アラクネーという女

「これは一体どういうこと?」

無表情を装いながらも、シルビアは内心穏やかではなかった。というのも、組織内部において最大の禁じ手とされる麻薬に手を出し、利益を得ようとする構成員が後を絶たないためである。

ディアボロに代わり新しくパッショーネのボスとなったジョルノ・ジョバァーナは、組織内部の腐敗を食い止めるべく全面的に麻薬取引を禁止した。しかし甘い蜜の味を知っている構成員たちが就任して間もない―それも齢15の少年に素直に従うわけもなく、新生パッショーネとして一年が経った今でも根絶には至っていないのが現状である。
そこで暗殺チームの一員であり、パッショーネ本部―かつてのブチャラティチームとも何かと親交があるシルビアが、旧体制下の悪しき伝統である麻薬を根絶するため日々駆り出されているのだ。

とはいえ、何度も同じ質問を繰り返し、相手が口を割るのを待つというのは時間も気力も必要になってくる。それも大した情報ではないことの方が多く、さすがに暗殺チームで最も気が長いと自負しているシルビアにも疲れが見え始めていた。
そんなわけで、現在シルビアの苛立ちは最高潮なのである。

「これは一体どういうことかって聞いてるんだけど」

語気を強めて同じ質問を繰り返しながら、透明な袋に入った白い粉をボルドーで彩られた爪が叩く。カツカツと一定のリズムで動く爪は彼女の苛立ちを表しているようだ。

「うちでコレはご法度。まさか知らないわけないでしょ?」
「おいおいお嬢ちゃん、まさかコイツから手を引けって言うのか?」
「さっきからそう言ってるのがわからない?」
「簡単に言うが、今更そんなこと出来るわけないだろ。こいつがどれだけ莫大な利益を生み出すのか上の人間は知ってんのか?それも交渉するのがこんなお嬢ちゃん一人とは、たまげたもんだぜ」

話が通じない相手を前にしてぐりぐりと右の米神を指で押さえる。

「言っておくけど、私が貴方にしてるのは交渉じゃなくて命令。ついでに今の時点で質問は既に拷問に切り替わってる」
「…なんだと?」
「交渉じゃないから貴方の意見は必要ない。さっきから私はこれを"誰"から仕入れたか聞いてるの。さっさと答えて」
「この女、黙ってりゃ調子に乗りやがって……!」

激昂した男が歯ぎしりをした次の瞬間、男の背後に控えていた部下がシルビアに銃口を向け、二人をぐるりと囲うようにスーツを着た数名の男たちが姿を現した。しかしその男たちを気にすることもなく、真っ直ぐ目の前の男だけを視界にいれたシルビアは身を乗り出して男に詰め寄った。

「これの入手先。言うの?言わないの?今なら半殺しくらいにしてあげるけど」
「ッ撃て!早く殺せェ!」

苛立った男が立ち上がって合図する。しかし周囲の人間は一向に動く気配がない。

「おい何やってんだ!いいから容赦なく撃て!この俺が女に舐められてたまるか!」
「そ、それが無理なんです!体がピクリとも動きません…!」
「なんだと!?」

顔を赤くした男が周囲を見渡せば、部下たちは一人残らず不自然な体勢のまま固まっていた。
続いて拳銃やナイフなどの武器がそれぞれの手を離れて床に落ちると、男達は一斉に苦しみだす。その異様な光景を前にして、強気だった男の顔が不安そうに歪む。

「こ、今度はなんだ!」
「ぐうぅ……ッ!ッく、くび、が……っ」

見れば部下たちの首元は何かに絞められているようだった。しかし肉眼では認識できず、その正体が何かはわからない。首の薄い皮膚が切れて血が流れると、男たちは息ができない苦しみと体が動かない二重の恐怖から、獣のように低い声を上げてもがき始めた。

状況が理解できないものの、目の前で起こっている不思議な現象が全てシルビアの仕業だと気付いた男は先程の強気な態度とは打って変わり、テーブルに両手をついて震える声で懇願した。

「頼む、やめてくれ…!か、金なら払う!3000…いや、5000万リラでどうだ!?上にとっても悪い話じゃねぇはずだ!」

シルビアが呆れたように肩を竦めた瞬間、苦しんでいた一人がドサリと音を立てて崩れ落ちた。続けて一人、二人と倒れていくが、膨れ上がって鬱血している顔のどれもが苦痛と恐怖に歪んでいる。

「ひいぃぃっ!たっ、た…助けてくれぇぇぇ!」

男は絞殺されて事切れた部下を見て悲鳴をあげながら逃走を図ったが、数歩進んだところで足が縺れ、勢いよく床に転倒した。

「ぐっ…」

痛みと恐怖で顔を引き攣らせる男の耳にヒールの音が響く。恐る恐る顔を上げれば、温度の無いアンバーの瞳が男を見下ろしていた。

「最後のチャンスをあげる。あれは誰から入手したもの?」
「っ…――だ…」
「なに?」
「名前はロナンド・ボンフェローニ…っ噂じゃカルローニの麻薬チームだって話だ」
「…そう」

一言呟くとシルビアはくるりと男に背を向け、ジャケットからマッチ箱を取り出した。側面で擦って火が点いたのを確認すると、机の上に広がる大量の麻薬にマッチ棒を落とした。

じわじわと広がる火を見降ろすシルビアの後ろで、床に座り込んだままの男がジャケットの内側からグロックを取り出した。しかしそこで異変に気付き、顔を曇らせる。

「な、なんで体が勝手に…」

確かに頭ではシルビアの背中を狙っているはずなのに、なぜかグロックは自らの側頭部に当てられている。自分の体なのに、まるで体と頭が別物になったような恐怖が男を襲う。

「ひっ…はッ…」

あまりの恐怖から、呼吸すらままならない男にシルビアが振り返る。

「残念だけど、ここは全員始末しろって命令なの。素直に情報を教えてくれたことに免じてせめて楽にいかせてあげるから」
「や、やめろ…やめてくれ…った、頼む…俺にはまだ家族が、」
Arrivederciさようなら

シルビアの美しい顔がようやくにこりと微笑んだ瞬間、倉庫内部に破裂音が響いた。