3話


予約を入れていた患者の証をみ終わり、客間から見送る。

「ありがと…ござました」
「いいえ。良かったね、少し楽になって」

私はお礼を言った女性の隣に立っている子供に、身をかがめて声をかけた。
まだ未就学位の年の女の子だ。
酷い喘息があるけど、調剤の薬品で身体に合うものが見つからず、弟の紹介でこの漢方薬局に来ることになった。
彼女は母親のズボンの生地を握りしめながら、ニコッと嬉しそうに頷いた。

「喘息は天気や体調で症状が左右されやすいです。酷くなしましたら遠慮なく電話下さい」
「はい…あの…おかね…」

母親は申し訳なさそうに僅かながらの金額を私に差し出した。

「今日はお代は結構です。纏まったお金が入ったら、少しづつでも大丈夫なので払いに来て下さい」
「でも…」
「それより、この予算でしたら母子お2人で充分な食事が取れます。帰りに食べて行かれたらどうでしょう?」
「つぎの…ちりょう…ない?」
「そんなことはありません。処方した薬が無くなったら、また来て下さい。その時の改善具合で、また調合を変えていきましょう」
「…すみません」
「気に病まないで下さい。大切なのはお子さんが日常生活を送れるまで回復することです」


この薬局は昔から”ツケ”が効くようにしてある。
まぁ、踏み倒す人の少なくないけど、それ以上に、健康な体になって、働いたお金で徐々に返してきてくれる人が居るから、私の代になっても続けているのだ。


母子は手を繋いで、何度も私に頭を下げながら家路へと歩いていった。
それを見送り、私は店内に戻った。
客間で片づけを行い、さて店内へ戻るかと振り返ると。
シルバーアッシュの髪の男性が音もなく立っていた。

「ひっ…!?」
「こんにちは、樱花さん」
「こ、こんにちは…ジュンギさん…」

いつの間にお店に入ってきたの…?

「開いたドアの先に貴方が見えましたもので、不躾ながらお邪魔させていただきました」
「は、はぁ…。何かご用でしたか?」
「先程の治療代を支払いに参りました」
「先程…?あの母子のですか?」
「はい。彼女はコミジュルの者です」
「あ、そうだったんですか…」

そうさらりと言われると、こっちも反応に困ってしまう。

「そういうことって…言って良いんですか?」
「問題ありません。貴方はこちら側・・・・の方ですから」
「…違うんですけど」
「それに貴方は患者の情報は口外しません」
「まぁ…そうですね」

信用してもらえてる、と解釈しておこう。

「これだけあれば足りるだろうとソンヒに渡されました」

そう差し出された金額はそれはそれは大金だった。

「…多過ぎます」
「おや、そうでしたか」
「これだけあれば充分です」

本来の診察料を差し引いてジュンギさんにお返しする。

「随分と安い見積もりですね」
「余計なお世話です」
「生活は出来ているんですか」
「…何でそんなこと聞くんですか?」
「ソンヒはいつも貴方を心配しています」
「ソンヒさんが…?」

思わぬ言葉にきょとりとジュンギさんを見た。

「ソンヒは貴方と、貴方のお父様にとても感謝しています。貴方方親子が居なければコミジュルは今頃どうなっていたか…と」
「その話はよしましょう」
「樱花さん、コミジュルのシマでお店を開く気はありませんか?」
「私の話聞いてます?」
「ええ。勿論」

じゃあ何てそんな質問飛んでくるんだ。
整った顔をしていながら、会話が成り立たないことがしばしば起こる、ジュンギさん、本当に謎。

「何でコミジュルのシマに越すなんて話出てくるんですか?」
「言ったでしょう。コミジュルは貴方に恩義がある。それをお返ししたい。と」
「別に土地で返して頂かなくて結構です。そんなことしている暇があるなら盗電を何とかしたらいかがですか?」
「それは勿論努力しています」

嫌味を言ったつもりなのに、何にも響いてない。

「兎に角、そんな話はお引き受け出来ません」

私はお金を仕舞う為に店内に移動した。
レジにお金を仕舞って、ガラスケースをそっと指で撫でた。

「ジュンギさん」
「はい」
「この薬局は…祖父から父へ、父から私へ継がれてきました」
「存してます」
「それはお店だけじゃない、祖父と父の生き様も継いでいるんです」


この薬局は昔、小さな小さな薬局だった。
戦後間もない時だったから、祖父は生薬の入手に苦労したそうだ。
それでも何とか伝手を作り、生薬の入手ルートを作り、安定して患者の証をみることが出来るようになった。
それを父が継ぎ、私に繋げてくれた。
チエンの家そのもの、と言っても過言ではないのだ。


「2人の生き様を遺したいんです。私の誇りですから」
「…そうですか。そこまで言われてしまうと、こちらとしても引き下がるしか無さそうです」
「理解して頂けて何よりです。ソンヒさんにも”私は大丈夫だ”って伝えておいて下さい」
「畏まりました」



※※



地面に『中』『韓』『日』を三角形になるように書く。
線を引いたり、その線の上に×印を書いて、一番にこの異人町の現状を説明した。


「え?じゃ 明日にでも戦争が起こったって不思議はないんじゃ…」
「ま、冷戦状態だな」
「れいせん??」
「何か少しでも摩擦がおこれば、いつ爆発してもおかしくねぇ火薬庫みてぇな状態ってことだ」
「なるほど…」
「一番よ、いつ爆発するかも分かんねぇ火薬庫に盗みに入る気になるか?」
「冗談じゃねぇよ」
「だろ?つまり冷戦状態である限り外部の組織は横浜に手をだせねぇ。出したくって出せねぇ」
「一触即発だからこそ、侵略者を防いできたってことか…。でももし、火薬庫に火がついて…横浜の内部で戦争が起きちまうことだって、あるんじゃねぇのか?」
「そこで、樱花ちゃんの登場だ」

三角形の中、空いたスペースに〇を書いてその中に『薬』の字を書いた。

「樱花ちゃん?あの子、これに関係あんのか」
「あぁ。さっき、異人三がお得意さんだって言ってただろ」
「言ってたな」
「樱花ちゃんが店主をしている漢方薬局は、医療行為を理由にどこの組織にも属さず公平を通してる。誰か来ても拒まない、その代わり争い事を持ち込まない、それが条件だ。実際、樱花ちゃんの漢方薬局は横浜流氓のシマにあるけど、他の組織の人間もかかりつけとしてたりすんだ。絶対的中立、ってやつだな」
「絶対的な中立ねぇ…んなこと言って、実はハンピンなんちゃらとかいうとこに、情報漏らしたりして美味しい思いしてたりするんじゃねぇの?」
「いや、それは無いな」
「何で言い切れるんだよ」
「俺もホームレスの奴らも、星龍会や韓国マフィアの奴が樱花ちゃんの漢方薬局に入っていくのを何回も見ている。バチバチに睨みあってる組織が他組織の人間出入りしてんのを、良しとするか?」
「じゃあ、マジで中立の立場で薬局やってんのか…」
「それだけじゃねぇ」
「他にもあんのか」
「彼女が公平な立場で三すくみに接することで、この三組織の衝突を減らす作用が働いてんだ」

俺は『薬』の周りに書い〇から三方向に矢印を書き足した。

「ヤクザやマフィアじゃねぇ、カタギの人間をここに置くことである種の抑制が働いてんだ。意図してなのか偶然なのか、俺が異人町に来た時にはもうこの関係が出来上がってた」
「カタギの人間を巻き込むなんて、どうかしてるぜ」


俺がなんで樱花ちゃんに詳しいか。
ここに来た目的・・の情報を知ってる可能性があるからだ。
異人三の情報は中々手に入りづらい。
だから、その三組織と接点のある彼女に近づいた。
今のところ、彼女からは何も聞き出せてないけどな。


「まぁ、でも一番、お前はラッキーだったんじゃねぇか?」
「え?なんでだよ」
「ここ横浜は関東で唯一、近江の手垢がついてねぇ場所だ。少なくともここにいれば安全なんだからよ、そこはラッキーだろうよ」
「…あ?」

趣に自分のスーツの穴の開いた部分を見ていた一番がそう言った。
そして胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出す。
それは血塗られた万札だった。
途端に周りのホームレス達がその万札に群がる。
その一人に万札が取られちまった。

「何だコレ…?」
「どうした?」

困惑したようすの、万札を取った奴に声をかける。
そいつは万札の表を見せて、裏を見せた。
その裏には何も印刷がされていなかった。
その札を見て俺は目を細めた。

「裏が真っ白…!オモチャの札じゃねぇか!」
「いや、ちょっと待て…」

俺はその札を取り、空に掲げた。
透かしが入っている。
印刷だってモノホンの万札だ。

「…偽札」

俺の探していた、ここに来た目的・・の情報が、思わぬ形で入ってきた。





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