にも見える…。
分隊長は、やっぱり、悪魔なのか。
団員の命を何とも思っていない奴、なの。
訓練兵団で言われていたように。
「勘違いはするな、アネモネ」
目だけを分隊長に向ける。
「俺だってマーガレッタを殺されたことは酷く憤慨している」
「そうは…見えませんが」
「感情的になるのは余り好んでいない。それより冷静になり、反撃を仕掛ける方が良い。君が先日言った通りにな」
「その両方を意味合いを含んでの行動…と、捉えて宜しいんですか?」
「構わない」
これが、長年調査兵団に在籍して、生き残った団員の覚悟、なのか。
壁外調査の為なら仲間の命がきっかけでも、それを好機と捉え、行く手を阻む者を貶める。
壁の外に人類の未来があるから。
もしかしたら分隊長なりの、今まで亡くなった仲間達への償いの1つ、なのかもしれない。
私はまだ壁の外へ行ったことは無い。
どんな惨たらしい光景が待っているのか、どれだけ残酷な選択を幾つも選ばなければならないのか。
それを乗り越えてきた、エルヴィン・スミス分隊長。
「…分隊長」
「何だ」
「私は、調査兵団員に向いているのでしょうか…?」
「突然だな」
「何だか、突然思いました」
もし、同じような境遇に立って、私は適切な選択を選べるのだろうか。
「そもそも、君はどうして調査兵団を選んだ」
「お話してませんでしたっけ?」
「あぁ。聞いていない」
すっかり話していたものだと思ってた。
私は苦笑いを浮かべ、大きな窓から見えるシーナの空を見上げた。
「幼い頃に読んだ本の話です。生まれつき身体が不自由で、老死するまでベッドの上で過ごしたシーナに住む老人が主人公の小説。その老人は亡くなった後、背中に羽が生えて、飛び回るんです。今まで目にしたことの無いシーナ、マリア、ローゼ。人類が住む世界を飛び回って、沢山の人と交流して、美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、天国へ旅立つ、いうお話です。それを読んだ時に思いました。私は、貰いそびれたんだって」
「貰いそびれた…?」
「はい。私の命は生まれて直ぐ、失いかけた命です。本当は、そこで背中に羽が生えたんじゃないかって。でも、この世界に戻ってきたから、その羽を貰いそびれてしまったんじゃないかって。だから…」
目に映るものを窓の外から分隊長に移す。
「私はこの世界で自ら翼を付けて飛ぼう、自分の知らない世界を。…そう、思いました」
「翼…」
「この世界の翼は立体起動装置なんて不格好な名前ですけどね」
肩を上げて笑ってみる、けど、分隊長は真剣な顔のまま。
「アネモネ」
「はい」
「君のその考えに…俺は影響しているか?」
「え…?」
隠したつもりだったけど、何て鋭いんだろう。
「分かりましたか?」
「…君が物心ついた頃には調査兵団に入っていた。制服も着て何度もウィスティリアの家に行っている」
「はい」
調査兵団の象徴の1つ。
翼の紋章。
それを見て、幼い頃に読んだ小説を思い出した、のも影響している。
あそこに行けば、調査兵団に入れば、私が貰いそびれた翼が手に入るんじゃないか。
そう思ったのは事実。
「…アドニスに怒られるな」
「え?」
「あいつは前からアネモネが調査兵団を選んだ原因は俺にあると思っている」
「それは違います。選んだのは自分なんですから。分隊長はあくまでも私に選択肢を増やして下さったに過ぎません」
選択したのは自分。
だからこの生き方の責任を取るのも、自分。
「立体起動装置を付けて壁の外へ出る為なら、君は心臓を捧げる程の価値がある。と」
「はい」
「…そうか。ならば、君は調査兵団に向いている」
ティーカップを傾けながら分隊長は言う。
「兵団の道を選ぶ者の中には生産者になりたくなかった、家の事情等自身での選択ではない場合が間々ある。その者は大体最初の壁外調査で死ぬ」
「しぬ…」
「自身の選択に責任が取り切れず、判断が鈍るからだと俺は思っている。責める相手が居る程、人は自分の責任から逃れがちだ」
責任から逃げる、それは自分のせいではないと誰か、若しくは何かを責めるのだろう。
お前のせいで、これのせいで、自分は巨人に殺されるのだ、と。
「それは…何だか違う気がしますね」
「その通りだ、アネモネ」
カップをソーサーに置いて分隊長は続けた。
「きっかけは何であれ、自身が起こした行動は自身の責任になる。たとえ幼く、その全貌を知らずとも…」
「?…分隊長…?」
何かを指して話している様な口ぶり。
私が小首を傾げて見せると分隊長は首を小さく横に振り何でもない。と呟く。
「ロヴォフにも責任を取ってもらおう。私達調査兵団の壁外調査を妨害し、大事な新兵の命を奪った責任を」
「…はい」
笑うと花の様に可愛いマーガレッタ。
名前の通りの子。
優しく思いやりがあって、努力を怠らなかった。
私自身にも沢山の影響を与えてくれた、大切な友人、親友、仲間。
「分隊長」
「何だ」
「マダムは…マーガレッタの実の母親でした」
「…そうか」
「マーガレッタを地上に送ったのはマダムだそうです。マーガレッタなら地上の生活に適応が出来るだろうと…。でも、それがマーガレッタを死に追いやった、と…とてもご自身に怒りを感じていました。聞かれました。選択は合っていたのかしら、って」
「君ははどう答えた」
「…答えられませんでした。今は何を言っても気休めにしか聞こえないだろうと思って…」
「そうか…だから、さっき泣きそうだったんだな」
「気弱な所を見せてしまいました」
「人間には心がある。誰でも弱る時はあるさ」
「…分隊長もあるんですか?」
「俺だって人間だ」
以外、想像出来ない、分隊長が弱っている姿なんて。
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