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「こんなとこで何してんの」
何となく目の前で人が立ち止まった気配だけは感じていたが、まさか声をかけられるなんて思ってもみなくて。今しがたやり取りをしていたトークアプリをそのままに、驚いた表情を取り繕う暇もなく顔を上げれば、長身の男が不機嫌そうな面持ちで私を睨んでいた。
聞き覚えのある声と目の前の顔がようやくリンクし、緊張とともに強張っていた表情筋が少し緩む。
「及川こそ、何してんのよ」
「デート」
「誰と、透明人間?」
「ちっがうし!!彼女だよ!今から待ち合わせなの!!」
デートという割に及川が女の子を連れている様子はなかったのでふざけてみたが、そうか待ち合わせか。
田舎とは言え、デートスポットが周囲に点在しているこの駅は他と比べたらかなり活気がある方で人も多い。誰かと待ち合わせるのなら、まず最初に名前が挙がるのはこの駅前に設置されたちゃちな噴水。地元民の常識である。
だからまあ、ここにいる以上は知り合いの一人や二人会う覚悟はしていたけれど、まさかそれが及川だなんて、1ミリも意識になかった。
チラリと時計を見れば11時10分前。待ち合わせをする度、1秒だって待たされたことがなかったのをふと思い出した。
「で、お前は?」
「見てわかんない?」
「あぁー……デート?」
「正解」
滅多に履かないヒールの踵をカツカツと鳴らせば、及川は納得したようだ。日曜日だからか、どこのベンチも空きがなくて仕方なく噴水の囲いに腰掛けていた私の横に、少し距離を置いて座った及川が「今日は随分お洒落さんなのね」と携帯を見ながら言う。
「そう?」と曖昧に返してみたものの、確かに意識はしていると思いながら薄い生地のワンピースに目を落とす。
大学に入ってから急激にキラキラし始めた女の子達に遅れを取らないよう、願望どころか興味すらなかった化粧を慌てて始めてから私は随分変わった。自分を良く見せようと奔走する女の子達に嫌悪感さえ抱いていた頃もあったが、手っ取り早く見てくれを良くする方法を知ってしまったのは大きい。
相変わらずスカートは慣れないし、ヒールのサンダルは靴擦れが酷くてやっぱり好きにはなれない。それでも、可愛くなりたいという欲だけは高校時代に比べて確実に膨らんでいた。多分、及川が言いたかったのはそういう事なんだろう。だって、当時は違った。
「彼氏は?」
「同じ大学。及川も知ってるんじゃない? 烏野でセッターやってたって言ってたから」
「え?! まさか飛雄?!」
「違う、菅原孝支」
「え……もしかして爽やかくん?!!」
爽やかくんってなんだその名前。「は?! タイプ全然違うじゃん?!」と喚く及川を尻目に携帯を眺めながらため息を吐く。まあ確かに、あんた全然爽やかじゃないもんねと返せば、軽く肩を小突かれた。
「え、意外……なんかお前ってもっと軽い男が好きなのかと思った……」
「及川みたいに?」
「ほんと可愛くない」
でも確かに、及川の言う通りかもしれない。大して男性経験など無いが、それでも何となく目が向く男の子は大体髪色が明るくて、話の内容もさして中身のない、少し馬鹿っぽい感じの子。
その点及川はイレギュラーだった。見た目こそ軽薄だが、それとは裏腹に中身が堅実で一途である事実を知るのにさして時間はかからなかった。
「好きなの? 爽やかくんのこと」
「なんで?」
「何となく」
何の話か。お互い携帯の画面に視線を落としたまま続けられる会話の意図を少し掴み損ねそうになって、でもギリギリで小指に引っかかった気がした。
心配、なのか。いや、よく分からない。それでも、もう二度と同じ過ちを繰り返すものかと心に決めて、もう2年が経つ。
「好きだよ」
少し遅れる。手に伝わる振動とともに画面に浮かんだ文字と、ごめんねと泣く可愛いクマのスタンプ。それさえも息が詰まるほど無性に愛おしく感じられるなんて、多分もう末期だ。
「好きすぎて、死にそう」
「何か惚気られたんですけど」
「あんたが聞いたんじゃない」
大丈夫、待ってる。そう返してアプリを閉じる。
ホーム画面の時計を見れば10時58分。
「でも本当に、結婚したいと思うくらいに好き」
「マジか」
「え、及川は違うわけ?」
「え?!」
まさか自分の恋愛観を聞かれるとは思っていなかったのか、及川は虚を突かれたようにギョッと目を丸めると、あーとかうーとか言葉ともつかない唸り声をあげて数秒。考えに考え抜いた結果なのか、「分かんない」と眉を顰めて答えた。適当に答えておけばいいものを、何でこう変なところで正直なのか。
「まぁ、普通はそうだよね」
でなきゃ「結婚を前提にお付き合いしてください」なんて台詞が生まれるはずがない。
「なに、お前はいっつも相手と結婚したいと思ってから付き合ってるわけ?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
歳も歳なため、当たり前だがまだ結婚という通過点を強く意識したことがない。
けれど、確かに思う事があるのもまた事実だった。
「ずっと傍にいたいから、だから最終的に結婚するんだろうなって」
私の一存で物事が回るわけじゃない。もちろん相手の気持ちが私から離れてしまえばそれまでだし、それは私一人でどうにかなるものでもない。だから、私達は上手くいかなかった。
後悔しているかと聞かれれば、していない。もっと私達がお互いに素直だったのなら多分今でも隣にいて、及川が今待っているのは知らない彼女じゃなくて私だった筈。けれど、現実はそうじゃない。及川と私は偶然駅前の待ち合わせスポットで出くわして、お互い違う誰かを待っている。
それでも今、私は確かに幸せだ。
「及川に好きって言えなかった分、今言ってる」
「何その報告」
「さあ」
揶揄うように笑って見せれば及川は不機嫌そうに口を尖らせたが、少ししてから「よかったね」と小さく笑ってくれた。
「俺、そろそろ行くから」
「彼女さん来たの?」
「うん、今駅着いたって」
改札前に移動すると言って立ち上がった及川を見上げる。
「あ、あと言い忘れたけど」
少し歩いてから振り返った及川との距離は座っていた時とさして変わらない。
及川の目が真っ直ぐ私を捉えた。
「俺、お前と結婚すると思ってた」
思ってもみなかった言葉。何とは無しに言われたそれはその態度からは考えられないほどの威力で、私に衝撃を与えた。何というか上手く理解できない。こんなに驚いたのは高1の夏、それこそ及川に告白された時以来だ。顔を真っ赤にしておきながら「付き合ってあげる」と偉そうに言われた時は更に驚いたけれど。
「したいかしたくないかは別として、結婚するんだろうなって、思ってた」
そんだけ。そう言って踵を返した及川は、駅から流れ出る人混みに紛れていった。
ぽつりと一人残された私の手の中で再び携帯が震えた。画面を見れば、もうすぐ着くとメッセージが一つ。
「早く来て」
そう送って電源を落とした。無性に会いたくて、会いたくて仕方がない。もう此処にはないかつての愛情を知って、今まで素直な感情を伝えてこなかったことに初めて後悔した。だから、今度はもう間違えたくない。
2017.08.06