■ ■ ■

 残りあと5分。

 手近に置いたスマホを眺めて君は言った。カップラーメンを作るために設定したタイマーが、無機質に3分の経過を伝えるような、そんな何の感慨もない声だった。

 5分。300秒。それだけの時間で一体何が出来るだろう。
 退屈な現代文の授業中、机に突っ伏してチャイムが鳴るのをぼんやりと待ったあの5分。あと一問、空白の回答欄を埋めるために必死になったあの5分。君と向き合い、お互いに課せられた日誌の欄を埋めていたこの5分。
 全部、同じ5分。

 今更悔やんだって仕方ないじゃない。再び無機質な声。
 顔を上げれば君の視線は窓の外だった。開け放たれたそこから肌を刺すような冬の風が舞い込み、君の髪を揺らしている。
 悔やむ。悔やんでいるのだろうか、僕は。当たり前にある物事の限度にも気付かず浪費してきた時間を振り返れば、自然と君の言葉は腑に落ちた。
 やりたいことは沢山あった。行きたい場所も沢山あった。食べたいものも、始めたいスポーツも、登りたい山も、見たい景色も、沢山、たくさんあった。それでも僕は数え切れない5分の積み重ねを、スマホ片手にベッドの上で無意味に過ごしてきた。それは、確かにかつての僕の選択だった。間違いない。
 なのに、今になって思い浮かぶ心残りは全部、5分ぽっちで済むようなものじゃない。

 残りあと3分。

 ついにカップラーメンの一つも満足に作れないね。
 酔狂な誰かが24時間前に開設したらしいサイトのタイマーを見ながら、君は呟いた。

 あと3分で世界は終わる。

 最初は小さなものだった。とある予言者がとあるバラエティー番組で口にしたらしい。勿論、番組のパーソナリティーやらタレントやらは大げさなリアクションでその胡散臭い予言に驚いて見せたが、本気で信じた人なんて誰一人居なかった。それに、そう言った類いの予言は今までにもいくらだってあったのだ。ノストラダムスだとか、マヤだとか、聖書だとか、はたまた聖徳太子だとか。タイムリーな話、予言の一つによれば去年にも世界は終わるはずだった。やっぱり、それも空振りだったけれど。
 事態が変わったのはそれから間も無い頃、一人の天文学者が近々巨大な小惑星が地球に衝突する可能性があることを示唆してからだった。これが無名の学者による戯言であればよかったのだけれど、よりにもよって世界的な権威を持つ学者が発信源であったが為に、世界各国から集められた有能な学者達が即座に研究にあたることとなった。それからというもの、地学者、科学者、歴史学者、数学者……世界中のありとあらゆる専門家達が口々に同日同刻の世界滅亡を宣言し始めた。滅亡の要因は三者三様、一貫性のないものであったけれど、冗談のような、それでいて気味の悪い異常事態に、序序に無知な僕たち民間人の間にも恐怖と不安は浸透していった。
 就職者数は減り、退職者数は増えた。旅行者数は増え、景気は僅かに向上した。自殺者数は減り、今日も通勤ラッシュの電車がスムーズに大量の人間を運ぶ。
 予言を信じる人とそうじゃない人。僅かに後者の方が勝っているだろうか。世界滅亡を前にして、今日も今日とて僕たちは退屈な授業のために残された時間の大半を割いてしまった。
「世界は終わると思う?」
 口を付いて出た質問に、君は暫く何も言わなかった。引き結ばれた朱色の唇が少し何かを考えるように歪んで、そして薄く開く。
 分からない。
 よくよく考えて、それでも分からないといったような口振りだった。
 僕も、正直分からない。正気な人間ならこんな馬鹿げた話1ミリだって信じたりしないのだろうけど、それでもほんの少しだけ「もしかしたら」と思ってしまうのは、多分どこかで期待しているから。
 日が沈むと同時に世界が沈黙し、直径10キロメートルの隕石でも、世界中の山々が崩落するほどの地震でも、生命が全て洗い流されてしまう程の大雨でも、何でも良い。この退屈な時間のサイクルに終止符が打たれることを、僕は心の隅で密かに願っていた。
 恐怖と、後悔と、そしてほんの少しの期待。自分がとんでもないサイコパスのように感じられる反面、誰もが大なり小なりそんな願望の破片を持っていることを自分一人が知っているかのような、そんな達観した気持ちが訳も分からず胸の内で首を擡げた。

 残りあと1分。

 君はスマホの側面を指先で撫でると、静かに電源を切った。
「ねぇ」
 視線を上げれば、君はまた窓の外を見ていた。校庭で部活動に勤しむサッカー部を見ているのか、それとも濃紺の空の向こうで今にも消えようとしている太陽を見ているのか。僕にはよく分からない。
「手、繋いで」
 平然と発せられた言葉に僕は驚いた。
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