委細
「失礼します」
分隊長室のドアをノックし、返事が返って来たので開ける。
この部屋の主、エルヴィン分隊長が執務室に就いて迎えてくれた。
「分隊長、今よろしいでしょうか?」
「構わない。どうした、アネモネ」
「フラゴン分隊長が長距離索敵陣形について質疑の書類を作成されました。…出来れば早めに、とのことです…」
本当は『エルヴィンの他の職務を引っ手繰って書類の返事を直ぐ書かせろ』と言われた。
ハードワークの分隊長にそれは無理でしょ…。
苦笑いを浮かべて書類を渡すと、分隊長は頁を捲り確認をする。
「アネモネ」
「はい」
「フラゴンがそんなにしおらしい事を言うとは思えない。本当はどう指示を受けたんだ」
「え〜と…」
「怒りはしない」
書類から目を上げた分隊長は私を見つめ、そっと続きを促した。
「他の仕事を取り上げて直ぐ書かせろ。…と、」
「フラゴンらしいな」
返事を聞いた分隊長はフッと笑う。
そして私が入室した際取り掛かっていた書類を隅に置き、フラゴン分隊長の書類を広げた。
「アネモネ」
「はい」
「この書類を終わらせる。その間待っていて貰えるか」
「はいっ、自分は特に予定が無いので」
「じゃあ、悪いが茶の用意を頼めるか」
「畏まりました」
分隊長に向かって敬礼を見せて分隊長室を後にした。
良かった、フラゴン分隊長に小言、言われずに済みそうだ。
「あれ、」
茶葉が1番揃っている食堂に向かっていると、後ろ姿を見つける。
「リヴァイ」
呼ぶとリヴァイは振り返った。
その手には本が2冊持たれている。
「資料室行っていたの?」
「あぁ。クソメガネに薦められた本が思っていたより参考になった」
「クソメ…?」
え、誰?
「そんな名前の団員、居たっけ?」
「背の高い、眼鏡をかけたクソ女だ」
「背が高くて眼鏡をかけて…」
え、もしかして。
「…ハンジさん?」
「そんな名前なのか」
「知らなかったの!?」
信じられない!
「先輩に対してそんな言い方しちゃ駄目だよ!」
「知らねぇな」
「知らないって…ちょっとリヴァイ、本当に君は…」
口の悪いさに呆れて言葉が出ない。
いや、この話は後でも良いや、今は分隊長にお茶用意しないと。
「リヴァイ、後で改めてこの話しよう」
「何か用か」
「エルヴィン分隊長に、お茶を淹れに食堂行くの」
食堂に向かって歩き始めた私にリヴァイが訊ねてきたので答えると、幾分表情が曇った。
「…どうしたの?」
「何故お前があいつに茶を淹れる」
「フラゴン分隊長の書類に返答を記して貰ってるの。それを待っている間に」
「お前はあいつの隊じゃねぇだろ」
「そうだけど…どうしてそんなに食ってかかるの?」
たかがお茶淹れるだけなのに。
「それより俺に立体起動装置について教えろ」
「良いけど、出来た書類をフラゴン分隊長に渡した後になるよ」
「…それもてめぇの仕事なのか」
「調査兵団は人手不足だからね」
リヴァイはチッと舌打ちをする、お行儀が悪いな。
「…先約は仕方ねぇ。今度俺に優先的に時間を作れ、良いな」
「…リヴァイ。人に頼む時の言い方って知ってる?」
※※
「分隊長、お待たせ致しました」
無事紅茶を淹れて分隊長室に戻り、熱心に応答を記しているエルヴィン分隊長のテーブルにカップを置いた。
「あぁ。もう少しかかる。そこで休んでいなさい」
書く手を止めずそこ。と分隊長は出されている来客用のソファーを指した。
「あの、分隊長」
「何だ」
「兄上から聞きました」
座らずに私は言う。
分隊長の書く手が止まった。
「分隊長?」
返事が返ってこないことを不思議に思い、ほんの少し屈んで分隊長の顔色を窺った。
表情無く私を見上げてくる。
「…アドニスに口止めを忘れたな」
「口止め…ですか?」
あれ、言っちゃ駄目な話だったのかな。
「口外するつもりが無かった話だ」
「そうですか…何故です」
「特に話す内容ではないだろう」
「そうでしょうか」
「あぁ。…リヴァイには言ったのか」
「それが…生憎伝えてしまってまして…」
話の流れとして非常に気まずい。
窺うように分隊長の顔を見ると、ほんの少し困った表情をしていた。
「申し訳ありません、確認を取ってから伝えるべきでした」
「いや。事前に言わなかった俺が悪い」
分隊長は手元の羽ペンを指先で遊びながら、それを見つめる。
「リヴァイは何と言っていた」
「特には…会いに行くか聞きましたが、今は良い。と」
「…そうか」
「あの、分隊長」
「あぁ」
「ヤンという人は…ロヴォフの一件に関わっていると解釈しているのですが、間違いは無いでしょうか?」
「あぁ。そうだ」
「詳しくはリヴァイからも聞いていませんが、分隊長はご存じで?」
「ヤンは人質のような状態だった」
「人質…!?」
うわ、何て卑劣な。
「つまり、リヴァイは仲間を人質にとられ、ここに来た…と」
「それだけでは無い。成功した暁には地上での永住権を貰えると言われていたらしい。…ロヴォフが本当に用意するかどうかは別として、な」
「成功しても用意される可能性は無かったかもしれない、と」
「良く考えてみなさい、アネモネ。癒着を知ったマーガレッタを殺めた相手だ。事情を知っている奴を生かしておくと思うか」
「…そう、ですね…」
分隊長が渡り終えた橋を改めて考えると、1つ間違えば調査兵団自体が危うくなるような内容だ。
いつロヴォフに圧力をかけられてもおかしくはない、そんな状態を1年も。
私や他の団員が見えない所で、色々と画策をして、上手くロヴォフの手から調査兵団を守ってきたのだろう。
長距離索敵陣形の運用の準備を進めながら。
とてもじゃないが真似は出来ない。
「ロヴォフの計画は失敗。失脚した為、調査兵団に否定的な貴族議員が1人議席から外れた。俺も命も無事だ。スカウトした団員を失ったことは痛いが…」
「待って下さい」
「どうした」
「い、今…命が無事って仰いました?」
「そうだが」
「まさか…分隊長…。リヴァイが狙っていたのは…癒着の証拠だけじゃなく…分隊長の命も…?」
「話していなかったか」
「初耳です!証拠を狙っているというのは聞きました、けど!」
「言っただろう。事情を知っている奴を生かしておくと思うか、と」
身体から、サッと血の気が引いた。
「そんなに冷静に…」
「結果的には無事だ。問題無いだろう」
「大ありです!」
あれ、こんな会話、少し前にも…。
まさか、まさかまさか。
「分隊長、この部屋に来ていた”ネズミ”って…」
「あぁ、あれか。ファーランかイザベルがこの部屋に証拠を探しに来ていたのだろう」
やっぱり物盗りだった!!
「元々、部屋には置いていなかった。探しても何も出ない」
「はぁ…」
私の知らなかった事実が衝撃的過ぎて言葉が出なくなってしまった。
ヨロリと来客用のソファーに腰を下ろし、目を閉じた。
「アネモネ。どうした、具合でも悪いのか」
「ショッキングな内容に頭がついていけないだけです…」
後から知ると怖さが倍増するな、この手の話は。
「分隊長」
「今度は何だ」
「お願いですから、ご自分を大切にされて下さい。これじゃあ私達の肝が冷えて寿命が縮まります」
ロヴォフを失脚させる為ならどんな危険な行為も厭わない。
そんな姿勢を分隊長から感じられる。
私はエルヴィン分隊長の下で壁の外に行ったことは無いけれど。
これを壁外でも行っているのかもと思うと…。
「ミケさんも苦労してますね…」
「何の話だ」
「いえ、こちらの話です」
「自分を大切に…か。アネモネ、悪いがそれは難しい話だな」
「え?」
目を開けて分隊長を見る。
分隊長は羽ペンを机に置き、指を組んで私を見ていた。
「俺はこれから、長距離索敵陣形の先頭に立つ。調査兵団の紋章を背負い、皆に背中で道を示さなくてはならない。そんなことは言ってられん」
「分隊長…!」
「ならばアネモネ。側で俺を守ってくれるか」
「側で…?」
「俺の隊に来い」
驚きで私は目を見開いた。
「ずっと俺の下に置きたかった。が、ロヴォフの目がある以上それが難しかった。一件が終わった今、それが可能になった」
「私を…ですか」
「直ぐには無理だろうが、リヴァイが一人前の団員だと団長が判断すれば話が通るだろう。アネモネ、覚えておきなさい」
分隊長の隊に、私が。
長距離索敵陣形の最前線で。
立体起動装置で空を飛び、壁の外の未踏の地へ行ける。
こんな嬉しい話が来るなんて。
「はい」
私は立ち上がって、分隊長に敬礼を見せた。
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