目を開けると見知った天井に名前は驚いた。家に着いたのも、ベッドに寝かされたのも気付かない程深く眠っていたようだ。起き上がろうとした体は重く、言うことをきかない。

「目が覚めたか?」

病人だと認識があるからだろう、幾分いつもより柔らかい声音に言外に気遣いを感じる。普段と異なる雰囲気に名前は少し居心地の悪さを感じた。なんとか起き上がると獪岳がペットボトルを差し出す。

「いいからまず飲め。」

受け取ったスポーツドリンクは家には無いものだ。そういえば額には冷却シートも付いている。自分の為に買って来てくれたのだろう。
獪岳が手を焼いてくれた事実が嬉しい。冷たく甘いそれは熱で痛む喉を優しく潤してくれた。
喉が潤って少し落ち着くと、これまでに何があったか目紛しく脳裏に浮かぶ。勿論彼の隣にいた少女の事も。

ぐっと苦しくなる胸の痛みを堪えて獪岳を見上げて笑う。

「色々ありがとうございます。帰って来れればもう大丈夫です。」
「大丈夫な訳ねえだろ。大分熱が高い。」
「薬を飲めば明日には治ってます。あ、飲み物とか幾らしました?お金、」

続きの言葉は口から出なかった。肩を掴んだ獪岳の手で無理矢理ベッドに戻されたのだ。押し倒されて必然的に近い。

「いい加減にしろ。」

憤怒の声音に思わず名前の肩が跳ねる。下手に怒鳴りつけられるよりも迫力がある。

「後で聞こうと思ってたが、これなんだよ。」

獪岳がシャツを捲った。さらけ出た痣にはっとする。隠そうと手を伸ばしても押さられて動けない。

「ちょっ、と!寒いですって!!」
「一度殴られた位じゃこんな色にならねえだろ。誰がやった?」
「死ぬ訳でもないんですから君には関係ないでしょう!?」

どんどん険しくなる顔に心臓が痛い。

「お前は生きるか死ぬかのどっちかしかねえのか!死ななきゃそれでいいのかよ!?死ななきゃ足触られようが、殴られて、蹴られようがいいのか!!?あの頃と違ってすぐには治らねえんだぞ!」
「あの頃?」

名前が目を見開いた。

「やっぱり覚えてたんですか?」

抵抗していた手を離してそれで、どおりで、と両手で顔を覆う。口元には自嘲の笑み。

「好きになってくれない訳ですね。」

君、皆の事嫌いだったでしょう?と呟く。

獪岳も想定外の事に驚いていた。前世の事など名前は覚えていないと思っていたのだから。
が、それも今や関係ない。何があっても手に入れると心に決めたのだ。

「おい、手ぇ退かせろ。」

応えはない。力づくで手を退かせれば大粒の涙を流している。無理矢理引き剥がされた事に名前は不服そうに眉を顰める。それに構わず獪岳は名前の唇に口付けた。驚愕して口を開いたのを逃さず口内へ舌を捻じ込む。押し返そうとする両手は纏めて右手が掴み、顔を背けないよう左手は顎に添えて、じたばたと暴れる両足の間に膝を入れる。

「ん、んう、…っふ」

鼻にかかる甘い声に背筋がぞくぞくする。この声を聞きたかった。愛おしくて堪らない。逃げ惑う舌を捕まえて吸えばびくりと体が跳ねる。名前の体の力が無くなるまで獪岳は何度も角度を変えて唇を貪った。

「…は、」
「うぁっ、あ、はあ」

気が済んで口を離せば彼女は息も絶え絶えだった。

「風邪が、移ります、よ。」
「第一声がそれかよ。」

お前みたいな貧弱な奴の風邪なんて移らねえよ、と獪岳は涼しい顔だ。そんな獪岳を睨みながら名前はとうとう子供のようにしゃくりあげ始めた。

「…っ、ひどい、ひどいです。揶揄うならもっとマシなやり方があるでしょう?」

どうして。付き合えないと言ったのに。つい今しがたまで違う女の子と歩いていたのに。どうしてこんな事をするのか名前には皆目理解できない。

「君が何をしたいかもうわからない。好きでもないなら優しくしないで下さい。辛い。」

優しくされて嬉しい。嬉しいけれどもこれも一時の気紛れだと思うと胸が千切れそうになる。自身を好きだと思ってくれているのではと期待してしまう。

獪岳は知らない。あの日助けてくれた事がどれだけ名前にとって特別な事だったか。
今もあの時も誰も助けてくれなかった。助けてと手を伸ばしても振り払われる。諦める事に慣れてしまう程。皆、見て見ぬ振りをしてたのに、あなただけが助けてくれた。それがどんなに嬉しかったか。どんなに救ってくれたか。

獪岳はぐすぐずしゃくりあげる名前の頬に優しく手を添えると目尻に唇を落とした。右、左、目尻の後は、鼻先、額、最後に唇にそっと触れた。その唇の優しさは勿論の事、今まで見た事がない優しい眼差しに驚愕で涙が止まる。それを見て獪岳の唇は弧を描く。

「嫌いだとは言ってねえだろうが。」
「屁理屈…!」

ふ、と微笑んで名前の肩に顔を埋める。

「よくも何も言わずに置いて行きやがって。」

少し拗ねた声。

「こっちも腹括ったんだ。」

耳に直接吹き込むように言葉を紡ぐ。熱い息に思わず体が震える。

「二度と離さねえからな。」

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