「…ん?」
皆で出掛けた帰り道、Survive Barから赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
「何だ、赤子が来てんのか」
「この声、お店からですよね」
隣に居た足立さんも私と同じように聞こえたみたいだ。
先頭に居た一番君がドアを開く。
そこには、泣いている赤ちゃんを不慣れに抱っこしているマスターの姿。
「おい、お前ら。ちょっと助けろ」
「どうしたんだよ、マスター。その赤ちゃん」
「まさか…隠し子?!」
困惑する一番君に、驚く紗栄子さん。
「違ぇよ。さっき、店の前に置き去りにされてたんだ」
「置き去り…?」
そんなやり取りの間にも、赤ちゃんは大声で泣いている。
「マスター、その抱っこの仕方じゃダメですよ」
私はマスターの隣に並んで、赤ちゃんを受け取る。
「脇の下に手を入れるんじゃなくて…こうやって、お尻を手で包んで横抱きにするんです」
説明しながら抱き直すと、首とお尻が安定したせいか赤ちゃんが泣き止んだ。
「おぉ。樱花、助かった」
「馴れてるわね。樱花ちゃん」
「樱花ちゃんの薬局ってぇ、結構赤ちゃんの患者多いからねぇ」
私の隣に来た趙が赤ちゃんの顔を覗き込んだ。
「可愛いねぇ〜」
「何呑気なこと言ってるの?マスター、置き去りって…」
「あぁ。少し前にずっとガキの泣いてる声が聞こえてくるから店の外見てみたら、籠に入って居たんだ」
「本当に置き去りですね…」
「…もしかしたら、コミジュルの復旧したカメラに映っているかもしれません。私は1度、コミジュルに戻ります」
「そうですね。お願いします、ジュンギさん」
「お任せ下さい、樱花さん」
皆に一礼して、ジュンギさんがコミジュルに向かった。
抱っこしていた赤ちゃんがモゾモゾと動き出し、またグズり始める。
「ありゃ、ご機嫌ナナメだねぇ」
「おむつが濡れてる…。替えてあげないと。マスター、赤ちゃんの荷物は無かったですか?」
「そいや、一緒に置いてあった鞄があったな」
「きっと赤ちゃんの荷物です」
「俺が取るよ」
趙がマスターから鞄を受け取って開く。
「あ、あるねぇ、おむつにミルク…。こんなのまであるよ〜」
鞄の中から赤ちゃんをあやす道具を手に取って見せてきた。
「良いから、鞄を頂戴」
窓際のテーブルに手早く赤ちゃんを寝かせ、趙から鞄を受け取った。
中からおむつと、ご丁寧にウェットシートまで入ってる。
1枚取り出して赤ちゃんのおむつを開いた。
その間も赤ちゃんはグズグズと泣いている。
「はいはい〜。ささっと終わらせますよ」
笑顔で赤ちゃんで言いながら気を逸らせつつ、手早く拭いて新しいおむつを付けた。
「お前さん、手慣れてんな」
「薬局に来たついで…と言っては何ですが、一通りお世話してお母さんやお父さんにお返ししてるんです。育児って大変ですからね」
「そんなサービスしてんのか。は〜…、お前さん、凄いな」
足立さんが私に感嘆の声を上げてくれる。
「サービスじゃないですよ。少しだけ、お手伝いです」
「お、ご機嫌になったぜ」
泣き止んで、少し笑顔を見せた赤ちゃんを一番君が覗き込んでくる。
「抱っこしてみる?」
「おう。実はこういうの、出来んだぜ、俺」
お洋服を着せ終わった赤ちゃんを一番君に渡してみると、慣れた手つきで抱っこした。
「一番、そんなんどこで覚えた」
「ソープって子持ちの嬢が居る時があってよ。ガキの頃世話させられたりしたんだ」
ナンバさんも一番君の隣に来て赤ちゃんの顔を見てきた。
「それにしても…どこの子なんでしょう…?」
「マスターの子じゃないのぉ?」
私の疑問に趙が乗ってくる。
「馬鹿言え、俺の子じゃねぇよ」
「そう言い切れるってぇ、こと?」
「あぁ。その辺りはちゃんとしてる」
「じゃあ違うのか…」
「となると〜…お客さんの子とか?」
「う〜ん…、それを言い出したら切り無くない?」
「そうだねぇ」
「取り敢えず、ハン・ジュンギがコミジュルで何か手掛かりを見つけてくれるでしょ。樱花ちゃん、赤ちゃんの荷物で足りない物とか無いかしら?」
「いえ、差し当って足りない物は無いです、紗栄子さん」
「じゃあ、その連絡待ちね」
※※
真夜中のSurvive Barから聞こえた、赤ちゃんの泣き声でハッと目が覚める。
「いけない…寝ちゃってた…」
突っ伏していたカウンター席から起き上がり、窓際のテーブルに移動する。
「ミルク、今作るね」
置いてある籠を見てみると、赤ちゃんがグズッていた。
カウンターの中に移動して、やかんでお湯を沸かす。
乾かしていた哺乳瓶の水気を布巾で取っていると、階段から人が降りてくる気配がした。
「樱花ちゃん」
「趙?」
物音を立てないように静かに私の元に来た。
「手伝うよ」
「寝てて良いのに」
「そうはいかないよぉ。ミルク作れば良い?」
「うん。作り方、分かる?」
「さっき見てたから出来るよ〜」
おぉ、流石、器用貧乏を地で行く男。
「じゃあお願い」
ミルク作りは趙にお願いして、私は籠に移動して赤ちゃんを抱き上げた。
「2〜3時間おきにミルクかぁ。そりゃノイローゼにもなるねぇ」
「乳児は栄養をミルクでしか摂取出来ないからね。これが終わっても離乳食でしょ、本当に大変そう」
それを一緒にしてくれる人が居なければ、育児は苦痛に変わってしまう。
「ミルク出来たよ」
趙は哺乳瓶を持って私の元に来た。
その姿に思わず小さく吹き出してしまった。
「…なぁに」
「だって、横浜流氓の元総帥が、哺乳瓶持ってるギャップが、視覚的に中々インパクトあって」
笑い声を上げないように堪えるけど、面白いものは面白い。
「揶揄わないでよ〜。真剣に作ったのに」
「ゴメンゴメン。飲ませよう」
趙から哺乳瓶を受け取って赤ちゃんの口元に持っていくと、元気よく飲み始めた。
「お〜、俺が作ったミルク、美味い?」
「この子、飲みっぷりが良いのよね。健康な証拠ね」
用意したミルクをあっという間に飲み終わってしまった。
「よし…ゲップさせないと」
「それは俺がやるよ」
趙はマニキュアを塗った手を私に向けた。
その指には普段、威嚇の如く着いている指輪が1つも無かった。
「外したの?」
「赤ちゃん、傷つけたら嫌だからねぇ」
受け取った趙は慣れた手つきで赤ちゃんの背中を叩いた。
「あんまり強く叩くと、それはそれで戻しちゃうから気を付けて」
「えぇ〜。これ、お気に入りの服なんだから頼むよ〜」
眉を下げながら頼む趙の姿に、私はクスリと笑った。
ジーンズに仕舞っていたスマホのバイブが鳴った。
着信相手はジュンギさん。
「もしもし?」
『樱花さん、起きていましたか?』
「今、赤ちゃんにミルクを…。何か分かりましたか?」
『えぇ。母親らしき人物が、赤子を置いて行く姿が映っていました』
「その人はその後…?」
『それが…今Survive Barの側に居るようです』
「え?」
『ライブカメラに映っています。花柄のワンピースの女性です』
私はSurvive Barのドアを開き、辺りを見回した。
「樱花ちゃん?どうしたの?」
赤ちゃんを抱っこしながら趙も外に出てきた。
「居た…見えました、ジュンギさん」
電話を切って、花柄のワンピースを着た女性の元に歩いていった。
その女性は、少し離れた所からSurvive Barを見ている。
私が近付くと、ビクリと怯えた様子を見せた。
「あの赤ちゃんの…お母さんですか?」
私が訊ねると、その女性は声を出さず首を縦に動かした。
「赤ちゃんをお預かりしています。…お返ししても、良いですか?」
更に訊ねると、ハッと私の顔を見て、泣きそうに顔を歪め、はい。と小さな返事が返ってきた。
「ここでお待ち下さい」
私は1度Survive Barに戻る。
赤ちゃんを抱っこしたまま、趙が入り口で待っていた。
「あいつ…この子の親?」
「そうみたい。赤ちゃんをお返しするから、中に入ろう」
「あんな奴に返して大丈夫?また置き去りにするんじゃないの?」
「それは私達が口出しすることじゃ無い。中途半端な介入は無責任だよ、趙」
「まぁ…そうだけど。えぇ、でも俺ぇ、何か納得出来ない」
「私に任せて。趙は赤ちゃんを籠に入れてあげて」
「ん〜…」
趙は渋々といった様子で、赤ちゃんをそっと籠に戻した。
私は一緒に置いてあった鞄を持つ。
「…元気でね」
趙の手が赤ちゃんの頭を撫でる。
「じゃあ、お返ししてくるから」
「やっぱ施設とかに渡した方が良いんじゃ…」
「それを決めるのは私達じゃない。お母さんだよ」
Survive Barを出ると、花柄のワンピースを着たお母さんは店の前まで来ていた。
籠の赤ちゃんを見るなり、飛びつくように籠ごと抱き上げた。
「ゴメン…ゴメンね…」
涙をハラハラと流しながら、お母さんは赤ちゃんに謝っていた。
「お母さん」
呼びかけると涙で濡れた目が私に向けられた。
「誰か…ご相談出来る方は、身近にいらっしゃいますか?」
そう訊ねると、女性は視線を私から外し、俯きながらも首を縦に振った。
「星龍会に…知り合いが…」
「星龍会?それは良かったです。私も知人が居るので、話を通しておきますよ」
「本当ですか…?」
「はい。私の名刺、渡しておきますね。言い辛いようでしたら、私から取り次ぎも出来ますから、気兼ねなく連絡下さい」
じゃあ。この場を立ち去ろうかと足を向けると、あの!と呼び止められた。
「どうして…そこまでしてくれるんですか…?」
「子は宝、ですよ。命を生んでくれて、頑張って育ててくれているお母さんに、手を貸したいだけです」
そう言うと、女性の目がまた潤み始めた。
「ありがとう…ございます…」
「身体が冷えますよ。早くお帰り下さい」
赤ちゃんが寝ている籠を大事そうに抱えた女性は、私に深くお辞儀をして帰路についていった。
※※
「ふぁ〜…良く寝たな…」
2階から降りると、皆が窓際の席に群がっていた。
「何してんだ?」
「一番、シッ!」
近くに居たさっちゃんに聞いたら、口に指を当てて怒られた。
「あ?何だ??」
「樱花ちゃんと趙が寝てるのよ」
覗いてみると、2人揃って窓際の席で座って寝ていた。
樱花ちゃんは趙に寄りかかってて、2人で1枚のブランケットを肩から掛けて寝息を立てている。
「ここで寝ちまったのか?」
「そうみたい」
「趙の奴、夜中に起きて樱花ちゃんの手伝いしてたみてぇだ」
「そうなのか、ナンバ」
「あぁ。起きて下に降りるの見たんだ」
「それで…ガキはどこ行ったんだ?」
「あれ?そいや…」
「それは解決しましたよ」
いつの間にか帰ってきたハン・ジュンギが入口に立っていた。
「解決したって、どういうことだよ?」
「夜中に母親がSurvive Barにいらして、無事にお渡しが済みました」
「そうか。そりゃ良かった」
「私はコミジュルで仮眠を取ってきましたが、お2人はここで眠ってしまわれた様ですね」
「じゃあ…少しそっとしておいた方が良いわね」
「あぁ、そうだな。皆、どっかで朝飯食ってこようぜ」
「そりゃお前さんの奢りか、一番」
「へへ、誘ったからには金は出させねぇよ、足立さん」
俺の提案に乗った皆と、2人を起こさないように静かにSurvive Barを後にした。
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