さっき1人でのんびりグラスを傾けていた樱花ちゃんを捕まえて、酒の相手をして貰っている。
出入り口のドアに人の気配がした。
見てみると、人の影が1つ、ドアの前に立っている。
影がドア、グッド、ゴー。と言っているのが聞こえた。
ノブが動いて、扉が開く。
「すみません、ここにチエン・インフゥアが来ていると聞いたんですが…」
影の人は、盲導犬を連れた男性だった。
色の濃いサングラスをかけ、穏やかなそうな雰囲気で、年は足立さんより少し上位か。
隣に座ってた樱花ちゃんが慌てて椅子から立ち上がる。
「お父さん!どうしてここに…!?」
え、樱花ちゃんの親父さん!?
「インフゥア。良かった」
「
「あぁ、初めて来たから、
「駄目じゃない。練習も無しに…」
親父さんの隣に立った樱花ちゃんは、親父さんの空いた手を自分の肩に乗せた。
「このまま真っすぐね。ハーネスは離して良いわよ。
盲導犬は樱花ちゃんの指示を聞いて、入り口の側に伏せの体制になった。
「椅子、少し高いわよ」
「分かった…ここかな」
「うん。その椅子。今触ってる所」
手探りをしながら、親父さんは俺の隣の椅子に腰を下ろした。
「背凭れ無いから、背中気を付けて」
「分かったよ。…インフゥアは心配症だな」
「当たり前じゃない。もぅ、来るなら電話してよ」
「ハハ。驚かせたかったんだ。
「心臓に悪いから、この驚かせ方はもう止めて」
「…隣、お邪魔します」
親父さんが俺の方を向いて会釈をした。
俺もつられて頭を下げる。
すげぇ、気配で隣に俺が居るって分かるのか。
「一番君、私の父です。
「あぁ。天佑君とインフゥアがお世話になってます」
「は、始めまして!春日一番と申します」
「何でそんな硬い挨拶なの…」
「ハハハ。明るそうな人だね、インフゥア」
「えぇ。太陽みたいな人よ」
「声だけで分かるんすか…?」
「人って言うのはね、春日君。目が見えない分、他の感覚で理解出来る様になるんだよ」
雰囲気に合った、穏やかな口調で俺に話かけてくる。
「
「バーに来て悪いんだけど、ノンアルコールの物はあるかな?」
「マスター、ありますか?」
「カクテルなら、ノンアルコールでも出来る」
「あぁ…渋いマスターさんだね」
「…本当に分かるんですね」
「勿論です。じゃあ…マスターオススメのノンアルコールカクテルを下さい」
「畏まりました」
親父さんの顔を側で見て、ハッとした。
色の濃いサングラスの奥、目元には刃物の傷跡が見えた。
「こら、バディ、ノー」
樱花ちゃんが足元に向けて声をかける。
見てみると、いつの間にか盲導犬が樱花ちゃんの足元に来ていた。
「お仕事中でしょ、バディ」
「久しぶりにインフゥアに会って嬉しいんだろう」
「それじゃダメでしょ。
「じゃあ…少し散歩でもしてきたらどうだ?散歩紐なら持ってきてる」
「え?」
「満足させれば、集中力も戻るさ。その間、僕の話し相手になって貰えるかい?春日君」
「お…俺すか…?」
※※
マスターが作ったノンアルコールカクテルを1口飲み、あぁ、これは美味しいね。と親父さんが呟いた。
「インフゥアは、皆さんに迷惑をかけていませんか?」
「いえっ!そんなことは無いっす」
「そうですか…そうですよね。あの子は昔から手のかからない子で…何でも自分でやっちゃう子供だったんです」
「樱花ちゃんは、小さい頃から樱花ちゃんだったんすね」
「もう少し我儘に育っても良かったのに…」
「あの、樱花ちゃんに聞いたんすけど、…血が繋がってないって…」
そう言うと、親父さんは少し驚いたような顔を見せた。
「あの子、春日君にその話をしたのかい?」
「はい」
「そうでしたか…。インフゥアは随分、春日君を信頼しているんだね」
「そう…なんすか?」
「学生時代は隠していなかったようですが、色々言われるのが面倒になってきたみたいで。最近は言わなくなってきたんですけど…」
そうですか、あの子が…。
そう呟いた親父さんの顔は、穏やかな笑みだ。
「あの、樱花ちゃんの親父さん」
「何だい」
「その…傷は…?」
どう聞いたら良いのか分かんなくて、それしか言葉が出なかった。
親父さんは手元のグラスを揺らしながら、口を開いた。
「春日君は、ソンヒさんを知ってるかい?」
「はい…」
「僕のこの傷はね…、ソンヒさんとインフゥアに、不要な荷重を背負わせてしまったんだよ」
「荷重…すか」
「あれは…インフゥアが丁度、研修医を修了させて、店を継ぐ準備を始めた頃。…コミジュル内でもソンヒさんのやり方を気に入らない輩が後を絶たなくてね…。僕とインフゥア、ソンヒさんが会っていた時に、奇襲をかけられたんだ…ソンヒさんの命を狙った、コミジュルの戦闘員に」
「鉄砲玉っすか!?」
「そんな所だね。その戦闘員はコンバットナイフをソンヒさんに向けて飛び込んできた。…咄嗟に、僕がソンヒさんの前に出てしまったんだよ」
「それで…その傷を…」
「コンバットナイフの刃は僕の眼球も深く傷つけた…」
「すんません…。そんな話だったなんて…」
「別に謝る必要は無いよ、春日君」
持っていたグラスを置いて、親父さんは自分の顔に指を当てた。
「僕は事故だったと思っている。だけど…ソンヒさんはそう思えないみたいでね。今の生活に慣れるまで、ずっとサポートをしてくれた。ソンヒさんの頑固ぶりには困ったものだよ。何度断っても足を運んでくるし、お金だって振り込んでくる」
そう言って、サングラスの先に見える眉を下げる親父さんの表情は、困ったように微笑んでいた。
まるで何かを慈しむような。
「インフゥアも、本当はもっと僕と一緒に仕事をして、その後継ぐ予定だったのに、急遽店主にならざるを得なかった。…苦労をかけたよ、今もだけどね」
「樱花ちゃんは…そうは思ってないと思うっす」
「…それはどうして?」
「樱花ちゃん、親父さんと血が繋がってないって知った時、何とも思わなかったって言ってたんです。何かを共有することで生まれる絆の方が、大事なんじゃないのかって…」
「絆…。そうですか、インフゥアは『家族』をそう言ってくれてたんですね」
「はい」
「我が娘ながら、本当に良い子ですよ…」
「俺もそう思います」
「これで早く、天佑君と結ばれれば良いんですけどねぇ」
「え、」
親父さんも、趙と樱花ちゃんがくっつきゃ良いって思ってんのか?
「天佑君以上に良い相手は、出てこないと僕は思ってるんです」
「は、はぁ…」
「春日君もそう思いませんか?」
「まぁ、お似合いっすよね」
「あの子はどうも、その辺りが疎くて。…何か良い方法は無いですかね?」
「いやぁ…。その辺りはお2人に任せた方が…」
これ、あれだぞ。
下手に口を出したら、趙にまた、春日君〜、野暮ってもんだよぉ。って言われちまうやつだ。
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