目的地に向かう道中、空を見上げ思った。
視線を道の先に戻すと、丁度春日君とナンバが歩いてきている所だ。
横を見ると、足立さんとハン・ジュンギも来ていた。
「あれ…?なんだよみんな、おそろいで」
喪服姿の春日君が不思議そうに聞いてくる。
「いや…ナンバが心配してたからさ。春日君が元東城会にスカウトされちゃうかもって」
ナンバには言うなって言われてたけど、俺はそう答えた。
今日は、荒川父子のお別れ会の場が開かれる。
俺達からは、春日君とナンバ、後紗栄子さんが参加した。
少し前、Survive Barで飲んでいたナンバが、不安そうにポツリと、こう言った。
一番が、東城会の奴らに引き抜かれるかもしれねぇ。って。
その話が出るとすると、きっと今日。
ということで、不安そうだったナンバが心配で、皆ここに集まった。
「サッちゃん、かわりに言っといてくれ。何度も言えるかよ、あんなこと」
春日君は何だか照れくさそうにそう言って、1人歩いて行ってしまった。
「あのね……」
代弁を引き受けた紗栄子さんが、俺達を呼ぶ。
紗栄子さんから聞かされたのは、ナンバの言った通り、春日君が元東城会にスカウトされたこと。
それを春日君は断ったこと。
そして。
俺達のことを、かけがえのない仲間だと、言ってくれたこと。
恩返しがしたいと、春日君はそう言ったらしい。
そっか、良かったぁ。
春日君、ここに残ってくれるんだ。
きっと、
「ねぇ」
紗栄子さんが俺を呼んだ。
「樱花ちゃんの容態…どう?」
紗栄子さんのその言葉に、皆が俺を見る。
その瞳は、皆樱花ちゃんを心配しているのが感じ取れた。
俺は小さく、首を横に振る。
「まだ…眠ったままだよ」
俺の初恋相手は、あの日から眠り姫になってしまった。
※※
樱花ちゃんが入院している病院は、この異人町で1番医療が整った大きな病院だ。
弟君の計らいで、俺は家族ではないけど、親族扱いで面会が許されている。
通い慣れてしまった病室のドアを開くと、1人の男が立っていた。
その姿には見覚えがある。
「お前…」
白いスーツに赤のシャツ。
俺に向けられている背中には、大きな龍を背負った男。
その男が振り返った。
「どうして…ここにぃ?」
樱花ちゃんは今、親族以外の面会は出来ない。
となると…忍び込んできた?
「…様子を見に来た」
「様子…?」
この男は、本当に何を考えているのか、分からない。
蒼天堀の同時解散の後、ホテルに戻った時。
1本の電話を受けた。
相手は胡蝶蘭さん。
内容は、樱花ちゃんが、渡瀬とかいう奴に呼び出された内容を、樱花ちゃん本人から言い出すまで、詮索するなというもの。
どうして?等と聞けるような声じゃなかった。
命令に近い口調だったから。
俺はそれに従った。
その後、樱花ちゃんは俺に話してくれたけど。
その内容を聞いて、益々分からなくなった。
自分を死んだはずの人間だと言いながら、どうしてここに来た…?
「お前さぁ…何にも教えてくれないくせに、会いには来るんだ。しかもぉ、親族しか面会出来ない相手に」
俺の言葉は聞こえてる筈なのに、奴は何にも答えない。
「…まだ目が覚めないのか」
個室のベットに横たわる樱花ちゃんを見つめながら、男は独り言のように言う。
「それは…俺が知りたいねぇ…」
俺の腕の中で意識を失った彼女は、そのままこの病院に搬送された。
命に別状は無い。
傷もほぼ癒えている。
なのに、目を覚まさない。
「…邪魔したな」
男は趣に歩き始め、ドアへ向かう。
俺の横を通り過ぎようとした時、そいつの胸倉を掴んだ。
「お前…何の説明も無しにぃ、帰る気?」
お前は何者なんだ。
何が目的で、樱花ちゃんと接触した。
そしてそれを、どうして胡蝶蘭さんは詮索しないように言ってきた。
聞きたいことは山ほどある。
「…知ることは、危険が及ぶ」
「あぁ。聞いたねぇ」
「それが…彼女にも影響するかもしれねぇ」
そう言って男は、少しだけ視線を後ろ、眠っている樱花ちゃんの方に動かした。
「この怪我が、てめぇのせいかもしれねぇ、そう思ったんだ…」
「お前の…?」
樱花ちゃんが怪我をしたのは、青木遼の混乱に巻き込まれた、謂わば事故だ。
「ウラは無かった」
「ウラ…だって?」
ウラがあったかもしれないって、こと?
そのウラが、自分のせいかもって…。
「なぁに。お前のせいで、樱花ちゃんがこうなったってぇ、思ったの?」
「…念の為だ」
「なぁるほど…」
こいつは、樱花ちゃんが自分と接触したせいで、こんな怪我をしたかもしれないって、懸念をしたってこと。
ってことはぁ、それを確かめて、樱花ちゃんに会いに来たのか…。
俺は胸倉を掴んだ手を離した。
「悪かったねぇ、掴みかかっちゃって…。俺もぉ、ちょっと気ぃ立ってんのよ」
「…あぁ、気持ちは分かる」
「…分かんの?」
「俺も昔…そんな時があった」
「へぇ…。お前が自分のこと話すなんて、どういう気まぐれ?」
「お前の気持ちが…理解出来るって言いてぇんだ」
だから俺に大人しく胸倉掴まれたって?
煽ってくれるねぇ…。
「その大事なもの守る為に、今の生き方選んだんだっけ?」
「…あの女は話さなかったのか」
「あの女…?あぁ、ソンヒのこと?あの人は口が堅いからねぇ」
ソンヒが樱花ちゃんに、この男のことを話さなかった、その警戒は正解だったかもね。
どう見ても事故だと言えるこの1件を、事故じゃないと疑わなければならない、それ程危険な奴ってこと。
「…そうか」
短い返事を返した男は、病室のドアを開いた。
俺に背中を向けたまま。
「…早く、目が覚めると良いな」
そう言って、扉を閉めて去っていった。
「良く分かんない奴だねぇ…」
返事なんて返ってこない。
けど、俺は樱花ちゃんに近付きながらそう呟いた。
真っ白なシーツに横たわり眠る樱花ちゃん。
その瞳はずっと開かずにいる。
ここに君は居るのに。
君の瞳に映れないことが。
君の口から俺を呼ぶ声が聞こえないことが。
君の笑顔を見れないことが。
こんなにも辛いなんて。
「…ねぇ、樱花ちゃん」
俺は布団の上に乗っている、管の付いた手をそっと手に取った。
「君は今…どこに居るの?」
※※
目を開いても、閉じても。
真っ暗だ。
そして何も無い。
真っ暗な水面だけ、ずっと続いている。
分かっているのは。
私は小舟に横たわっていて。
その小舟は私を、真っ暗な中どこかに運んでいるということ。
一定の速度で航走していた小舟の、スピードが落ちた。
コツリ。何かに当たって小舟は止まった。
私は起き上がる。
真っ暗な水面の上に、人が1人立っていた。
「誰…?」
水面に立っている人は、女性のようだ。
白いワンピースを着た女性。
どこかで聞いたことのある声。
水面に立っている女性は、音も無くスーと私に近付いた。
暗い中、その顔は不思議と見えた。
「…
白いワンピースの女性は、亡くなった母だった。
その姿は亡くなった年齢のまま。
「インフゥア…なの?」
「妈妈…どうして…」
私の姿を理解した母は、その綺麗な顔を悲しそうに歪めた。
「どうして…ここに来ちゃったの?」
「来ちゃった…?」
あれ、私…。
そういえば、どうして小舟に乗っていたんだっけ。
よく…思い出せない。
何だか靄がかかったみたいに…。
「…あら、」
母が何かに気がついたような声を出した。
その目線は、母自身の左前腕に向けられている。
倣って見てみると、そこには刺青のような蝙蝠が止まっていた。
真っ白な蝙蝠の目が、私を見ている。
「この子ですよ。前に手紙を送った…」
母は蝙蝠にそう言う。
手紙…?
身動き1つせず私を見ていた蝙蝠は、母の腕を伝って肩まで移動した。
そして母の耳元に顔を向ける。
「…えぇ。そうですね」
「妈…妈…?」
蝙蝠と、話をしているの?
「…インフゥア」
話が終わったのか、母と蝙蝠は揃って私を見た。
「貴方は…まだこっちに来ちゃダメよ」
「こっち…?」
「この人も…それを望んでいるわ」
「この人…?」
この蝙蝠は…人なの?
どう見ても刺青のような蝙蝠なのに。
「
「帰る…」
私の…帰る…場所?
「私はもう、爸爸の側には居ることは出来ないから…だから、インフゥア。貴方が居てあげて…。あの人は、本当に良い人だから…。身籠った私を、そのまま愛してくれた人…。家族皆を、愛してくれる人…」
母さん…。
「私はここで…待っているわ。遠い未来に…また会えることを…。この人と、一緒に…」
蝙蝠が母の肩から羽ばたいて、私の居る小舟の先に止まった。
そして蝙蝠は、小舟を押した。
さっき来た道を、戻るように進み始めた。
「妈妈!」
小舟の止め方が分からない私は、母を呼んだ。
最後に母の声が聞こえた。
さようなら、インフゥア。
私と、
その声を最後に、母の姿は見えなくなった。
そして、私の乗った小舟が、別の小舟とすれ違う。
その姿に目を奪われた。
「荒川…さん?」
すれ違った小舟に乗っていたのは、荒川真澄だった。
蒼天堀で会った時の服装に、中折れハットとレザーコートを着ていた。
「荒川さん…!」
その小舟は、母が居た方向へ航走している。
私が呼ぶと、荒川さんは中折れハットを少しだけ上げ、鋭くも優しい目元を見せた。
イチを…頼みます。
荒川さんの声が聞こえ、そして私の乗っていた船が突然消えた。
私は真っ暗な水に投げ出され、そのまま沈んでゆく。
真っ暗な中に、靄が晴れてゆくように、少しずつ光景が見える。
家族で過ごした夕食の食卓。
制服を着て通った通学路。
必死に勉強した参考書。
初めて白衣に袖を通した日。
薬局を継いでから送る日々。
その中に…いつも居る人。
「…天佑」
そうだ。
私は。
帰らないといけない、場所がある。
伝えないといけない、人が居る。
※※
「…?」
見つめていた樱花ちゃんの指先が今ぁ、動いたような…。
…気のせいか。
そんな幻覚に近いモン、何回も見てるじゃん、俺ぇ…。
目を覚まして欲しいってキモチが見せる…。
「…!」
今度は、ちゃんと見た。
樱花ちゃんの指が、しっかりと曲がった瞬間。
「…樱花ちゃん?」
顔を覗きこむと、瞼がふるりと震えた。
睫毛が揺れて、瞳が見えてくる。
眼球が僅かに揺れて、そして俺を捉えた。
てん…ゆ…
声は出ないけど、樱花ちゃんの唇がそう、伝えてくる。
「インフゥア…!」
取っていた手を少しだけ握り込み、名前を呼ぶ。
た…だ…いま。
うん、おかえり…。
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