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「好き」

 あり得ない。自己評価が低いとか、自分に自信がないとか、幼馴染みに口うるさく言われてきた私の悪いクセ以前の話だ。
 突然声をかけられたかと思えば、名前だけはよく知っているその顔に一瞬息が止まった。どうにかしたいと常々思う生来の人見知りもまあ人並み程度で、初対面の人とまともに会話が出来ないほど酷いわけじゃ無い。事務的な事くらいは笑顔で対応できる。
 だがしかし、今回ばかりは訳が違う。

 及川徹。華やかなルックスと、強豪青葉城西のバレー部主将の素質を兼ね備えた校内一の有名人。一度だって同じクラスになった事は無いが、その顔と名前と、あとちょっとした色恋の噂くらいは、疎い私の耳にだって入ってくる。
 けれどやっぱり、話したことは一度も無い。

「は……」

 先ず初めに振り返ったことを後悔した。「好き」と言う耳慣れない甘酸っぱいワードに無意識に反応してしまった軽率さを恨み、更に相手が校内一のイケメンだと分かった途端、あまりの分の悪さには目眩すらした。何でこうもついていないのか。今日の星座占いは中々の成績だったし、ガーゼのハンカチという手頃なラッキーアイテムも運良く持っている。まあ所詮ただの星座占い、17年も生きていればテレビ画面の向こうで笑顔を振りまく女子アナが、軽快な声で告げる1位から12位の序列に規則性があることぐらいは知っていた。
 とは言え、告白されたと勘違いした上に相手があの及川徹って、最悪だ。ビリの双子座ですらきっとこんな痛い目は見ていない、筈。

「ちょっ、待って!」

 周囲の視線が私を捉える前に。そう思って素早く前に向き直り、さっさと渡り廊下を抜けて校舎に入ろうとした瞬間。腕を引かれたかと思えば、其の反動で体がくるりと及川徹に向き直った。
 自然と上を向いた視線が、私の「及川徹」というイメージに似つかわしくない真っ赤な顔を捉える。

「好きです」

 ゆっくりと、噛みしめるように。
 真っ赤な顔の中心で大きな茶色い瞳が此方を真っ直ぐ見据えていた。私が指先の一つでも動かせば直ぐに逸らされてしまいそうだ。だからか、もしくはあまりの唐突さと現実味の無い状況に驚いてか。それこそ身動きすら取れずに呆然と及川徹の顔を眺め続けていると、耐えきれずと言ったように逸らされた顔が横を向く。見せつけられた形の良い耳も、やっぱり赤い。

「そんなに見られると、流石に恥ずかしい……です」
「はぁ……」

 乙女か。身長180超えらしい大男を前に恥じらう可愛らしい女の子の姿を重ねかけて、寸前でやめた。
 空いた片方の手で口を覆い隠し、視線を逸らすその姿は確かに様になっていて、後輩が及川徹の一挙一動に黄色い声を上げる理由が何となく分かった。何か今、この瞬間を少しだけ切り取りたいような、そんな気分。

「あの……#name#ちゃん?」
「あ、はい」

 あ、私の名前知ってるんだ。妙なところに気を取られた。だって意外だ。校内一有名な及川徹が、何の取り柄も無いただ同じ学年ってだけの女子生徒の名前を知っているなんて。誰かに聞いたのかな、なんてぼんやり幼馴染みの顔を頭に思い描いていると、視界の中で整った顔が不安そうな表情を形作る。あれ、今何をどうしてこうなった。

「え、あの、それ私であってます?」
「ん?」

 #name#なんて名前別段珍しくも無いし、現に同じ名前の子が同学年に3人居る。名前だけ合っていて顔を間違えるなんて変な話だが、可愛いと有名な1組の#namae#さんの方が今の状況にはしっくりくるんじゃないか。

 要するに、信じられない。

 及川徹は寸の間ぽかんと間抜け面をしてみせたあと、「なまえ#name#ちゃんだよね?」と焦ったように確認を取り、私がちいさく頷いたのを認めるとほっと安堵してから「なら合ってる」と笑った。
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