下自ら蹊を成す

談話室から出た零圃は通路の突き当りにある大きな扉の前に立っていた。重厚な扉を開いて足を進めれば、奥には巨大なモニターが設置されている。その前に並べられた幾つもの椅子から見ても、恐らくここは会議室に当たる部屋だろう。
そこで零圃は正面から見て左側に扉があることに気付いた。入口の半分程の扉の前に立ち、小さなガラス窓の奥に見知った人物を見つけるとドアノブに手を掛け押し開く。ギイ、と扉が開く音に気付いた阿伏兎が顔を上げた。

「副団長様は大変だな」
「誰かと思えば零圃か」

机に積み上げられた書類は本来であれば神威が処理するものなのだろう。阿伏兎の苦労の一部を知り、思わず苦笑を漏らす。

「どっかの団長が好き勝手に人材を補填した言い訳でも考えてみろ」
「それは悪いことをした」
「ったく、ちょっとはオジサンを労われってんだ」
「まあ、受け入れてくれた恩は返すさ」

扉のすぐ隣に立てかけられていたパイプ椅子を手に取り、山と化した書類の前に設置する。一人分の作業が出来そうなほどのスペースを開けて椅子に腰掛けると、山の奥から何か言いたそうな目で阿伏兎が見ていることに気付いた。

「どうかしたのか?」

疑問をぶつければ一度小さな溜息を吐いた彼は再び手元の書類に視線を落とし、見慣れた気だるげな表情を浮かべながら作業を再開した。

「お前さん、本当に大丈夫か?」
「何がだ」
「ここは宇宙海賊春雨だぞ」
「…それは他へのリークに関してか?それとも私を案じて?」
「春雨内部の情報が漏洩したところで俺達の仕事は変わんねェよ。後者だ、後者」

団長絡みのことで多くの問題を抱えているとはいえ、彼自身も中々に損な性格らしい。いつだったか「副団長は第七師団のオカンっスよ」と笑っていた儁乂を思い出し、苦笑を浮かべた零圃は苦労人に目を向けた。

「心遣いは有り難く受け取るが、残念ながらそれは大きなお世話というやつだ。いくら勝負に負けたとはいえここに来たのは自分の意思。ただ純粋にあの男が進む道を見てみたいと思ったからだ」
「…そうかい。なら俺はもう何も言わねェよ」
「阿伏兎は人の心配より、自分の心配をしたらどうだ?」

零圃はそう言って山の上から一枚の書類を手に取り阿伏兎の前に掲げた。そこに記された締め切りは一週間前の日付。勿論、署名欄には何も記入されていない。それを見た阿伏兎は額に手を置くと大きな溜息をついた。

「至急この書類捌いてくれ。出来るか?」
「ああ、任せろ」

その後、驚きの事務処理能力を発揮して書類を片付けた零圃は感激した様子の阿伏兎により、正式に第一部隊隊長兼副団長補佐役に任命された。後者の主な仕事は書類仕事と団長のお守りだとか。むしろそれ以外に仕事はないらしい。

凝り固まった体を解しながら長い廊下を進み、分岐点に出た零圃はぴたりと足を止めた。どうやら聞くところによると、五本の通路はA〜Eまでのアルファベットが振られており、共同スペースの多い左の通路から時計回りにA通路、B通路、そして零圃の部屋があるC通路以降E通路までは居住スペースとなっているようだ。零圃は少し考える素振りを見せるとB通路に足を進めた。

ここもA通路と同じようなつくりだが、あちらとは違って全く人の気配がない。扉の上に掛けられている札を見ても武器庫や資料室など、確かに人の寄りつかなさそうな部屋が集合している。その最奥、A通路における会議室に辿り着いた零圃は引き戸に手を掛けた。長い間使われていなかったのか、ガタン、と重みのある音を立てながら開いた扉の奥を見て、零圃は翡翠色の瞳を見開く。

「これは…」

広々とした機械的な空間の正面に位置するのは大きな窓ガラス。半円ガラスの奥には宇宙空間が広がっており、散らばる星々が零圃を誘うように煌めいている。導かれる様にガラスの前に立てば、より一層瞬く星が視界一杯に飛び込んできた。一日の大半を宇宙で過ごす春雨師団員にとってはたいして珍しいものではないが、零圃にとって宇宙を航行するというのは人生で初めての経験である。長い間地上で、しかも豊かさとは無縁な星で生活していた彼女の視界には酷く美しい幻想的な世界として映った。そっとガラスに触れた瞬間、指先についた埃に苦笑を漏らす。

「…今度掃除でもするか」

名残惜しそうに背を向けた零圃は今度こそ自室を目指して歩き出した。



***



「あ、お帰り。遅かったね」

視界に飛び込んできた光景に目を瞬かせ、一度扉を閉めて部屋の位置を確認する。が、どうやら隣と間違えたというわけではなさそうだ。突き当たりから二つ目の部屋。間違ってはいない。再び扉を開けて中に入れば、さも自分の部屋のように寛いでいる神威の姿があった。見間違いではなかったことに肩を落とす。

「一応聞くが、ここは誰の部屋だ?」
「つい数時間前に零圃の部屋になったでしょ?」
「だったら何故他人が当たり前のように寛いでいる?」
「暇だったから」
「理由になってない」

尤も言ったところで聞く男ではないが。それをこれまでの旅路で重々承知している零圃はもう諦めたとでも言うように部屋に入った。静かな部屋に鳴り響く軽快な電子音を辿って目を向ければ、それは神威が手に持っている機械から聞こえてくる。手元に目線を向けたまま、傘を取り外して壁に立てかける零圃に疑問を投げかけた。

「で、どこ行ってたの?』
「一番隊隊長兼副団長補佐役としての仕事を全うしてきた」
「あり、早速阿伏兎にお気に入り認定されたの?俺も誘ってくれればよかったのに」
「トラブルのもとを引き連れていく馬鹿がどこにいる」

言いながら床に座り込む神威の前を通って簡易ベッドに腰掛ける。固いマットに触れながら購入すべき寝具を頭の中で考えていれば、クエストクリアを知らせる軽快な音楽が鳴り響いた。

「…モンハンなら自分の部屋でやれ」

呆れた零圃が不法侵入者に目を向ければ意外そうに開かれた青い瞳と視線が交わる。

「零圃ってさ、あんな星にいた割に物知りだよね。阿伏兎に補佐を命じられたってことはデスクワークもできるんでしょ?」
「情報は武器だとワンパークのジャッキーも言っていただろう。あんな辺鄙な場所だからこそだ」
「じゃあ俺の仕事も減るってわけだ」
「正確には阿伏兎の仕事だが」

そう言えばふと顔を上げた神威と視線が交わる。珍しく真顔な彼をじっと見つめれば、にこりと笑顔を向けられた。

「言っとくけど、零圃は俺のだからね」
「ああ、それを今実感している」

神威と出会ってからというもの不法侵入にストーカー、パワハラにまで悩まされているのが良い例だ。直ちに人権を要求する。すると突然PSPを床に置いて立ち上がった神威がベッドに手をつき零圃に手をのばした。驚いて目を見開いた瞬間、真っ直ぐに伸びてきた手は脇腹の少し上に移動し…容赦なく、折れた肋骨に触れた。

「いっ…!」

瞬間、鋭い痛みが走る。咄嗟に歯を食い縛ればすんなりと手は離れていった。

「そこ、本当はまだ完治してないんでしょ?」

そう言って笑う神威にひくりと頬を引き攣らせる。

「気付いてたのか」
「いくら頑丈な夜兎とは言え、完全に折れてたら治すにもそれなりの時間が必要になるからね。仙豆でも食べない限りそんな早く治らないよ。まあ、他の生物よりは断然早いけど」

そう言って再び手をのばそうとする神威の手を叩く。…というか、わかっていながら何故今触った?そんな気持ちで恨めし気に神威を見上げれば、何を考えているのかわからない諸悪の根源はにこりと笑って言った。

「早くその怪我治しなよ」