23話

「あ、いけない」

部屋のある階で降りた所で、気が付いて良かった。

「紗栄子さんの酔い覚まし用の水を買い忘れました。自販機に寄っていきます」
「ご一緒します」
「直ぐそこですから。ジュンギさんは買ったお土産、ナンバさんと足立さんに届けて下さい」

そう言ってジュンギさんと別れ、自販機に向かった。
エレベーターホールから少し奥まった所にある自販機で水を1本買って、袋に入れて。
振り返ると、音も無く人が立っていて、少し肩が跳ねた。

「…趙」
「遅かったね」
「コンビニで…買い物してたから…」

趙はエレベーターホールの続く通路の壁に寄りかかっていた。
声はいつもより低く、声色も硬かった。

「話の続き…出来る?」
「…どういう意味?」
「まだ怒ってるでしょ」
「それはぁ、昨日の君だってそうじゃない」
「私はあの後、頭冷やしたもの」
「でも、俺がさっき言った言葉の意味は、分かってないんでしょ?」

趙の言う通りだった。
さっきの言葉もそうだし、私はここ最近の趙の言葉の意味が分かってない。

「だから話をするんじゃないの?」

そう聞くと、趙はワザとらしいため息をついた。

「樱花ちゃん…」
「何?」
「本当に分かってないの?」
「え…」

どうして、そんな聞き方するの?

「分からないよ…。だから、話をしたいのに…」

まるで、私が分かっていて、はぐらかしているような口ぶりだ。

「どう話せば、伝わるかな〜…」

趙の態度には、苛立ちが感じられた。

「許婚の件?それなら…さっき言ったけど、私は気にしてないよ。趙はいつも冗談で…」

冗談で言うじゃない。
そう言おうとした言葉は、全部は口に出来なかった。
壁に凭れていた趙が急に動いて、私の居る直ぐ横の壁を力強く叩いたからだ。
その音に驚き、私の言葉は止まった。
近くにきた趙の目は鋭く、さっきと同じように読めなかった。

「だからさぁ…何で俺が、冗談で言ってるってぇ…思う訳?」
「えっ…」

ち、違うの?

「俺ぇ、1回も冗談だなんて…言ってないよ」
「………」


言われてみれば、そう、かも。
いや、そうだ。
趙は冗談だと言ったことは無い。
私がそう、流しているだけ。
否定されないから、肯定の意だと思って。

この話は私が、紗栄子さんが勘違いしてるって言った時にもあった。
聞かれた。
『どうして勘違いしてるって思うの?』
そう言われた。
『もし、本当だったらどうする?』って。
紗栄子さんが口説いてるって感じたものが、本当だったら…?

『君がそう思いたいだけじゃないの?』とも、趙は言った。
私がそう思いたいだけ?
冗談だって、勘違いだって、思いたいだけ…?



さっきモヤモヤとしていた胸の辺りが、脈打つようになってきた。
ドクドク、そんな音が聞こえてくるような。
なに、わたし…。
私、どうしちゃったの…?


「…インフゥア」

趙の鋭かった瞳が見開かれる。
そしてさっきとは打って変わって、オロオロと戸惑い始めた。

「…ちょう?」
「泣かないで…」

指輪のついた親指が優しく目の辺りを撫でてくる。
そう言われて、自分が泣いていることに気が付いた。
気が付くと不思議なもので、自分の意志に関係無く、ドンドンと涙が溢れてくる。
嗚咽を止めるので精一杯だ。

「樱花ちゃん…」
「…っ、ぅ…」


こんなに強く当たられたのは初めてだ。
どうして、そんなに意地悪なの?
分からないよ、教えてよ。
何が分からないのか、自分でも分からないのに。
疑問と涙が、次々と溢れてくる。


趙は何度も何度も、私の涙を拭ってくれた。
その眉は下がり、困り果てた表情をしている。
さっきとはまた別の意味で、いつもの趙とは違う姿に、私は笑った。

「ぐす…フフ…ぅ…」
「え…?笑ってんの?泣いてんの?」
「りょうほう…」

笑ったせいか、涙が少しずつ収まってきた。

「…落ち着いた?」
「ん…」
「良かった〜。俺ぇ、樱花ちゃんの涙に弱いんだから〜」

趙はそう言ってくれるけど。
ゴメン。
とは言わなかった。

「…趙」
「ん〜?」
「冗談じゃ…無かったの?」

お嫁においで。とか、そういうの。

「ん〜。それはぁ、君が答えを出さないと」
「私が…?」
「俺から言っちゃぁ、意味無いからね」

趙の話なのに?
私が答えを出すの??

「…余計意味が分からない…」

思わず眉間に皺が寄った。


涙を拭っていた趙の親指が、私の顎を撫でた。
その指は、私の口の端を擽るように動く。


「趙…?」

趙の視線が私の口元を見たかと思ったら、勢い良く離れた。

「俺ぇ、ヒントは出したよ。沢山ね」
「ヒント…?」

ハーフパンツのポケットに両手を入れて。
趙はヘラリといつもの、何を考えているのか分からない笑みを浮かべた。

「だから、ちゃぁんと、考えてね〜」

じゃあね〜。と趙はエレベーターホールに向かって歩いていってしまった。

「……え?」

何も解決してなくない?

「えぇ〜…」



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