リーダーとアラクネー

仕事部屋でパソコンと向かい合っていたシルビアはタイピングしていた手を止めると、大きく息を吐いて脱力したように背もたれに体重をかけた。

「ロナンド・ボンフェローニね…」
「その様子だと偽名だったようだな」
「まあハナから期待はしてなかったんだけど」

言いながら向かいに座るリゾットに苦笑を浮かべる。

「ただやっぱり今回のことにカルローニが絡んでるのは間違いないと思う。さっきギアッチョから飛んできたメールにもカルローニの名前があったし、同じような報告がいくつも来てる」

カルローニと言えばここ数年の間に麻薬取引で力をつけてきた新興勢力である。
ローマを拠点に活動していたはずだが、近頃ではパッショーネが取り仕切るネアポリスでも頻繁に報告が上がっていた。

「とりあえずジョルノには報告したけど、近いうちにこっちでも動くことになるかも」
「わかった。詳しいことが決まったらまた教えてくれ」
「了解」

頷いたシルビアがバツ印をクリックしてページを落とすと、リゾットが掛け時計を見上げた。

「そろそろ休憩するか」
「じゃあ私コーヒー持ってくるね」
「ああ、頼む」

仕事部屋を出たところで、シルビアはリビングから出てきたソルベとジェラートに出くわした。

「あれ、2人ともどこか行くの?」
「ああ。新しく出来たカフェテリアのティラミスが美味いって聞いてな」
「行ってみようと思ったんだよ」
「それって花屋の向かい側の?」
「そうそう。美味かったらシルビアも一緒に行こうな」
「約束だぞ」
「うん、約束。気をつけてね」

玄関に向かう2人を見送ったシルビアはリビングに向かうと、キッチンの棚からカップを2つ取り出し、エスプレッソマシンにセットしてボタンを押した。
シルビアはハンドドリップでコーヒーを入れるのも嫌いではなかったが、セットして数秒で自動的にコーヒーが出来上がる便利さを知ってからは専らマシンに頼りっきりだった。
完成したエスプレッソをソーサーにセットしてお盆に乗せると、続いて戸棚の奥からブリオッシュが詰まった袋を取り出す。ちなみにこれはプロシュートやホルマジオが買ってきたものだが彼ら自身が口にすることは滅多になく、全てシルビアのためにと購入されたものである。
先日より増えているところを見るとまた新しく購入してくれたらしい。
シルビアはその中からオレンジフレーバーのマフィンを2個取り出すとカップの隣に並べた。

「お待たせ。ブリオッシュも食べる?」
「それはシルビアのだろう」
「まだいっぱいあったから平気」

リゾットの前にコーヒーカップとマフィンを並べると再び向かい側に腰掛けた。

「あいつらも大概シルビアには甘いな」
「マンモーナはとっくの昔に卒業したのにね」
「そうだったのか?」
「リゾット」
「すまん」

謝罪している割にどこか楽しそうなリゾットにシルビアが肩を竦める。

「だがお前はここに来た頃からしっかりしていたからな。逆にこっちが不安になったくらいだ」
「リゾットは期待してくれてた?」
「シルビアの能力を見た時に、これは使えると思ったのは事実だ。そういう意味で言えば期待はしていたな」
「そっか」

呟いてブリオッシュを口に運ぶと、ふんわりとしたオレンジの香りが口全体に広がった。
美味しいと顔を綻ばせるシルビアを見ながら、リゾットが昔を思い出すように呟く。

「あれからもう10年か」
「私も年を取るはずだよね。最近は若い頃と比べて肌ツヤもなくなってきたし」
「お前は今でも十分綺麗だろう」
「ありがとう。リゾットも変わらないね」

笑い合うと再びコーヒーに口を付ける。

「確かに昔の俺はシルビアのことを一人の暗殺者として使えると思っていた」
「うん」
「だが今では、例え能力を失い暗殺者でなくなったとしても、お前を必要な存在だと思っている」
「それはただのお荷物じゃない?」
「シルビアが思っている以上に、俺たちにはお前が必要なんだ」
「…そっか」
「ああ」

視線を逸らして呟いたシルビアが持ち上げたコーヒーカップをなぞると、それに気付いたリゾットが小さく笑う。
彼女がこのような反応を示す時は大抵が照れ隠しであった。
さすがに10年も一緒にいれば互いの癖はわかってしまう。

「実際、俺たちはお前に救われているからな」
「それはさすがに大袈裟じゃない?」
「いや、そうでもないさ。お前の働きかけがなければ、俺たちはブチャラティのチームと対立していただろうからな」

リゾットの言う通り、シルビアはいち早くチーム内の不満に気付き、同じくボスのやり方に疑問を持つブチャラティに協力話を持ち掛けた。
報酬を上げるためには麻薬のルートを抑えるのが手っ取り早いと考える暗殺チームと、組織内の麻薬取引を根絶したいブチャラティ。
仕事内容やチームの性質はもちろん、仕事に対する価値観や見返りも大きく異なる両チームの斡旋は中々に骨が折れるものだった。
細かな部分については意見が衝突することもあったが、ボスを倒すという最終目的が一致したために両チームは協定を結び、現在の新体制を作り上げることに成功したのだ。

しかしシルビアはてっきりチームリーダーであったブチャラティがボスの座に着くと思っていたのだが、彼は当時まだチームの新人であったジョルノをボスにと推奨した。
なぜ彼がジョルノをそこまで評価するのか疑問に思っていたが、それは彼を見ていくうちに自然と理解していった。とても15歳とは思えないジョルノの先見の明やカリスマ性にはシルビアも大層驚いたものである。同時に彼女は、ブチャラティの判断が間違っていなかったことを知った。

そんな経緯もあり、かつては冷遇されていた暗殺チームも現在では本部の直轄下に置かれそれなりの待遇を受けている。

ディアボロ亡き後の組織を建て直していた頃は頻繁に本部に通っていたシルビアだったが、ジョルノの手腕とブチャラティの補佐もあってか、現在では本部に顔を見せる機会もめっきり減っていた。
簡単な内容であればわざわざ足を運ばずともメールで済んでしまう。

「たまには本部にも顔を出さないとね」

懐かしむ様に目を細めたシルビアを見て、リゾットが口を開いた。

「シルビア、お前はここにいて後悔していないのか?」
「どういうこと?」
「ジョルノがボスになってから本部の方に声をかけられていたのだろう」

驚いたようにアンバーの瞳がぱちくりと瞬く。

「知ってたの?」
「ああ」

シルビアが観念するようにソーサーにカップを戻せば、静かな部屋にカチャリと音が響いた。

「本部の方からこっちに来ないかって誘われてたのは事実だけど、元々私は暗殺チームの人間だからね。みんなに要らないって言われたらそれまでだけど、そうじゃない限り私はここを出ていくつもりはないよ」

シルビアが苦笑いを浮かべてそう答えれば、リゾットはどこか安心したように表情を和らげた。
立ち上がってシルビアの隣に置いてあるお盆にカップを戻す。

「変なことを聞いてすまなかったな」
「ううん、大丈夫」
「しかしお前を引き留める奴はいても、追い出す奴はさすがにいないだろう」
「そうだと嬉しいけどね。もしかしてリゾット、ずっと心配してくれてたの?」
「まあ、心配と言えばそうだが」

真っ直ぐに見つめてくるリゾットにシルビアが不思議そうに顔を上げた。
秒針の音だけが響く部屋の中で、まるでそこだけ時が止まったかのような空気が流れる。

シルビアに目線を合わせて屈んだリゾットが手を伸ばすと、小さな体がびくりと跳ねた。そのまま優しい手つきで栗色の髪を耳にかけ直すと、シルビアは白と黒が逆転した瞳を不安そうに見つめる。

「シルビアと離れたくないと思ったんだ。チームとしては勿論だが、俺個人としてもな」

その言葉を聞いた瞬間、シルビアは驚いたように目を見開いた。
しかしその言葉の真意に気付くと驚いていた表情が次第に強張り、リゾットの視線から逃れるように目を泳がせた。

その時、開いたままだったシルビアのパソコン画面が軽快な音を立てて新しいメッセージの受信を知らせた。
ハッとしたシルビアはリゾットの手を避けるように立ち上がると、音を立てながらコーヒーカップをお盆に移した。

「私、これ下げてくるね」
「ああ」

耳を赤くして慌てて部屋を出ていくシルビアを、リゾットは穏やかな表情で見送った。