「斎藤さん、手際がいいですね」
『…何故あんたがここにいる」
微かに歪む仏頂面に微笑を漏らし肩を竦めた。
「沖田さんが強制的に連れてきてくれました。全く迷惑な話ですよ」
『やだなぁ、僕は君が外に出たいって言うから連れてきてあげたのに』
「確かに外に出たいとは言いましたけど手伝いたいとは一言も言ってません」
『そうだね、君に料理なんてさせたら隊士が全員寝込んじゃうね』
「仮に実行するとしても沖田さんだけですからご安心ください」
『本当君ってとことん嫌な性格してるよね』
「お互い様ですよ」
日に日に増していく罵声の数々に面倒臭そうにため息を吐いた斎藤さんは再び調理を再開した。
『斎藤さん、次は何をすれば…』
「あれ、千鶴ちゃんも準備?」
『はい。でも何で翠さんがここに?』
首を傾げる千鶴ちゃんに「何処かの誰かさんのせいでね」と笑えば彼女も理解したようで苦笑を返してくれた。
「美味しいの期待してるね」
『はっ、はい!』
よしよしと頭を撫でて和んでいると沖田さんに首根っこを捕まれ何とも情けない声が漏れた。
「どうも沖田さんは理解していないようなので改めて言っておきますけど、一応俺も人間なんですよ」
『それくらい知ってるけど』
「知ってるなら――『なんでお前達がここに居る』
『あ、土方さん、戻って…』
突然現れた人物の棘のある言い方に千鶴ちゃんは焦って視線を落とす。
『誰が部屋を出ていいと言った?』
鋭い目つきに怯んだ彼女の前に一歩踏み出して口端を吊り上げた。
「お帰りなさい土方さん。現在皆さんのご好意により屋敷内での行動ならば多少の自由を与えられています」
『勝手なことを』
舌打ちする彼はこの上ないほど不機嫌な様子だった。
『そんなに心配なら土方さんがつきっきりで監視したらいいじゃないですか』
大根の皮を剥きながらそう零す沖田さんを一睨みするが相変わらず彼は何の反応も表さない。もしそんな事をされたらこちらとしても溜まったもんじゃない。小言で始まり小言で終わる窮屈な一日を誰が迎えたいというのか。
というか大根の皮ごと実も剥けているが果たしてそれで大丈夫なのだろうか。彼の手元を訝しげに覗く私をチラリと振り返った斎藤さんが尚不機嫌を露にする土方さんに向き直った。
『お疲れ様です副長。それより、山南さんの傷の具合はどうですか?』
『まだなんとも言えんが、この旅路中食事もろくにしてねぇ状態だ』
視線を落とした土方さんの言葉に斎藤さんも眉を寄せる。とは言っても、あの性格ならば仕方の無い事だとは思う。付き合いの長い彼らだからこそ十分に理解している。故に何も出来ない自分達に歯痒さを感じているのだろう。
頭の良い山南さんだからこそ自分の行く末に対する苛立ちをどうする事も出来ずに持ち余している。自棄になっている彼に変に気を遣うのも同情だと捉えられ、状況がさらに悪化することも安易に予測できる。
「(…私が最も苦手な状況だな)」
くしゃりと髪を掻きあげると真っ直ぐに土方さんを見ている千鶴ちゃんが視界に映った。
『あの…山南さんのお食事、私にお世話させてもらえないでしょうか?父様の傍で怪我人の看病もしていましたし、『やめておけ。下手な気遣いは却って山南さんを意固地にさせるだけだ』
彼女の提案を即座に却下した彼に多少は同意できる。やはり今の彼はそっとしておくのが一番なのだと土方さんも理解しているようだ。だが問題が一つ。
「このまま放置すれば隊内の空気は決して良いものではないでしょうね」
『彼の言う事にも一理ありますよね、土方さん。働かざるもの食うべからずですよ』
また部外者が、と紫紺の瞳を細める彼だったが意外な人物の賛成により口を噤んだ。
『…勝手にしろ』
荒々しく勝手場を後にする土方さんを不安そうに見ていた千鶴ちゃんが両手を握り締めた。
『土方さん、山南さんのことが心配じゃないんでしょうか?』
「いや、というかあれは…」
『むしろ誰よりも気にかけているはずだ。自分が一緒に居ながら山南さんに怪我を負わせてしまったこと…悔やまぬわけはあるまい』
再び包丁を手にする斎藤さんの言葉に俯く千鶴ちゃん。芯が強い彼女の事だ。何もわかっていないのは自分だけなのだと悔やんでいるのだろうか、二つの拳は小さく震えていた。
『翠さん…?』
優しく肩を叩けば驚いたように振り返る千鶴ちゃんに笑顔で言う。
「千鶴ちゃんは食事の準備をお願いできる?」
どうやら、女の度胸を見せるときが来たようだ。
「失礼しますよー」
声を掛けて襖を開けば酷く驚いた様子の山南さんと目が合った。
『まさか君が来るとは、予想すらしていませんでしたよ』
面倒事は部外者に押し付けようという魂胆ですか、と漏らす山南さんの前に膳を置いた。
「いえ、これはあくまで俺個人の判断です。まあ確かに俺には関係ありませんけどね、こういった類の空気は嫌いなんです。原因がわかっているなら尚更早いうちに対処しておきたくて」
『おや、随分ばっさりと斬り捨てますね』
「これが俺なりに心配してるつもりなんですよ。それとも山南さんは、何処の馬の骨ともわからない者から同情を受けたいとでも?」
ふっと笑えば案の定向けられるのは冷ややかな笑み。
『参りました。沖田君が君に腹を立てる理由が少しわかった気がしますよ。ですが…挑発的な態度で相手の興味を惹こうとしているのが見え見えです』
「…よくご存知で」
どうやら一筋縄ではいかないらしい。思わず顔を顰める私に彼は畳み掛けるように吐き捨てた。
『貴方が此処に来た時から薄々感じていました。嫌われ者を演じるのは結構ですが程々にしてくださいね。何より…まだ我々に話していない秘密があるんじゃないですか?』
核心を突かれ思わず睨み返せば彼は普段と変わらず穏やかに笑った。
「(ああ、全く…)」
気付かれてはならない。彼の言う秘密とやらは私にとっても彼らにとっても、禁断の領域に等しいのだから。
『深くは問いません。誰にだって言いたくないことの一つや二つはあるでしょう』
「それは…自分は信用に足る人間ではないと卑下しての発言で?」
『いいえ、そうではありませんよ。誰だって自分の全てを話せと言われたら躊躇してしまうものです』
二人きりで対面して話せば話すほどよくわかる。彼は本当に頭の回転が速い。こちらの嘘なんて簡単に見破られてしまうだろう。
でも今は、ひたすら逃げるしかない。そうすることでしか、私は私を守る事ができない。否、それ以外の守り方を知らないのだ。何も言えず拳を握り締める私をじっと見据えた山南さんはため息と共にゆっくりと言葉を紡いだ。
『まあいいでしょう…今はこちらとしても貴方を信じる他ありません。ですが結局、貴方は自分の居場所を作りたいだけなのではありませんか?』
彼の曇りない言葉に何かが胸の奥に突き刺さったような感覚に陥った。家を飛び出して、あれからずっと居場所を探し求めてきたと言うのなら可笑しな話だ。帰る場所を捨てたのは私自身なのに、寂しくなった途端縋り付くなんて滑稽にも程がある。
「さあ、どうでしょうね。生憎流れ者の俺には分り兼ねます」
『しかし貴方は「まあ、人間誰でも一人は寂しいものですよ」
よっこいしょ、と立ち上がり背を向けると何かを言いかけた彼は口を噤んだ。気が向いたらでいいんで来てくださいね、と付け足してゆっくりと襖を閉めれば耳が痛くなるほどの静けさが広がる。
「居場所…ね」
呟いた私の声は何故か酷く悲しそうで、彼の言葉を掻き消すように大股で歩き始めた。
部屋に訪れる静寂に小さなため息が一つ。
『…少し言い過ぎましたか』
酷く困惑した様子で拳を握る彼の姿がいつまでも脳裏から消えない。…きっとあの言葉は。
『彼にとって触れられたくないものの一部、なのでしょうね』