不眠夜

一面、血の海。
どこを見ても血、そして人だった物体。
石ころのように転がっている。
腕だったもの、足だったもの、胴体だったもの。
私は何を…?
ズン。と特有の足音が響く。
見上げると巨人が私を見下ろしていた。
身体が動かない。
イヤ、私はまだ物体になりたくない。
死にたくない、やらなければならないことがあるの。


イヤ、嫌だ。



「はっ…」

反射的に起き上がる。
頭に渦巻いていた感情が徐々に落ち着いて、自分がどこに居るのか考えられるようになった。
ここは宿舎だ、壁の中だ。
そう理解出来て、緊張していた身体から少し力を抜いた。
自分の顔が汗ばんているのに気が付いて、手で拭えば寝間着の袖が濡れた。


夢、か。
夢、なのか。
私が見た光景なの、か。


夢から抜けきれない頭で必死に考える。
宿舎の窓から満月が部屋を照らす。


壁外調査に参加するようになって数か月が経つ。
それまでに何度か壁外にも行っているが、未だにこの感覚に慣れない。

初めての壁外調査で私は1人取り残された。
その時は皆と合流することで頭が一杯で、感情なんて感じる暇なんて無かった。
壁の中に戻ってきた途端、巨人の恐怖から解放された途端、だ。
あらゆる恐怖が蘇るように私を襲った。
未だに乗り越えられず、私の中で渦巻いている。


ベットの上で膝を抱え、窓から見える満月をぼんやり見つめた。
今日はもう寝られそうにないかな。
汗をかいたせいか喉が渇いた。
同室の先輩達を起こさないようそっと部屋を抜け出した。



※※


ランタンを手に古城の廊下を歩く。
当然皆寝入っているので静かだ。
巡回の団員にも会わない。


食堂が並んでいる廊下へ曲がると向かい側から足音が聞こえた。
ランタンをかざすと、その人は私と同じようにランタンをかざしていた。

「分…隊長…」
「…アネモネ、どうした」
「喉が渇いてしまって…食堂へ…」
「…眠れないのか」
「え?」
「顔色が良くない」

片手にランタン、片手に書類を持った分隊長は表情を変えず私に問う。

「そう…ですか?」
「あぁ。蒼白いな」

どう答えれば良いのか分からず、返事に詰まった。
そんな私を見つめていた分隊長は今来た道を引き返した。

「分隊長?」
「食堂だろう。俺も行く」
「でも、分隊長。まだ職務中じゃあ…」

手に持った書類を見つめる。

「これは食堂でも出来る。来なさい、アネモネ」

そう言うと分隊長は先に食堂へ向かった。


あぁ、この背中を見るのは随分久しぶりな気がする。
憲兵団へ一緒に行って以来、分隊長と行動する機会が殆ど無かったから。
大きな背中。
色んなものを背負っても尚しゃんと背筋を伸ばし、先を見つめ歩いている。
そんな背中を追った。



※※


「座ってなさい」

食堂に着くなり分隊長は持っていた書類を机の上に置き私にそう言った。
分隊長は調理場に足を向ける。

「あの、分隊長」
「何だ」
「飲み物なら自分で用意しますので、その、職務を続けて下さい」
「俺も喉が渇いたんだ。ついでに用意しよう」

なんて強引に私に座っているよう促す。
それでも、と思ったけど、何時ぞやみたいに「命令しないと駄目か?」なんて言われてしまいそうだったので、大人しく従った。
暫くするとカップを1つ、グラスを1つ持った分隊長が戻ってくる。
カップを私の前に置いた。

「ありがとうございます」

カップの中を覗くと無色透明の液体が湯気を立てていた。

「分隊長、これは…?」
「白湯だ」
「お湯…ですか?」
「そうだ。茶葉は眠気覚ましの効果があると聞いた。ミルクがあれば良いんだが」
「配給が少ない調査兵団でそれは難しいですね」
「君は温めたミルクが好きだったな」
「…昔の話ですよ、分隊長」

湯気を立てるカップを両手で包むとそこから温もりが身体に伝わってきた。
口を付けて2口飲むと身体の中からぽかり、と温もる。

「…何だか美味しく感じます」
「喉が渇いているからだろう」

私が白湯を飲むのを見て、分隊長もグラスの液体を飲んだ。
微かにアルコールの香りを感じる。

「お酒ですか?」
「あぁ。寝る前に良く飲む」
「寝酒、というやつですね」
「そんなところだ」

分隊長はグラスを置くと書類を広げ、目を通し始めた。

「…執務室に戻られないんですか?」
「あぁ」

書類に目を向けたまま、分隊長は返事をした。
私は伏し目の分隊長をぼんやり見る。
髪色と同じ金色の睫毛がランタンに照らされ、分隊長が瞬くと輝いた。
綺麗だなぁ。私の睫毛は黒色だからなぁ。

「…どんな夢を見た?」
「え?」

分隊長の睫毛に見入ってたお陰で聞き逃してしまった。

「こんな時間に起きているということは、嫌な夢を見たんだろう」
「…お見通しですね」
「新兵は誰でも通る道だ」
「…はい」

さっきの夢を思い出し、私は思わず顔を顰めた。

「夢、なのか、自分の記憶、なのか…ちょっと分からなくなりました」
「何故?」
「壁外では緊張していて、正直全て覚えてる自信が無くて…。もしかしたら、私はその光景を見ていて、でも、余りにショックで忘れていただけだったんじゃないかって。それが、思い出せ、って夢に出てきたのかなぁ…って…」

夢に出ていた物体は、ほんの少し前までは人の形の一部であって、多分私や分隊長と話したり、この食堂でご飯を食べいたり、何かしらの接点があった。
それが忘れるな、思い出せ。そう言われている様な気にもなってきた。
一種の念、の様なものだろうか。
私は目を伏せカップを見つめた。

「驚く程…人が減るんですね、壁外調査」
「あぁ」
「この数回で、同期が半分以上犠牲になりました…」

訓練兵団で3年間、共に苦楽を乗り越えてきた同期は、壁外に行く度巨人の餌食になった。
目の前でなった同期も居れば、帰り道で見つける時も。
次は自分が、あの姿になるかもしれない、そう頭を過ぎる瞬間。

「アネモネ」

呼ばれ顔を上げると分隊長も私を見ていた。
ランタンに照らされた青色の瞳は、何故か不安げに見えた。

「分隊長…?」
「続けるのか?」
「え?」
「調査兵団を、続けるのか?」
「えっと、はい」

何故そんな質問を?
不思議に思いながら頷くと、分隊長の瞳に見えた不安げが無くなった。
ほっとしている、ようにも見えた。

「そうか…。君が、ここを退団したいと言い出したらどうしようかと思っていた」
「えっ?」

そんな考えなんて全く無かったので驚いた。

「私が、調査兵団を嫌になったと思っていらしたのですか?」
「悪夢に魘されれば大体の奴は逃げ出したくなる」
「確かに…逃げ出したくなる気持ちも分かります」
「…そうか。そうなった場合、俺は君を引き留める術を持っていない」
「引き留めずとも、私は心臓を捧げた調査兵団員です。失った兵団員の命を背負って未踏の地へ向かう責任があります。人類の未来の為、この命、好きに使って下さい。分隊長」

そう伝えて微笑めば、分隊長は僅かに目を見開く。
そして目を伏せ微笑んだ。

「…君には敵わないな」
「そんなこと…」
「それを聞いて安心した」


まだ、新兵と呼ばれる私には足りないものが沢山ある。
立体起動の操作能力、討伐能力、判断力、他にも沢山。
それをどんどんと付けていって、もっと壁外調査の役に立ちたい。
この恐怖に打ち勝つ為には、それが必要だ。
打ち勝つ力、乗り越える力、先に進む力。
まだまだ足りないものだらけ、だから。

強く、ならなきゃ。


ふと、こみ上げてくるものを感じたが、我慢が出来なかった。

「…ふぁ…あ、」

かみしめてやり過ごせなかった欠伸が出てしまった、そしてそのまま分隊長と目が合った。
気まずい。

「…スミマセン…」
「眠気がきたか?」
「はい…」
「では休みなさい。休むのも職務の1つだ」
「分隊長は…?」
「これを片付けたら休もう」

やっぱり、その書類は今日中、というか今晩中に処理しないといけないものだったか。

「すみません、お付き合い頂いちゃって…」
「構わない。俺も良い気分転換になった」
「分隊長のお役に立てたなら良かったです」
「君はいつも役に立っている」

グラスと書類を手に分隊長は立ち上がった。
私もカップを持って席を立つ。

「それは明日返せば良い」
「承知しました」

カップはそのまま寝室まで持って行こう。
食堂を出て分隊長室と兵団員の寝室への分かれ道まで歩いた。

「お休み、アネモネ」
「おやすみなさい、分隊長」

分隊長は私の頭をそっと撫でて分隊長室への廊下をランタンの灯りの中歩いていった。
その背中を見送って、私も寝室の部屋へ向かった。





その日は、不思議な夢を見た。
辺り一面水、川より広く、湖より大きな水の前に立っていた。
その水際は寄せては返していて、私は不思議な動きの水を見つめた。
ふと、隣に人の気配を感じたので見ると、分隊長が立っていた。
胸元に緑色の石がはめ込まれたループタイをしていた。
分隊長は水の先を青色の瞳で見つめていた。
私も倣って見つめる。
水の先は見えない。
ずっと、ずっと、水面。

「…綺麗だな」

分隊長が言う。

「そうですね」

私が返すと分隊長は微笑んで私を見た。


そんな、何だか心が温まる、夢だった。





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