ブレーキの甲高い音が聞こえた時に、名前は初めて自分の後ろにトラックがいる事に気付いた。そしてよろけた体がこのままだとぶつかるという事にも。
ああ、これは死んだかもしれない。
どうしようもないのに反射的に目を瞑った。
その時自身の腕が強く引かれるのを感じた。そのまま手を引いた誰かが抱き止める形で尻餅をつく。
驚きで鼓動が早くなる。腰に回された腕に力が入って肩にその人が顔を埋めた。少し固そうな黒髪が目に入る。
「…か、獪岳君?」
返事はない。表情も分からない。
「すみませんっ!お怪我はありませんか!?」
トラックのドライバーだろう。帽子を被った男性が申し訳なさそうな顔で立っている。こちらに非があるのに、申し訳ない。
「こちらこそすみません。大丈夫です。」
ドライバーは安心したように微笑んだ。
「よかった。ええと、後ろの人は?」
「あ、えっと、多分びっくりしたんだと思います。大丈夫です。」
それでは、と会釈しドライバーはトラックに乗って行った。
「獪岳君、大丈夫?」
反応の無い背中に声を掛ける。暫くの間の後に低音が震えた。
「…大丈夫、だ?」
獪岳は腕を腰から離して、再び胸倉を掴む。額に青筋が立っている。
「っとに、死ぬ気か!大馬鹿野郎!!」
「ご、ごめんなさい。」
「鈍臭いにも程が、」
彼女の顔色に語尾が弱くなる。
「お前、なんだその顔。」
青白いを通り越して土色だ。
「え、ちょっと、風邪をひいたみたいです。薬を飲んで寝れば大丈夫です。」
獪岳は舌打ちをすると、しゃがんで名前に背を向けた。
「乗れ。」
「いえ、自分で帰れます。」
「肩に担がれてえのか。」
「これ以上迷惑掛けられないです…」
「もうとっくに迷惑してんだよ。これ以上迷惑かけたくなかったら大人しく言う事きけ。」
名前は逡巡した後に獪岳の肩に手を掛けた。そして恐る恐るといった風に背に体を預ける。
「家は?」
「えと、」
歩きながら獪岳は彼女の想像以上に軽さに驚いていた。ちゃんと食べているのか疑う位には軽い。聞いた住所に足を進むと強張っていた体から徐々に力が抜けていくのがわかる。極力揺らさないよう気を付けながら歩を進めた。
***
マンションの一室の前で獪岳は足を止めた。
「着いたぞ。鍵は?」
問いかけに答えはない。名前を呼んでも、揺すっても目を覚さない。それ程具合が悪いのか。
少々抵抗はあったが彼女の鞄を探り、鍵を開ける。
家の中はこざっぱりとして片付いていた。壁や棚にたくさんの写真が飾られて仲の良い家族だということがよくわかる。
そっと起こさないようにベッドに寝かせる。
さて、と獪岳は腕を組んだ。
名前は制服を着ている。このままでは寝苦しいだろうし、熱も高いようだから汗もかくだろう。辺りを見渡せば朝脱いだであろう部屋着がある。着替えさせるか。いや、別にやましい気持ちがある訳ではない。ワイシャツのボタンに手を掛ける。
ひゅっと息を呑んだ。
複数の痣がそこにあった。まだらな紫紺の濃淡に常日頃からの傷であると想像するには容易い。体を確かめると腹と背、服から隠れる所に重点的に付けられている。
肚の底が熱くなる。目の前が赤くなる。
誰だ。誰がこいつにこんな事をした。殺す。殺してやる。
強く握った拳に爪が食い込んで痛い。
また、知らない事ばかりだ。
獪岳はギリと歯軋りをした。