黄昏るる黒猫の如く

「で、何で貴方達は部屋の前で団子食べてるんですか」

外が騒がしいからと障子を開ければ、部屋の前の廊下には何とも美味しそうな団子が広げられていた。

『おまへもふはっへふえお!』

頬に団子を詰め込んだ栗鼠、もとい平助が言葉を伝えるが理解できず固まっていると、原田さんが苦笑しながら団子を一本差し出してきた。

『巡察の帰りに貰ったんだよ。ほら、お前もどうだ?』
「ありがとうございます」
『俺なんか見向きもされなかったのに、左之さんはズリーよなぁ』
「…それはご愁傷様」

さぞかし惨めな思いをしたのであろう平助少年に心の中で合掌した。だが確かに彼の顔と性格ならば、この先いくらでも貢いで貰えるはずだ。それこそ同性異性関係無く。しかし彼は大層女性に優しいと聞くし、衆道なんて縁の無い話だろう。案外気楽で良いとの評判を聞くその道に走らないのは、些か勿体無いとも思うが。

「(それもまた、理不尽な話か)」

個性は尊重すべきであるというのが持論だ。押しつけられた主張なんか一蹴してやる。ある意味では損をしている彼から団子を受け取り腰を下ろせば、つい我慢していたため息が漏れる。耳聡くそれを拾った平助が顔を覗きこんできた。

『何か悩み事か?』
「…ここ最近、どうも癒しがないもんで」またの名を千鶴ちゃんとも言う。

大袈裟にかぶりを振れば少年は不思議そうな顔で首を傾げる。

『お前も出りゃいいだろ?屯所内なら誰も文句言わねぇよ』
「できたら苦労してない。部屋の外には必ずいるんだよ、沖田さんと斎藤さんという手強い二人のどちらかが」

あの夜以来、土方さんは前ほど口煩くなくなったものの(距離が開いたともいう)、彼への態度が正反対な二強は相変わらずだった。これだけ日が経てば大丈夫だと踏んでいた私にはとんだ誤算だ。なんてこった。と、言いつつもしっかりと脱出は試みているが、毎日彼らの目を盗んで外に出る事は容易ではない。今ではもう削られる精神は無いに等しい。

『斎藤はまだ理解できるが、総司はお前の事気に入ってるしな』

原田さんの恐ろしい言葉に思わず肩を抱く。

「怖っ!まだ根に持ってるんですかあの人。最早執念じゃないですか」

今から謝れば許して…いや、ないな。絶対ない。精々それをネタにからかわれるのがオチだ。短気なだけじゃなく性格までひん曲がっているとは、最早拍手を送るしかない。

『執念…ま、当たらずと雖も遠からずってとこか』

苦笑する原田さんにそれ以外考えられないと肩を竦めると彼は面白そうに声を上げて笑った。

『ああ平助、茶淹れてきてくれ。ついでにこいつの分も』
『へいへい。ったく、左之さんは俺を使いすぎなんだよなー』
「平助少年、恐らく京の女性は君の事も確りと観察しているはずだ。ただ今の時代、優男と美形が推奨されるってだけで可哀想なもんだとは思うが」
『っ余計な御世話だ!』
「おっと、それは失敬」

ニヤニヤと親父臭い笑みで長い髪を見送ると、床を踏み鳴らす音が次第に遠ざかっていった。耳まで赤くした彼の顔は中々に母性本能を擽ったが、本人に暴露するのも何だか可哀想な気がしたのでやめておく。あの無駄に響く声と共に肩を揺さぶられる自分が安易に想像でき苦笑が漏れる。すると呆れた様子で私達の遣り取りを見つめていた隣の彼が途端に表情を硬くした。燃えるような赤が、今は少しばかり目に毒だ。

『で?お前は気になったりしないのか』

案の定だと唇を歪ませる。

「原田さんは、どんな答えをお望みで?」
『おっと、質問を質問で返すのは関心しねぇな』
「あいすみません。まあ、それなりには気になってますよ。人間っていうのは誰しも貪欲ですからね」

嗚呼、それにしてもこの団子は本当に美味しい。今度彼の惜しみなく放出された色気で町方のお嬢さんを骨抜きにしたついでに貰って来て貰おうか。よし、算段はついた。確実にいける。

『だったら何で…』

ぷらぷらと足を振り子のように動かせば形のいい眉が一瞬顰められるが、其処は彼が持て余す大人の余裕からか追究する事はしなかった。恐らく此処に先程までの栗鼠がいれば話はややこしくなるのだろう。そう考えると彼は土方さん以上に大人なのかもしれない。欲望に忠実なのは結構だが、時にはこういった配慮も必要なのだから。

原田さんが間接的に生み出した産物を飲み込み、笹の上に串を置く。

「変に踏み込んで殺されたりでもしたら溜まったもんじゃないでしょう?俺はまだ死にたくありません。命が惜しい。それと、この国の野郎全てがその内に立派な志持ってると思ったら大間違いです。俺みたいな腰抜け野郎も案外多いもんですよ。まあでも腰抜けには腰抜けなりに、馬鹿は馬鹿なりに処世術を身につけてますから、一概にそうとは言い切れませんがね」
『…お前、よく其処まで自虐できるな』
「褒め言葉です」

生憎私も捻くれ者だ。そう笑顔で返すと彼はなんとも微妙な顔で返してくれた。それにはやはり、端整な顔はどんな顔でも綺麗なのだと、実感せざるを得なかった。





『君、今日は何してたの?』
「可哀想な子栗鼠と、その元凶の方と共に談笑してました」

沖田さんの足元の黒猫が喉を鳴らす。需要の無い笑みを無駄に零しながら小動物を愛でる彼が何を考えているのかはわからない。が、やはり彼も似た節がある。善悪の判断が出来ず、何でも吸収してしまう幼少期にでも毒されたのだろうか?それとも、根本が似通っていた?いずれにしても、苦手意識を持つのは仕方の無い事なのだろう。

『それで、君はどうやって土方さんを手懐けちゃったわけ?あんなに五月蝿かったのに』
「生憎吠える犬は嫌いです。躾が大変じゃないですか。何より、噛み付かれたりでもしたら溜まったもんじゃない」
『そこは同意するけど… どちらかと言えば唸る、が正解でしょ?』

そう返答した沖田さんの顔は何とも楽しそうに歪んでいた。控え目に鳴く黒猫に目を細めながら、彼はさらに言葉を紡ぐ。

『で、良ければ僕にもその技を伝授して貰いたいんだけど』
「あー…人選を間違えています、と言えば満足してもらえますか?」
『却下。君は僕を怒らせたいの?』
「滅相も無い。第一、俺があの方をどうこうできるような優れた人材だと思います?」
『じゃあ、何で釣ったの?』
「そもそも俺は初めから何も持っていない。それは沖田さんもご存じのはずですが」
『君のその、到底男には見えない身体でも使った?』

不意に愉しげに歪んだ翡翠と交わる。全面に興味を出しながらも、その瞳の奥はもっと根本を見据えているような気がして、思わず舌打ちが漏れた。ここで反論でもしようものなら墓穴を掘ったも同然だ。大人しく引き下がるのは性に合わないが、此処では"彼ら"が絶対なのだから仕方ない。土方さんがその例外だっただけ。つまり、郷に入っては郷に従えという事だ。

「彼の親切を、少々無下にあしらったんです。それもやんわりした言い回しなんかじゃなく、ばっさりと一刀両断。脅しもいいところです。そりゃ当然、俺に非がありますよねー。恨まれるのも仕方ないかー。…で、貴方はこれで満足するんですか?」
『微妙だけど、わからないでもないかな。君ってほんと嫌な性格してるもんね』
「自覚してますが、世の中上には上がいるらしいので。ああほら、沖田さん該当してますよ」
『…それに、相当僕の事嫌いみたいだし』
「ご名答。まあ訂正するなら…嫌いというか、苦手です。ほら、俺って度胸も根性もない腑抜けなんで、正反対な貴方とは相容れないというか」
『本人を前にしても臆することなく非難できる君は、なかなか度胸があると思うけど』

同意するように、黒い塊が音を立てる。

「あの時ああ言っておけばとか、こうしておけばよかったとか、後々後悔するのが嫌いな性質なんです。ある意味では損な性格かもしれませんが、結構気に入っているので。それに何も貴方一人が、というわけじゃない。深追いする人は、昔から苦手意識があるんです。ちなみに俺、人間断固拒否の不可侵領域持ってますんで」

足元を指して線引きすれば、未だに彼に寄り添う黒猫が咎めるように此方を見上げていた。無垢な硝子玉が、鋭く胸に刺さる。その遥か上で顔をあげた沖田さんは納得した、とでも言いたげに頷いた。

『それってつまり、土方さんも踏み入ったわけだ。君の言う領域とやらに』
「だって、人を信じるのは怖いじゃないですか」
『怖い?』

まさかそのような言葉が出るとは思っていなかったのか、確信めいた笑みを浮かべていた彼は翡翠を見開いた。

「その人が助けてくれるという保障は、何処にもない。人を信じるなんて馬鹿げてる。でも確かに考えてみれば当然ですよね。所詮は移ろいやすい人間の、一時の感情です。誰が命張ってまで他の人間助けるかっての」
『…君って寂しい子だね。それに酷く悲観的』
「今更です。これでも随分明るくなった方なんですよ?」

その表情は明らかに胡散臭いと語っていたが、気付かないフリをして屈む。突き刺さったままの硝子玉を早く抜きたくて、しっかりとその色を見据えた。

「おいで」

私の声にピクリと小さな耳を反応させた黒猫は、自らの罪を咎める刃を抜いてはくれなかった。無言という圧力でそれを残したまま、様子を伺いながらゆっくりと背を向け――『あ、』涼しげな音を奏でながら、生垣の奥に消えていった。

『あーあ。嫌われちゃったね』

ほらみろとでも言いたげな声を聞き立ち上がる。罪の意識は、相も変わらず消えないまま。

「残念。同類だと思ったのに」

ぽつりと漏れた言葉に隣の彼はもう一度本当に寂しい子、と呟いた。