最後の予約者に電話を終えて、スケジュール表の修正を行う。
皆昨日のトラック暴走の件を知っていて、物騒だからと予約変更を快く承諾してくれた。
私が横浜流氓の総帥にそう言われて。なんてのは言えないけど。
「お、」
スマホに弟から返事が来ていた。
「『こっちは大丈夫だから、ソンヒさんに宜しく』…良く出来た弟だ」
今日の午後、薬局の予約を診た後に弟の病院に向かう予定だった。
けど、昨日の趙からの提案で、予定を変更することをメッセージで送ったのだ。
弟は偽札製造のことを知らないし、関わってもいないので、コミジュルで急遽往診が入った。とだけ伝えた。
「しっかりしないとなぁ…」
昨日の趙を思い出した。
『君は自分がこの抗争の
どこかで、闘争なんて起こらないんじゃないか。って思ってたのかもしれない。
自分の置かれている立場も、異人三の関係も、荻久保 豊との関わりも。
緊張感の無いと思っていた趙の方が、もしかしたら誰よりも、しっかり理解して、色々考えていたのかもしれない。
「…よし」
しっかりしてよ、私。
今はこの漢方薬局の店主なんだから。
スケジュール表を閉じたタブレットを医療バッグに詰める。
今日はこのバックが相棒だ。
「そろそろコミジュルに向かうかな」
ガラス扉にしっかり鍵をかけ、最後に『
※※
電線が蜘蛛の巣の様に貼られているコミジュルのビルを見上げた。
「…盗電減ってる…の?」
むしろ前より電線増えてない?
ま、その辺りはソンヒさんが何とかしているだろう。
少し引き返し、角にある馴染みの焼肉店の扉を引いた。
「あら、樱花ちゃん」
「オンマ、おはようございます」
出迎えてくれた女将のオモニに挨拶すると、その後ろに人が座っている。
「ソンヒさん?」
長くて綺麗な足を華麗に組み直して、ソンヒさんが私を見た。
「樱花か」
「はい。おはようございます」
「あぁ」
「あ、何か美味しそうな物、食べてますね」
「ホットサンドだ。お前も食うか?」
「是非、朝ごはん、食べそびれちゃって」
そう言うとソンヒさんの綺麗な眉間に皺が寄った。
「メシはしっかり食えといつも言っているだろう」
「今日はバタついちゃってて…」
「オモニ、樱花にも用意してやってくれ」
「はいよ。飲み物は何にするかい?」
「カフェオレでお願いします」
「直ぐ作るね」
そう言うとオモニは調理場に入っていった。
私は医療バッグを置いて、ソンヒさんの向かいに座った。
「趙から話は聞いている」
「はい。今日はお世話になります」
「私はいつでも、お前がコミジュルに越して来ても構わないぞ、樱花」
「…またその話ですか。ジュンギさんにはお断りの返事をしましたよ」
「あぁ。聞いている」
まだ諦めてくれていないんだ…。
そんな会話をしているうちに、カフェオレとホットサンドが運ばれてきた。
「ありがとうございます、オンマ」
「ゆっくりしていきな」
「はい、いただきます」
早速ホットサンドを1口頬張った。
「ん〜!」
チーズはトロトロ、ハムは厚切り、パンはさっくり。
美味しい、最高の朝ごはんだ。
「ほら、付いてるぞ」
ソンヒさんの指が私の口の横を拭う。
「す、すみません…」
「落ち着いて食え。飯は逃げない」
「お腹空いてたもので、つい」
大口で頬張ったのであっという間に食べてしまった。
今度はカフェオレに口をつける。
程よい甘さと、ミルクのコクがこれまた良い。
「昨日は大変だったな、樱花」
「それは…そちらもでは?」
「あぁ…確かにそうだな」
昨日の出来事を思い出したのか、ソンヒさんはフッと静かに笑った。
様になるなぁ…。
「ナンバの話はお前も聞いているな」
「はい。趙からあらましは」
「今朝の時点ではまだ見つかっていない」
「そうですか…コミジュル目を掻い潜るなんて凄いですね」
「協力者が居るのだろう」
「…協力者?」
「今”肉の壁”は崩壊寸前だからな」
「…え?」
崩壊寸前?
「コミジュルから逃げ出したナンバが逃走、星龍会と横浜流氓の睨みあい、馬渕もまだ見つかっていない。問題は山積だ」
「馬渕さん…?馬渕さん、何かしたんですか?」
「…趙から聞いていないのか」
「その話は出てこなかったですね」
私の答えを聞いたソンヒさんがチッと小さく舌打ちをした。
「だから私が説明しに行くと言ったんだ」
「昨晩の話ですか?」
「あぁ。異人三が集まった後、樱花の所に行くと言ったが、趙は自分が行くときかなかったんだ」
「その辺りは聞いたんですけど…あ、」
「何だ」
「そういえば、決めかねてるとかで、濁してた部分がありました…星龍会がどうして慶錦飯店にカチコミに行ったのか、聞いた時です」
「あぁ。それだ」
「馬渕さん…何したんですか?」
「星龍会の若い奴を2人、チャカで弾いた。星龍会のシマの中でな」
「……え」
「助からなかった…だから高部がカチコミに行ったんだ」
「そんな…馬渕さん…」
サッと、自分の血の気がひいていくのが分かる。
そんなこと、星龍会に戦争を仕掛けている様なものじゃないか。
しかも…人の命を奪った…?
「どうしてそんなことを…」
「…分からない。悔しいが、私達は馬渕の後手に回ってしまっている」
「やっぱり…抗争が、始まるんですか」
「星龍会はメンツを潰された。その可能性はあるな」
「星野会長は…?」
「恐らく、組の奴らを抑え込んでいるだろう。それもいつまで持つか…」
馬渕さんはとても頭が良い。
何も考えずに行動を起こすような人じゃない。
じゃあ、星龍会の組員を弾いたのにも、何かがある…。
馬渕さんは…抗争を始めたいの…?
「樱花」
「は、はい」
「これを考えるのはお前の仕事ではない、私達の仕事だ。お前は客人だからな」
そう言われて、今日自分が持ってきた目的を思い出した。
「あ〜…それなんですけど、」
「何だ」
「今日、急遽ですがコミジュルに往診スペースをお借りしたいんです」
「往診?」
「コミジュルで通院お願いしたのに来てない人、結構いるんですよ」
「そうなのか」
「はい。大体の方はお酒の飲み過ぎで体調崩して、薬局来た人達なんですけど。私の考えではお酒、止められてないんじゃないかなぁって」
「成程な。コミジュルだと逃げることも出来ない、と」
「はい。しっかりと診させて頂きます」
私は足元にあった医療バッグ持ち上げてソンヒさんに見せた。
趙からのアドバイスを受け止め、私は自分が出来ることをしよう。
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