仕事部屋を後にして長い通路を歩いていた零圃は微かに感じた気配にぴたりと足を止めた。
かと思えば突然後ろに振り返り、元来た道を全速力で駆け抜ける。右手を後ろに回し得物を引き抜きながら長く続く通路を曲がり、その先に向けてすぐさま番傘を構えた。――が、そこには何もない。用心深く上下左右に鋭い視線を飛ばすが、あるのは無機質な壁と床だけ。先程感じた僅かな気配も今は全く感じられない。
「…」
番傘を腰に引っ掛けながら眉を潜める。少し前までは毎日のように戦場に立っていたというのに、ここに来てからというもののそのような現場に立ち会うことが随分と減ってしまった。母艦で待機している間に若干感覚が鈍ってしまったのかもしれない。
***
「末端の連中が?」
所変わって談話室。眉を顰めた興覇の視線の先で、儁乂がお菓子を机に広げながら頷いた。
「聞いた話だと”侍”って連中の仕業らしくて」
「ああ、攘夷戦争の時に刀一本で国を守ろうとしたって言う…って美味ェなこれ。売店の限定品か?」
「あ、問題ないっスか?」
「普通に美味ェぞ」
「じゃあ俺も」
「…あれ、もしかして俺毒味させられた?」
“期間限定ブラックペッパー梅しそチーズ”と書かれた袋に儁乂が手をのばす。
「まあ何にしても国の中枢機関が春雨と手組んでるんスよ。この件が表に出たからには奴らが滅びるのも時間の問題でしょうね」
するとその時、談話室の扉が開いて聞き慣れた足音が近づいてきた。二人の隣にできた影に顔を上げれば予想通り零圃が腰に手を当てて立っている。
「お前たちは朝から元気だな」
「あ、おはようございます!」
「よお零圃ちゃん、ここ座れよ」
「おっ零圃ちゃんじゃねェか!おはよ」
「おはよーさん」
「ああ、おはよう」
暇を見つけては頻繁に談話室に訪れる零圃に、最初の頃は騒いでいた団員たちも今ではすっかり慣れた様子で挨拶を交わしている。零圃は興覇の隣に腰掛けると話の続きを促した。
「で、何の話だ?」
「いや、どうも転生郷取引で地球に行ってた末端組織がやられたみたいなんスよ。取引先の禽夜とかいったガマも政界から追放されたらしくて。ほら、あの陀絡って奴が率いてた」
「陀絡?」
「この前来てただろ?眼鏡かけた潔癖症のオッサン」
「……ああ、あれか」
その特徴を頼りに記憶を探れば思い当たる節があったのか、零圃は期間限定ポテチをつまみながら呟いた。
「何とか帰還したはいいものの、上に見放されたみたいっス」
「まあここにはアレの代わりなんていくらでもいるからな。それに厄介事は早々に切り捨てるってのがこの組織だ」
そう言いながら興覇が新しいお菓子の袋を開けた瞬間、向かいに座る儁乂が素早く手をのばして袋ごとそれを奪い取った。奇襲に驚く興覇の前で特に悪びれる様子もなく、三角形の小さなスナック菓子を咀嚼しながら零圃に向き直る。
「零圃さん、何か聞いてないっスか?」
「ちょ、それ俺のォォォ!せめて許可取ってから食べて!」
「さあ、私は何も聞いていないが」
「え、マジ?零圃ちゃんまで?」
儁乂が差しだしてきたお菓子を迷いなく口に入れれば困惑したような声が聞こえてくる。
「だが転生郷と言えば全体収入の何割かを占めていたはず。第七師団傘下の組織も何かと力を入れていたはずだ。恐らく上もすぐに別の人材を派遣して……、!」
「どうしたんスか?」
「…いや、」
不意にどこからか視線を感じ勢いよく顔を上げたが、見渡しても不審な人物は見当たらない。不快感に眉を寄せた零圃は全ての発言をスルーされ影を落とす興覇に礼を述べると立ち上がった。
「あれ、零圃ちゃんもう行くのか?」
「ああ。少し用事を思い出した」
「仕事っスか?」
「そんなところだ」
二人の送り出す声を背に受け、ひらりと手を振って談話室を後にする。辺りに気を配りながら分岐点に向かう零圃は、その途中で感じた視線にぴたりと足を止めた。
「そこにいるんだろう」
「…」
「いい加減出てきたらどうだ」
その声で背後から姿を現した人物に零圃は振り返った。立っていたのはこれまで何度か目にしたことがある第七師団の構成員。確か儁乂や興覇とも仲良くしていたはずだが、と肩を竦めれば鋭い視線が向けられた。
「私に何か用か?」
「…俺は許さねェからな、てめェが第一部隊の隊長なんて。常に前線で戦ってきた俺達第一部隊が女の下に就くなんざたまったもんじゃねェ」
「その不満はもっともだ。だが生憎、私も上司の決定には逆らえんからな。…それに」
口の端を上げて挑発的に笑う。
「少なくとも、お前よりは強い」
「ふざけやがって…っ!」
怒りに顔を歪ませ、体の横で拳が出来たのを認めた零圃は笑みを深めた。真っ直ぐ向かってきた拳をひらりと飛んで避ければすぐさま繰り出される反対側の拳。零圃はチリッと頬を掠った熱にニヤリと笑った。その俊敏な動きは、さすが雷槍の異名をとる第七師団の主戦力といったところ。しかし幾度も一人で死線を潜り抜けてきた零圃の敵ではないというのも、また事実であった。
「…こうなることも予想済み、か」
次々に繰り出される攻撃をかわしながら、血気盛んな彼らを率いる憎たらしい笑顔を思い浮かべた零圃はどこか楽しそうな笑みを浮かべた。
「…何か騒がしくねェか?」
「どっかのアホ共が喧嘩でもしてるんじゃないスか?」
「血気盛んにも程があんだろ」
「いや、はしゃぎすぎてそんな髪型にした興覇にだけは言われたくないっスよ」
「お前実は俺の事嫌いだろ。…ったく、仕方ねェな」
言いながら立ち上がった興覇に続き、儁乂も廊下に出て音を頼りに足を進める。
「うおっ!?」
長い廊下を抜けた瞬間、興覇の足元に何かが勢いよく飛んできた。思わず立ち止まり足元の何かを見下ろした興覇は驚きに目を見張った。興覇の後ろから顔を覗かせた儁乂が「あ」と声を漏らす。
「公績じゃないスか」
「テメェ何暴れてんだよ」
「ッ…お気楽野郎は黙ってろ」
「あぁ?誰がお気楽だテメェ潰すぞ」
「ていうか公績が喧嘩なんて珍しいっスよね。一体誰と」
青筋を浮かべた興覇に視線すら向けず、よろりと立ち上がった”公績”と呼ばれた男は真っ直ぐ前を見た。それにつられて二人も視線を向ければ、凛と立つ零圃の姿。
「…え?」
「は?何で零圃ちゃん?」
不思議そうに見つめてくる二人に視線を向け、苦笑を浮かべる。
「こっちにも色々事情があってな」
「は…っ、随分と余裕なこった」
「確かに、準備運動にもならんな」
「チッ…!」
張り詰めた空気に二人は思わず息をのむ。微笑を浮かべながら容赦なく攻撃を繰り出す零圃の姿は、笑顔を最大限の作法として本能のままに血を求め一瞬で命を奪っていく、とある人物と重なる。
「遅いな」
「がはっ…ッ!」
血濡れになった公績が勢いよく壁に叩きつけられたところでようやく騒ぎに気付いたのか、何だ何だと集まってくる野次馬。最初こそ笑って集まってきた彼らだが、騒ぎの原因が新任の第一部隊隊長とその構成員であると知るや否や、揃って驚いた表情を浮かべた。
「おいおい、そこらへんでやめとけよ〜」
静まり返った空間の中、野次馬の中から聞こえる間延びした声。
「ったく、騒ぎを起こすのはあのバカだけで十分だっての」
開いた道から頭を掻いて出てきたのは、怠そうな表情を浮かべる阿伏兎だった。力なく床に倒れる公績の前に立つと、阿伏兎は呆れたように視線を落とす。
「ッ、副団長…っ止めないでくれ、俺はまだ…!」
「いくらお前さんでも殺されるぞ、公績」
「そんなの、まだやってみないと…!」
しかしなおも食い下がる公績の前に膝をつくと、小さく溜息をついて肩を竦める。
「こんだけボロボロにやられてんだ、もう充分だろ。無駄な犠牲出すんじゃねぇよ」
「っ…」
阿伏兎の言葉は暗に「このまま続ければ殺される可能性すらある」ということを示唆していた。歯を食いしばる公績を残して立ち上がった阿伏兎が振り返る。
「で、お前さんは平気か?」
「…、は?」
傷一つ負っていない零圃を見てそう尋ねる阿伏兎に、公績が怪訝そうな顔を向ける。
「団長にやられた傷、まだ治ってねェんだろ」
「何だ、気付いていたのか?」
「一週間そこらで折れた骨が完全にくっ付くかってんだ。仙豆でも食ったなら話は別だが」
「それじゃあ私はカリン様でも探すとするか」
「っおい「いやーお見事」
すると突然パチパチと拍手が聞こえた。場違いなそれに目を向ければ、どこかで傍観していたであろう神威が笑みを浮かべて立っている。
「さすがだね」
「見ていたなら助けてくれても良かっただろう」
「だって零圃、俺とは戦ってくれなかったじゃん」
「…まだ根に持っているのか?」
「別に?アイツとは戦ったのに俺とは殺り合ってくれないことなんて全然気にしてないよ。今日は面白いものも見れたし」
意味ありげに笑う男に、予感が的中した零圃はちらりと公績を見やった。
「不始末の責任は隊長である私が取る。そういうことだろう」
神威は何も言わずに笑顔を浮かべたままだった。
「それよりさ、ちょっと付き合ってよ」
「何処に?」
「んー買い物」
「…買い物?」
「そ。零圃の部屋、まだ必要な物とか揃ってないから」
「それなら私一人で行く。お前まで着いてくる必要はないはずだが」
「俺も見たいものあるんだよねー。ほら、零圃にも色々と教えた方がいいだろうし」
「…仕方ないな」
そう言った零圃は血濡れの部下をちらりと一瞥すると神威に続いてその場を後にした。遠ざかる二人の背中を見ながら、一部始終を見ていた儁乂が驚いたように声を上げる。
「零圃さん、すごいっスね…まさかあんなに強かったとは」
「認めたくはねェが、奴もそんな簡単にやられるタマじゃねェだろ」
賛同する興覇の隣で、孟起が笑みを浮かべながら阿伏兎の肩を叩いた。
「思わぬ逸材を得たな、阿伏兎」
「まあな。だが見てわかるように、今んとこあのお嬢さんの手綱を握れるのは団長だけだ。ヘタなことしない方が身のためだぜ。どっかのアホみたいにな」
「はっはっは!違いないな。そんで、そのアホは満足したのか?』
「…」
孟起の問いかけに全身を負傷した男――公績は何も答えず、傷を庇う様にして静かに去っていった。
***
電子パネルに5階を示す数字が映り、軽快な音と共に扉が開く。その瞬間乗り込んできたのは、片目に眼帯をつけ、狼のような風貌をした天人であった。先に乗っていた神威に気付いた様子で、片手を上げるとその先には金が眩しいフックが光る。まるで海賊を具現化したような恰好の狼に零圃は目を瞬かせた。
「おう、第七師団も帰ってたのか」
「やあ、勾狼団長」
「…ん?おっ、いい女連れてるじゃねェか神威!噂の第一部隊隊長か?」
興味津々、と言わんばかりに顔を近付けてくる狼から視線を逸らす。
「で、実際どれくらい強いんだ?聞けば”あの星”から連れ帰ったらしいが」
「舐めてかかると返り討ちに遭いますよ」
「ガハハハハ!神威の女に手を出そうなんて命知らず、ここにゃいねェよ」
豪快な笑い声が響く中、再び目的の階に到着したことを告げる音が鳴る。気付いた零圃が降りるよりも先に神威が彼女の手を引いた。
「それじゃ俺達はここで」
「おう、合同任務の時にゃ頼りにしてるぜ」
そのまま振り向きもせずに歩き出す神威の後をついて行けば、初めて母艦に踏み入れた際にエレベーターの中から見た光景が今度はすぐ目の前に広がっていた。宇宙船の中だというのに、両側に広がる施設はどこも賑わいを見せている。
見慣れない天人たちの間を通り、手を引かれるがまま店に足を踏み入れれば、そこにはソファやベッド、机や椅子が所狭しと並んでいた。無難なインテリアが並ぶ店内を進みながら、零圃は疑問を投げかける。
「ここで買って、部屋まで運べと?」
「頼めば全部やってくれるよ。運搬も設置も、いらなくなった家具の処分までね」
あまりにも便利な機能に驚いていれば、前を歩く神威が突然ソファに腰を下ろした。
「あ、これいいかも。ねえ、これ買わない?」
「私の許可なんて取らなくても、勝手に買えばいいだろう」
「零圃の部屋に置くのに?」
「何故そうなる」
「でもほら、零圃も座ってみてよ」
座り心地の確認を催促する神威に呆れながら、仕方なく隣に腰掛ける。その瞬間真っ白なソファは零圃の体重を吸収し、反発することなくふんわりと沈んだ。擬音で例えれば「ふかふか」なそれに、零圃は驚いて目を瞬いた。何度か重心を移動させれば、その都度フィットするように自由自在に形を変える。
「まあ、買っておいて損はないかもしれないな」
そう言えば神威は満足したように笑った。
***
それから無事に買い物を終えた二人が再びエレベーターホールに向かうと突然背後から神威を呼び止める声が聞こえた。
「神威、帰ってたのね!連絡くれても良かったのに…あら、そちらの方は?」
途端に鋭い視線を感じた零圃は肩を竦める。
「うちの新しい特攻隊長」
「…ふうん、そう。ところで神威、次はいつ会えるの?今日は空いてない?」
興味を失ったのかすぐさま逸らされる視線。あからさますぎて少し笑える。
「先に戻ってるからな」
あとはどうぞごゆっくり、と踵を返したところで腕を掴まれていることに気付き、仕方なく振り返る。
「俺も戻るよ」
「お前はまだ話の途中だろう」
「じゃ、そういうことだから」
「え、ちょっと神威!」
女が慌てて引き留めるが、呼ばれた本人は見向きもしない。
「うまいこと使ったな」
「あの女面倒臭かったからね。零圃がいてくれて助かったよ」
上機嫌で前を歩く神威を見て、改めて厄介な男に捕まったものだと息を吐いた。