花の香
「モブリット」
木に登り、水筒を差し出すと、熱心に模写を行っていたモブリットは顔を上げて受け取った。
「ありがとう、アネモネ」
「進んだ?地形模写」
「うん、大分」
「大役だね」
「調査兵団内で1番絵が上手いのが俺だって団長から指名されたけど、正直プレッシャーだよ」
模写していた紙を膝に置いて、モブリットは喉を潤す。
「しかし広いね。壁外は」
「そうだね」
「調査の道のりは長いな〜」
「俺達の居る内に終わらせたいよ」
「え?」
「そうすれば、これから入団してくる新兵達の負担は減る」
「…ほ〜、へ〜〜」
「…何だよ、その顔」
「モブリット君、先輩らしくなってきたんじゃないの〜」
これは茶化してやろう。
私はニヤニヤとモブリットの脇を突いた。
「何だよ、その顔」
「あれだけ可愛い後輩が出来ればヤル気も違うんだねぇ、モブリット君〜」
「な、何言ってるんだよ、急に」
「動揺してる〜」
これは楽しいぞ。
「モブリット先輩っ!」
モブリットを挟んだ反対側から新兵が顔を覗かせた。
「お水を持ってきました!…あれ、」
「ゴメン、シキミ。私が先に持ってきちゃった」
黒髪の、小柄な新兵はその大きな目をぱちくりとさせ、そしてニッコリと笑った。
「そうだったんですね!じゃあ、私、別の先輩に配ってきます!」
失礼しますっ。と、はきはきと、聞いていて気持ちいい声色でそう言って、彼女は木から降りていった。
「ん〜!可愛いね、シキミ」
「気に入っているね、アネモネ」
「あんなにしっかりとした新兵久しぶりじゃない。初めての壁外調査でも怖気づかなかったって聞いたし」
「肝が座っているんだよね」
「しっかり育ててよ、先輩」
今モブリットに水を届けに来てくれた新兵は、シキミ・イリシウム。
モブリットが指導に当たっている。
気が利いて、頭の回転も速くて、勇敢で、そして可愛い。
「私も新兵の教育係当たりたかったな」
「そういえば、アネモネは新兵の指導当たってないんだね」
「そ、去年から既に指導みたいなことしてるから今年は良いって、団長が仰って下さったの」
「…あ〜…」
「私もシキミみたいな可愛い子後輩に持ちたい〜!先輩っ。とか言って懐かれたい〜」
「おい、アネモネ」
後ろから声が聞こえた。
やっぱり来たか。
「…何」
「俺の目の届かない場所に行くなと、何度言えば分かる」
「モブリットの所に行くって言ったじゃん」
振り返れば、可愛い新兵な訳でも無く、すっかり日常の光景となってしまった、私を探して木に登ってきたリヴァイの姿。
「水を届けるとは言っていなかった」
「それも言わないと駄目なの!?」
「当たり前だ」
「ん〜…」
「何だ」
「リヴァイってさ、もっと柔和な口調とか出来ないの?」
私の質問を聞いて、隣のモブリットが吹き出した。
「…おい、」
「ゴメン…想像しちゃったよ…!」
笑いを堪えてるけど、モブリット、肩が凄い震えてる。
私も想像してみる。
柔和…穏やかな時のハンジさんみたいな口調のことよね。
やぁ、アネモネ!どこに行くんだい?とか聞いてくるの?
リヴァイが?
「…ゴメン、リヴァイ、私が悪かったよ。君はそのままで良い」
「勝手に想像して勝手に謝るんじゃねぇ」
「賑やかだな」
ガサリと誰かが立体起動装置で私達の居る木の上に着地した。
「ミケさん」
立ち上がって敬礼を見せようとすると、ミケさんは手で制止した。
「こんな不安定な場所では良い」
「畏まりました」
ミケさんに返事を返すと、鼻を上げた。
「…巨人ですか」
「いや、近くには居ない。さっきお前達が随分倒したからな」
お前達、ミケさんは私とリヴァイを見た。
「コンビネーションが日ごとに良くなっている」
「ありがとうございます」
「当たり前だろう」
「リヴァイ、言い方気を付けて」
「毎朝の訓練の賜物か」
「あぁ、そうだ」
第27回壁外調査を機に、団長からリヴァイと組む様に、と改めて命が出た。
それ以降、リヴァイが私の日課になっていた朝の訓練に付き合うようになった。
時間を共有すれば、連携が生まれる。
連携が生まれれば、多くの討伐が可能となる。
今や私とリヴァイは、調査兵団きっての討伐団員コンビになったのだ。
「別の方向も見てくる。気は抜くな」
「分かっている」
リヴァイとそんなやり取りを行ったミケさんはワイヤーを伸ばし他の木へ移動した。
「…何だ」
私がジッと見ていたから、当然リヴァイが聞いてくる。
「リヴァイ、皆と話すようになったね」
「…あぁ、そうだな」
「口数も増えた」
「俺は元々結構喋る」
「それは側に居て思ってた」
リヴァイなりのジョークだろう、こんな感じの言い回しも増えた。
小さく笑うと、リヴァイは私に横顔を見せた。
「…慣れたんだろうな」
「慣れた…この環境に?」
「あぁ。お前が前に言っていただろう」
「うん、言った」
「少しづつだが、慣れて、俺の中でこの日常が、当たり前になっているんだろう」
「…そっか」
それは、本当に良かった。
「うわぁ〜!!!」
少し離れた木の下から、つんざくような悲鳴が聞こえた。
「何…?」
「ゲルガーさんの声だね」
「うん、ゲルガーさんの声だ。…地上で何かあったのかしら」
「ミケさんが煙弾を打っていない辺り、巨人では無さそうだけど…」
「ここで予測していても仕方ない、降りるぞ」
「分かった。モブリットは模写道具仕舞ってから降りてきて」
「うん」
リヴァイの提案に頷いて、揃って声の聞こえた辺りまで移動して、木から立体起動で降りた。
丁度、降りた木の近くに、地上で待機していた団員が集まっていた。
金色の髪の長身の姿が見えた。
「エルヴィン分隊長!何かあった…の…」
ワイヤーをゆっくり伸ばしながら木から降りていると、花の香りがした。
この辺りには、こんな香りの強い花は咲いていないのに。
続いて、鉄のような匂い。
…違う、鉄の匂いじゃない。
「…アネモネ、止まれ」
同じスピードで降りていたリヴァイが私を制止する。
言われた通りに止まり、匂いの元を目で辿る。
木の根元に人が足を伸ばして座っていた。
真っ赤に染まった、調査兵団の団員服を着ている。
その周りに花が散っていた。
座っていた団員の上半身がぐらりと動き、俯いていた顔がこっちを向いた。
「…ひ、」
団員の口から、散っているものと同じ花が咲いていた。
生気の無い瞳がカッと見開いてこちらを見ている。
「なに…?」
「見れば分かるだろう。遺体だ」
「そんな、壁外で、こんな…」
「話は後だ。少し離れた場所から降り直すぞ」
「え?」
「死んだ野郎の真上に降りるのか」
「そっか…うん、そうだね…」
気が動転しているのか、リヴァイの言葉の意味が何時もの様に理解できない。
ワイヤーを巻いて先程まで居た場所に戻る。
「アネモネ…!?どうしたの、戻ってきて。下で何があったの?」
枝の上には丁度、降りようとしていたモブリットがトリガーを手にしていた。
「…モブリット、ここからは降りられない」
「…どういうこと?」
「だ、団員が…死んでいたの」
「えっ!?」
「…巨人に殺されたんじゃない」
「え、待ってよアネモネ、だって、この壁外に居るのは…」
「あぁ。そうだな」
私とモブリットの会話を聞いていたリヴァイが核心に触れた。
「ここにはクソ巨人と僅かな生き物、俺達人間しか居ない。あんな芸当人間以外に出来るか」