※ほんの少しモブが出てきます。とんでもなく長くなってしまった…
「煉獄君、好きです。大好きです。」
可憐な声音が僅かな緊張を孕んで震える。声と同じく見目も可憐で可愛らしい女性が頬を赤らめて思いを告げる様はなんて愛らしいのだろう。これが自身の恋人に告げられるものでなかったら同性の自分もときめいていたかもしれない。
大学構内の人気が少ない所で煉獄の後ろ姿を見つけて追いかけたらばこんな事になろうとは。
申し訳ないと思いつつ物陰に息を潜めて聞き耳を立てる。
「そうか、ありがとう。」
ありがとう?
聞き間違いではないかと顔を上げる。煉獄はこちらに背を向けているから表情は分からない。けれど告白した女性の喜色満面に聞き間違いではなかった事は明白である。
まるで頭を殴られたようにくらくらする。二人の姿を見たくなくて静かにその場を離れた。
***
とりあえず落ち着こうと自販機でカフェオレを買い、ベンチに腰掛ける。
煉獄とは高校からの付き合いだ。偶々同級生で、同じクラスで、出席番号が近くだったから日直等で一緒に行動する事が多かった。初めは目力が強くて怖いと思ったっけ。思い返すと笑みが溢れる。それでも優しく、真面目な人柄に心惹かれるのに時間は掛からなくて。沢山の人から愛される彼が平々凡々、十人並みの自分を選んでくれた時は暫く信じられなかった。
こくりと温かいカフェオレに口を付ける。
先程の可愛らしい女性の姿が思い浮かぶ。自分でも『お似合いだな』と思う。彼の隣にいてしっくりする。
はた、と気付く。
そうだ、自分などが煉獄の隣にいるなど烏滸がましいのだ。引く手数多な煉獄が自分を選ぶ事自体おかしい。
好きだと伝えたのが私からだったから優しい彼はもう自分に飽きたと、好きではないと言えなかったのでは?
そもそも告白した際も泣きそうな自分に同情して了承してくれたのでは?
そこまで考えてさーっと血の気が引く。
申し訳ない事をした。貴重な彼の六年間を私は無駄にさせてしまったのだ。
今日きっと別れてほしいと言われるのだろう。
そうしたら、私は…。
カフェオレの缶をぎゅうっと握る。ほんのりまだ温かい。
悲しいけれど別れよう。それが罪滅ぼしになる訳ではないだろうけれど。彼の恋を応援してあげよう。
ゴミ箱に投げた空き缶は軽い音を立てて見事に中に入った。
***
「ここを引っ越そうと思うのだが、」
その日の夕飯の最中、煉獄はふと思い出しだように言った。ああ、と名前は相槌をうつ。煉獄の茶碗が空になったのに気付いておかわりの有無を確認すると彼は頷いて椀を差し出した。
煉獄とは別々のアパートに住んでいるが、大体いつも彼の所へ名前が通っており、同棲しているような状況だった。(煉獄の家事の腕前が壊滅的だった為である。)別の女性との思い出がある家は嫌だよなあ、と名前も同じ女性として納得する。
「うん、わかった。いつ頃?」
茶碗にご飯をよそってそれを手渡す。
「三月を考えている。」
「なら、早く見つけないとね。」
大体二月にはめぼしい物件は埋まってしまうからだ。
「どの辺りに住むか?」
「私?」
何故私に聞くのだろうと名前は首を傾げた。
暫く考えて、なるべく別れた恋人とは顔を合わせたくないという事だろうと結論付ける。
「ここのままがいいな。」
「そうか。俺は勤務地がまだ分からないからな。」
「新任教師は大変だねえ。」
「この白菜の漬物うまいな!」
「そう?喜んでくれて嬉しい。柚子入れてみたの。」
にこにこと、うまいうまいといくつもの皿を空けていくのが嬉しかった。喜んで食べてくれるので作り過ぎてしまう事も多々あったが煉獄は残さないでいてくれた。手間がいくらかかってもあの笑顔が見れるなら苦ではなかった。全部煉獄が好きだったから。
きゅうと胸が苦しくなってあまり食事が喉を通らない。
「…具合が悪いのか?」
煉獄が心配そうに覗きこむ。
「ん、ちょっとね。」
「なら、片付けは俺がやるから横になっていろ。」
「ううん、大丈夫。片付けたら帰るよ。」
「…!?、帰るのか?具合が悪いなら尚更一人にならない方がいいだろう?」
俺に出来る事はあまりないかもしれないが、と少ししょんぼりと続ける。
優しいなあ。皆好きになるよなあ。私も好きだなあと噛みしめて名前は微笑む。
「大丈夫。そんな事してたら嫌われちゃうよ。」
嫌われるという言葉に煉獄は黙るしかないのだった。
***
煉獄は違和感を覚えて食器棚の前で足を止めた。皿が減ったような気がする。
「名前、食器が少ない気がするのだがどうしたんだ?」
ん?、と台所で料理をしている恋人が振り向く。
「ああ、それ、捨てたの。」
「捨てた?何故?」
大体の皿は名前が購入して煉獄の部屋に持ってきた物である。料理は見た目も大事だからとそれぞれの料理が映える物を選んでいた。冷やし中華や素麺を入れる透明なガラスに所々色が入った涼しげな水玉模様の器、餃子やたこ焼き等大量に作った際に載せる大皿。一つ一つ大切にしていたというのに。
「新居で邪魔になるでしょ?」
「持って行けばいいものを…」
それぞれに思い出が詰まっていた為に口惜しいと煉獄は思う。そんな寂しげな煉獄に名前は困ったように笑う。
「持って行ってもどうせ使わないから。」
主に使用する本人がそう言うのだから仕方ない。
新居といえば、いい物件があった事を思い出しスマホを取り出す。
「ここはどうだろう?」
タップして出た見取り図を名前は不思議そうに見つめる。
「いいんじゃないかな?」
「そうだろう!台所も広いんだ!!」
「それは料理もしやすいよ。杏寿郎は食べるの好きだからよかったね。」
最初の反応でいまいちかと思ったが合格らしい。それに一番伝えたかった事を口にする。
「同棲したいと思うのだがどうだろう?」
今も既に同棲しているようなものだが、先日のようにずっと一緒にいられる訳ではない。僅かに離れる時間も煉獄には惜しかった。断れはしないと思っているが少し緊張する。思わずスマホを握りしめてしまい、鈍く軋む音がした。
「そうだと思ってたよ。」
微笑む顔に肩を撫で下ろす。
「同棲って事は結婚が前提?」
「け、結婚?!君はそれでいいと思うのか!!?」
「うっ…鼓膜が破れる…」
「む!すまない!!」
「ボリューム下げて…」
事も無げに結婚について話を進める彼女に煉獄は赤面する。願ってもない事だ。今も名前は自分のものだがこれで書類上でも彼女が自分のものになる。
「ご両親にお話してからの方がいいよ。」
「そうだな!考えておこう!!」
大声のせいで耳鳴りがしているらしい。苦しそうな表情で耳を抑えている。申し訳ないと思いつつ、喜びと愛おしさで胸がいっぱいで、口付けをしようと顔を近付けると手で口を抑えられた。
「え?」
「…駄目だろうか?」
「ダメ…」
眉が下がる。この前からあまり名前に触れられない。
「抱きしめるのは?」
「料理中だからダメ。」
にべも無い。行き場のない手は宙を彷徨って結局何も掴めず。
***
「よもや、浮気だろうか?」
いや、彼女に限ってないと思うが、だが、と居酒屋のテーブルの上で煉獄は頭を抱える。そんな彼を横目に宇髄はビールを煽った。珍しく飲みに誘われたと思えばこれまた珍しい相談だ。
「ないない。あいつはお前にベタ惚れじゃん。お前以外に靡かないって。」
「しかしどこかおかしい。」
人の感情の機微に敏感な煉獄が言うのだから何かあるのだろう。あ、この枝豆うめえ。塩茹ではなく焼いてあるからか香ばしい。
「ここはもう本人に聞くしかないんじゃねえの?」
「うぅむ…、やはりそうか。」
「なんだよ、渋るじゃん。」
食えよと串の盛り合わせを目の前に置いてやってもなかなか手を出さない煉獄に、余程思い悩んでいるのが分かる。
「もし万が一、…億が一、他に好きな男が出来たと言われたらどうする?」
手を付けない煉獄に代わり串に手を伸ばす。
「何。諦めんの?」
珍しく弱気な煉獄に笑みが溢れる。煉獄は意地悪く笑う宇髄を睨んだ。
「…諦める訳が無いだろう。」
彼女の幸せの為に身を引く決断もあるだろうが、あの微笑みを、細い体を、他の男に渡すと考えただけで胃の腑が灼かれるようだ。
「行け行け。大丈夫だよ。当たって砕けろ!」
「砕けてはダメだろう!!」
俺は彼女と別れたくはない!とグラスをテーブルに叩きつけた。
と、いうのが約一時間前。
暗い玄関に彼女の靴は無く。
様子のおかしい彼女に問い詰めようと意気込んでいた煉獄は少し拍子が抜けた。まあ、そうか、今日は帰らないかもしれないと伝えたから仕方ない。
明かりを付けるとテーブルに小さなメモが一枚。
何とはなしにそれを見て膝から崩れる。
『今までお世話になりました。』
その一文に酔いが一気に覚めた。
何か、気に触る事をしただろうか。危惧していた通り他に好きな男が出来たのだろうか。色々な可能性が頭の中を巡るが当然ながら結論は出ず。
くしゃとメモを握り潰す。
「俺はそう簡単に諦めんぞ、名前。」
煉獄は直様部屋を出る。目指す所は彼女のアパートだ。
***
自身のアパートから徒歩十分かかるか、かからないかの道を走る。脳内はどう彼女を思いとどまらせるかでいっぱいだ。あっという間に着いてしまった部屋の前で、荒い息を深呼吸で整わせる。それを何度か繰り返し、意を決してインターフォンを鳴らす。
間を置いて外灯がパッと点き、次いで扉が開いた。
「杏寿郎?!どうしたの?」
煉獄が逆に驚く程普通に煉獄を迎え入れた。先程のメモは夢なのでは疑うが、しっかり煉獄のコートのポケットにあるので現実である。
「どうしたもこうしたも…君の書き置きを見て、」
「彼女さんの所へ行ってたんじゃないの?」
沈黙が落ちる。永遠ではないかと沈黙に先に言葉を発したのは煉獄だった。
「待て。君は俺の彼女ではなかったのか?」
「え?でも、えと、この前の子は?」
「……何の話か分からないのだが。」
「え?え?私、てっきり杏寿郎に振られたんだと、」
「俺が君を振る訳がないだろうっ!!」
「しーっ!近所迷惑だからとりあえず中に入って!」
促されて部屋に入る。久しぶりに上がった彼女の部屋に僅かに緊張してしまう。それを知ってか知らずかいつもコーヒーを淹れる所を温かいほうじ茶を出してくれた。ほう、と息を吐くと向かいに座る名前に向き合う。
「まず、俺は君を振った覚えもなければ手離すつもりもない。君が言う俺に振られたという話は何処から来たのだろう?」
「あの、実は偶然なんだけど、杏寿郎が告白されてるのを見て…、それでOKしていたから、」
煉獄は首を傾げて記憶の端を追う。黙る煉獄に名前やはり何か勘違いをしたまま。
「杏寿郎は優しいから、好きじゃなくても一緒にいてくれたんだと思うけど…。私…、私は貴方が好きだから、貴方が一番好きな人と幸せになってほしい。」
「だから、俺は君が誰よりも好きなのだが。」
困惑した表情で俯き考え込み、はっとして顔を上げる。まだ何も口にしていないが恐らくそれも勘違いだろうな、と煉獄は思う。
「まさか、…二股?」
「違う!!」
そんな目で見ないでくれ!と煉獄が言う。
「君が見たのは告白した女性に俺が了承した、という事か?」
「うん、『ありがとう』って。」
「…その後の言葉は聞かなかったのか?」
名前はふるふると首を振る。思い出したと煉獄が溜息をついた。
「俺はその後、『すまないが俺には既に恋人がいるので付き合う事は出来ない』と続けた。」
「え、え、でも、引っ越すって」
「卒業したら君と一緒に暮らしたいと考えていた。今でさえ本やら資料やらで手狭だから広い部屋に引っ越したいと思ったんだ。」
様子のおかしい彼女の謎が解けたが何という事だろう。この数分でどっと疲れてしまった煉獄は安堵の息とともに腕を広げる。
「今度こそ抱きしめてもいいだろうか?」
「はっ、はいっ」
煉獄に恋人がいると思っていた為、近頃はほとんど触れ合っていなかった。その為か初めての事の様で顔に熱が集まる。おずおずと手を伸ばすが触れてこない恋人を待ち切れず、煉獄は焦れた様子で腕を引いた。風呂上がりだったのか、ふわりといつものシャンプーの香りがする。
心底安心した。目蓋を閉じて噛み締める。
黙りこくる煉獄に恐る恐る名前が声を掛けた。
「…怒ってる?」
「そうだな、大分怒っている。」
「ご、ごめん。」
温厚篤実の彼は怒る所など見た事がない。名前は今更自分のしでかしてしまった勘違いに震える。
「好きだと、何度も何度も伝えていたのに…。こんなにあっさり信じてくれなくなるとは。」
どれ程、君を愛しているか、どうして伝わらないのだろう。
好きで好きで、本当は自分以外が触れられないよう閉じ込めておきたい。俺以外を見ないでほしい。俺だけに笑ってほしい。
「…頼む。頼むから俺の傍にいてくれ。君がいないと俺は夜も日も明けない。」
そう言い強く抱きしめる。
滅多にない弱々しい様子に、自分が彼をこうしてしまったんだと胸が痛む。けれどそれ以上に彼の傍にこれからもいれる事が嬉しい。
「うん、私も貴方に隣りにいてほしい。」
煉獄はその言葉にやっと笑顔を浮かべる。願望への答えは蕩ける様な甘い口付けで。
***
こう致命的に擦れ違うのって好きなんです。この後散々お仕置きせっするのも、仲直りせっするのもいいと思います。