目を開けた先に整った顔があって、名前は思わず悲鳴をあげかけた。慌てて口を両手で塞ぐ。辛うじて悲鳴は喉の奥に帰って部屋の中は静まり返っている。静か過ぎて自身の鼓動が聞こえそうだ。
こんな近くで顔を見た事があっただろうかとぼんやり思考を巡らせる。
いつもの険しい表情は隠れて、穏やかな姿のせいか少し幼く見える。睫毛、思ったよりずっと長いんだ。興味本位でそうっと触れようとすると、
「…起きたか。」
「あ、起こしてごめんね。」
目蓋が震えて視線が合う。ああ、眉間に皺が出来てしまった。
「体調は?」
「あ、もう全快です。」
頭痛も怠さも熱っぽさも感じない。ぐっと親指を立てて見せれば、溜息と共に抱き竦められる。背中に回された手がとても温かい。
「お前ふざけんな。」
「え、なぜ?」
突然の怒り宣言に疑問しかない。
スマホ確認しろと言葉に渡されたスマホに目をやる。まだ外は薄暗いようだけれど何時なのだろう。
「6時12分…、早くに起きちゃいましたね。」
「そこじゃねえ。日付見ろ、日付。」
「日付?」
あれ?
「今日日曜日です?」
「まる丸一日寝てたぞ。うんともすんとも言わねえから流石に肝が冷えたわ。」
「ご、ごめんなさい…」
肩口に頭があるが故のくぐもった声に感謝しか無い。確かに一昨日は図書室での事でほとんど寝ていなかったし、体調不良も最高潮だった事もあるが丸一日寝ていたとは。
「…獪岳、ずっといてくれたんですか?」
気が付けば眠る前は学校ジャージだったのが、今は黒のスウェットだ。寝ている間に帰宅して再び来てくれた事が窺える。
「この借りは高くつくからな。」
「えっ?」
見上げると意地の悪い光を帯びた双眸と目が合う。ニヤリとした笑みに背筋が寒くなる。
どうか、お手柔らかに…と呟くと鼻で笑われた。
「とりあえず…、俺はまだ寝る。」
再び目蓋を閉じると暫くして寝息が聞こえてくる。
目が冴えてしまった名前は今度は起こさぬよう静かに起き上がる。見下ろす顔には薄っすら隈が。心配を掛けてしまったなと申し訳なく思うが嬉しくも思う。
「ありがとう、たくさん休んでください。」
そっと撫でた黒髪は想像よりも柔らかかった。
***
獪岳が次に目を覚ますと時計は10時を少し回っていた。流石に寝過ぎたな、と彼女のいない部屋を出る。リビングの扉を開けるとふわりと甘い香りが漂う。
「おはようございます。よく寝れました?」
ダイニングテーブルで課題をしていた名前が顔を上げる。散らばった教科書やルーズリーフを手早く片してスペースを作り、獪岳に座るよう促した。
「お腹空いてません?フレンチトースト準備しておいたのでちょっと待ってくださいね。」
熱したフライパンにバターの焦げるいい匂いがする。
「コーヒー飲みます?それともホットミルクにしますか?」
「コーヒー。砂糖と牛乳くれるか?」
「はい。」
牛乳を入れて少し温くなったコーヒーを口に運ぶ。視線はフレンチトーストとフライ返しとで格闘している名前。食べれる物が出来るといいが、と甘いコーヒーを啜った。
意外にも出てきたフレンチトーストは普通に美味そうな見た目だ。ついでに買ってきておいたインスタントのスープも添えられている。
「…お前、料理出来んのかよ。」
ナイフで切り分けて口に運べば程よい甘さが口に広がる。焼き加減も絶妙だ。
「両親不在の時が多いですからね。家事は一通り出来ますよ。」
さっと洗い物をした名前は自身のマグカップにもコーヒーを注ぎながら事も無げに言った。そして苦笑しながら獪岳の前に腰を掛ける。
「ただご飯は一人だと面倒で適当に済ませちゃうんですけどね。」
だから部屋は小綺麗だが冷蔵庫は空っぽだった訳か。分からないでもないが極端な奴だなと思う。
「お口に合いました?」
「悪くねえ。」
「ふふ、良かったです。」
最近しょっぱいのもありますけど、やっぱり甘いのがいいですよねところころ微笑む。朝の言葉通り体調は回復したようだ。
「名前、この後少し出掛けられるか?」
獪岳の言葉にきょとんと首を傾げる名前は暫しの後に笑顔で頷いた。