今日も今日とて漢方薬局を開き、予約やオーダーをこなしていく。
病人や病状は待ってくれない。
「…あ、」
タブレットに入れてあるスケジュールを見て思わず顔を顰めた。
あの人、苦手なんだよなぁ…。
でも、仕事だからと割り切らないと。
と思っていると、趣味の悪い車が漢方薬局の前に停まるのが見えた。
そこからガラの悪いお付きが数人降りてきて、最後に白スーツの男が降りてきた。
厳つい歩き方で店の中に入ってきたので、迎える為にガラスケースの前に立った。
「よぉ、嬢」
「…こんにちは、馬渕さん」
ニヤリと私に向かって笑いかけてくる、横浜流氓の参謀。
この人を舐めきったような態度が私は好かない。
が、ビジネス、ビジネス。
心の中で自分に言い聞かせる。
「…その呼び方、止めて頂けませんかね?」
「俺から見たらお前はいつまででも嬢だよ」
「小娘と呼ばれた方が潔いのでは?」
「へっ。口の減らない嬢ちゃんだ」
「では早速、仕事の話を致しましょう」
私は客間に案内した。
馬渕さんが用意した今月分の横濱貿易公司の書類に一通り目を通す。
ある数字が気になって、私はテーブルに用意していた電卓を手に取った。
やっぱり、ここの数字、ズレてる。
私はチラリと馬渕さんを見る。
最初と変わらず、薄ら笑いを浮かべ私を見ていた。
「どうした」
「数字のおかしい部分を見つけました、ここです」
書類の1枚を馬渕さんに差し出し、指で指した。
「…ほぅ、正解じゃねぇか」
本当に性格が悪い。
こうやって馬渕さんは会うたびに私を小馬鹿にするように試す。
今回は敢えて書類の数字を間違え、私に渡してきた。
その前は私が貿易会社に卸している品目の数を弄ったり、他にも沢山。
バリエーションも豊かになってきている。
そんなの増えても全然嬉しくないけど。
「馬渕さん」
「あん?」
「何故、毎回私を試すような真似を?」
「それは、お前が俺のビジネスパートナーとして相応しいかどうか、試す為だ」
「それはビジネスで試して頂ければ良いじゃありませんか。実際、頼まれた品は全部揃えてます」
「お前の、爺さんや親父さんが作ったコネ、でな」
ハッと鼻で笑われる。
ム・カ・つ・く。
いけない、こんな挑発にのっちゃ。
気を取り直して残りの書類にも目を通す。
「…確認しました。問題ありませんね」
「俺が管理してんだ。問題なんて出ねぇよ」
「取り決めですから、従って下さい」
横濱貿易公司で扱っている物がモノだけに、書類の確認は2重で行う。
最初は横浜流氓内で、その次は異人三のどこにも属していない私。
決して何かあってはいけない事業だ、小さなミスも許されない。
受け取った書類を整え、テーブルに置いて馬渕さんの方に差し出した。
手を離そうとすると、その上に馬渕さんが手を置いて、下にある私の手を押さえつけた。
「ちょっと…!」
「こぉんな小さな薬局の漢方医にしておくのは惜しいよなぁ…嬢ちゃん」
馬渕さんの手から自分の手を引き抜こうと中腰になると、馬渕さんも身を乗り出してきた。
「…何のつもりですか」
「頭の回転も良い、数字にだって強い、異人町に顔だって利く、経営だって出来てるのに、何で金を儲けようとしねぇんだ」
「私は金儲けで
「ハッ。ご立派なもんだ」
「貴方と違って金にも力にも興味は無いわ」
「…言うじゃねぇか」
「離して頂けませんか」
「ビジネスの話をしようじゃないか、嬢ちゃん」
「これ以外に何のビジネスの話を?」
「俺の下につきゃ、もっと美味しい儲け話があるぜぇ」
「…儲かる話には危険が伴います。これ以上の危険は、異人町を危機に晒す可能性があると思いますが」
「そんなものは力で解決すればいい」
「…貴方は、
荻久保 豊がどんな思いで、この事業の話を持ち掛けたと…。
初代星龍会会長が、当時の横浜流氓総帥が、私の祖父が、どんな思いで荻久保 豊の話を飲んだと思っているの。
私は力一杯に馬渕さんの手から自分の手を引き抜いた。
「…驕れる者久しからず。という言葉があります」
「それがどうした」
「貴方がそうならないよう、お祈りしておきますよ。馬渕さん」
「ラオマー」
側で私達のやり取りを見ていた部下の1人が馬渕さんに声をかけた。
「なんだ」
その部下は馬渕さんの耳元で何かを話す。
「ほぉ…そうか」
話を聞いた馬渕さんはスッと目を細めた。
それはとても楽しそうに、そして得体の知れない恐怖を感じる表情だった。
「悪いな嬢ちゃん、貿易公司の倉庫に急な客人が来たみてぇだ。今日は帰るとするよ」
「ビジネスの話はとっくに終わっているので、どうぞお帰り下さい」
嫌味たっぷり込めた私の返事にニヤリと笑って、馬渕さんは店を後にした。
「…あ〜!腹立つっ!!」
私は力一杯に近くのゴミ箱を蹴った。
※※
その夜、異人町に数台のトラックが爆走する音と、クラクションの音が響いた。
「…何!?」
ただ事ではない音に慌てて店の外に出る。
その音はこっちに近づいてきた。
トラックは大きな道から路地に入ろうとした瞬間だった。
スピードの落ちた先頭のトラックに、見覚えのある顔があった。
「高部さん…?」
まさか…星龍会のトラック!?
高部さんを乗せた数台のトラックはそのままクラクションを鳴らしながら路地を走っていった。
「あの方向…慶錦飯店だ…」
嫌な予感が、する…。
私は店内に戻り、ガラスショーケースの下に備えていた医療バッグを取り出した。
店の奥に行き、使える調合薬の備蓄を漁る。
この時が、決して来てはいけない時が、来てしまう、予感。
均衡が…崩れる…。
ふと自分の手を見ると、震えていた。
震える手をグッと握りしめる。
落ち着け、私は私の役目がある。
それをしっかりと果たせ、樱花。
備蓄からありったけの調合薬を医療バッグに詰め、最後に白衣に袖を通して店を飛び出した。
高部さんを乗せたトラックが通った道には人が転んだり、倒れていたりした。
泣き声や悲鳴も遠くから聞こえる。
肩にかけていた医療バッグの紐を握りしめ、近くの負傷者に声をかけた。
「大丈夫ですか」
「あんた…医者かい」
「はい。近くに薬局を持つ医師です。どこか痛みますか?」
「トラックを避ける時…転んで…足が」
「少し触りますね」
痛む足に外傷は見当たらない、骨が折れたのか…。
「救急車が来たぞ!」
路地の先に居た通行人がこっちに叫んだ。
「すみません、直ぐ戻ります」
私は医療バッグを置いたまま路地の先に走った。
サイレンの音を幾つも鳴らし、数台の救急車が到着するところだった。
「こっちです!」
私は降りてきた救急隊員を誘導した。
隊員の1人が私に声をかけてきた。
「貴方は?」
「この近くで漢方薬局の店主をしている者です。医師免許を持っています」
「状況を手短に教えて貰えませんか」
「数台のトラックが大通りからこの路地を走っていきました。かなりのスピードです。恐らく、通行人がそれで怪我をされてるかと」
「トラック…?クスリでもやってたのか」
トラックに乗っていた高部さんを思い出した。
高部さんは詰めた指の影響で痛み止めは常服しているけど、クスリになんて手を出す人じゃない。
星龍会全体がそうだ。
そう知っているのに、私は言うことが出来ない。
「…分からないです」
「状況は分かりました。では…あの、お名前は」
「チエンと申します」
「では、チエンさん。医師が現場にいる場合、指揮をお願いする規則になっています」
「存じてます。近くに弟が病院を持っていますので、そこにも受け入れの連絡をしておきます」
「搬送患者が出た場合の為、住所を教えて頂けますか」
パン、パンパンパン。
緊迫した空気に遠くから弾く音が響いた。
「な、何の音だ!?」
反射的に屈んだ隊員が叫ぶ。
「恐らく…銃声…」
「抗争でも始める気か!?」
そうかもしれません。そう思ったけど、口には出来なかった。
路地の先から見える慶錦飯店のビルを見つめる。
「何が起こったの…趙」
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