兄弟子カップルに振り回される不憫な弟弟子の話

荒々しいノックの音を聞いたジョセフが扉を開ければ、そこには不機嫌そうに顔を顰めたナマエが立っていた。
膨れっ面をした少女の前で、また今回も面倒事に巻き込まれる予感がすると溜息をつく。

「なに、おたくらまた喧嘩したの?」
「シーザーが悪いのよ」
「確か前もそう聞いた気がすんだけど…」
「前のことなんて忘れたわ」

不機嫌そうにふいっと顔を背けるナマエにやれやれと肩を竦めながら部屋に招く。
ジョセフはベッドの上で膝を抱えるナマエの隣に座ると頭をかきながら尋ねた。

「で、シーザーが何したって?」
「…」
「ほら、俺が何でも聞いてやるから」

な?とまるで幼い子どもを相手にするように言い聞かせれば、ナマエはムッとした表情のまま口を開いた。

「さっきシーザーを街で見かけたの」
「それで?」
「…とても綺麗な女の人と一緒にいたわ」
「…なるほどね」

その光景が安易に想像できたジョセフは思わず頷いた。
ジョセフをおちょくるためとはいえ、見ず知らずの女にでも平気でキスするような男だ。

しかしナマエという恋人ができてからのシーザーは以前と変わらず女性に優しくはするものの、変に期待させるような態度は取らなくなっていたはず。
2人でいたというのも変な話だが、恐らくナマエが心配するような間柄ではないのでは?とジョセフが考えたところで、ナマエが突然立ち上がった。

「だからね、私も決めたの」
「…ん?」

ナマエはそう言うなり、おもむろにジョセフの上にのしかかった。
二人分の体重を吸収したベッドが軋んで音を立てる。

「私、ジョセフに乗り換える」
「……は?」
「なに、問題あるの?」
「いやいやいやいや、問題ある?ってこんなの大問題だろ!何言ってんのナマエちゃん!?マジ!?」
「私がこんな冗談言うと思う?」
「(ダメだ、目が据わってる…)」

今回の怒りは相当らしいが、そんなことナマエを愛してやまないシーザーが許すはずがない。最悪殺されてしまう。もちろんジョセフが。
しかし怒り心頭なナマエにその意図が通じるはずもなく、ジョセフはただ鋭さを含んだ視線から目を逸らすように顔を背けた。

「ジョセフ、今付き合ってる子いないんでしょ?だったらいいじゃない」
「そういう問題じゃねぇ!」
「だったらどういう問題よ」
「んなことしたらシーザーの奴がブチ切れるに決まってんだろ!?俺はまだ死にたくねぇんだよ!」
「最初に裏切ったのはシーザーよ」
「それも多分何かの誤解だって!つーか浮気するにしても俺はやめてくれ!」
「もう、男ならとっとと腹決めなさいよ」
「意味わかんねぇよ!?」

いやだ俺はまだ死にたくない!と訴えるジョセフの肩に手をかけ上目遣いで見上げる。

「それとも一緒に修行してるような女には興味ない?」
「だからそういうことじゃ」
「そうじゃないなら」

細い指がするりと頬を撫でる。

「私って、そんなに魅力ない…?」

涙で潤んだ瞳が影を落とした瞬間、ジョセフの喉が思わずごくりと動いた。
トドメの一言は、効いた。ぶっちゃけかなり効いた。
だがジョセフは理性の狭間で揺れる手をぐっと押し止めた。ここは言い聞かせなければならない。

ナマエは可愛い。長いまつ毛で覆われたアーモンド型の瞳も、熟れた果実のような唇も魅力的で愛らしい。
出会った時に一目惚れしたらしいシーザーが飽きることなく毎日のように口説くほどには、ナマエは可愛いのだ。
そんな経緯を経て晴れて恋人になった2人だったが、両想いとなってもなおシーザーの愛は薄まることなくむしろ益々強まっていることをジョセフはよく知っていた。
ジョセフも彼女と出会ったばかりの頃はそれなりの気持ちもあったが、シーザーと結ばれてからは友人という位置で見守ってきた。
そんなこともあって、今更シーザーの前でナマエをどうこうするなどジョセフには考えられないのだ。

「あのなナマエ、お前は知らないかもしれねぇけど」

ナマエの両肩に手を置いた、その時だった。

「ジョジョ、お前どこかでナマエを見てないか?」

まるで見計らったかのようなタイミングで入室してきたのは、今まさに話題にあがっているシーザーその人だった。
シーザーは目の前に広がる光景を見るなり光の速さで駆け寄ると、勢いよくジョセフに掴みかかった。
ちなみにナマエは不穏な空気を察して既に部屋の隅に移動している。

「貴様ジョジョ…ッ!」
「オーノー!俺は冤罪だ!」
「だったら今のはどう説明するつもりだ!」
「どう見ても俺が襲われてんだろ!?おいナマエも何か言ってくれよ!元はと言えばお前のせいだろ!」
「なによ、ジョセフの意気地無し」
「ナマエ!」
「ジョジョ!」
「俺は何もしてねぇって!」

ナマエのことになるとすぐに貧民街テンションに戻る目の前の戦友に必死で冤罪を訴えかける。

「もうやめてシーザー。ジョセフは悪くないわ」

さすがに見兼ねたのかナマエが声をかける。
まさにそれは鶴の一声。
怒り狂っていたシーザーはぴたりと止まると舌打ちを一つ打って掴んでいた服を離した。

「彼には私から声をかけたのよ」

ナマエの声が静かな部屋に響く。

「…なぜだ」
「…」
「お願いだナマエ、答えてくれ」
「…」
「君は俺よりジョジョの方がいいのか…?」

怒るわけでもなく、責めるわけでもない。
見ているこっちが辛くなるほど悲痛に歪んだシーザーの顔。
さすがに良心が咎めたのかナマエは気まずそうに視線を逸らしながら呟いた。

「それはシーザーの方でしょう」
「俺の方?一体どういうことだ」
「さっきヴェネツィアで綺麗な女の人と歩いているのを見たわ」
「ヴェネツィアで?」

すると思い当たる節があるのか、何かを思い出した様子のシーザーは困ったように額に手を当てた。

「違うんだナマエ聞いてくれ、あれは」
「確かに私は胸も大きくないしスタイルもよくないけど、でも…」

そう言ったナマエは怒りの表情がみるみるうちに歪んでいき、きゅっと唇を噛み締めた。

「シーザーを好きな気持ちだけは誰にも負けないつもりだったのに…」

今にも泣きそうな表情で呟くナマエは可愛かった。それはもう押し倒してやりたいと思うほどに。
ジョセフですらそう思うのだからそれを真正面から言われたシーザーのダメージは相当だろう。
現に今足の横で握る拳は見るからに力が入っている。喜びからか感動からか、はたまた別の理由かは知らないがとにかく震えているのはわかる。

「ナマエ、聞いてくれ」
「…」
「さっきまで街でシニョリーナと一緒にいたのは事実だ。それは認める」
「…」
「だがそれには理由があるんだ」
「…理由?」
「あれは友人の妻だ。さっきまで一緒にいたんだが、旦那が仕事で呼び出されて俺が代わりに駅まで送ったんだ。ほら、ナマエも知ってるだろう?マルクの友人のアントニオだ」
「…それ、本当?」
「ああ」
「そんな…」

自分の勘違いだと確信したナマエはバツが悪そうに下を向いた。

「ごめんなさい、私てっきり貴方が浮気しているのだと…」
「ナマエ、いいんだ。神に誓って俺は浮気なんかしないが、君を不安にさせたのは事実だからな」
「シーザー…」

ほっとした表情のナマエをシーザーが優しく抱きしめた。

「俺の愛しい恋人はナマエだけだ。もうこの先ナマエがいない人生なんてとても考えられない」
「本当に?」
「ああ、神に誓おう。それからナマエ、この先二度とジョジョに乗り換えるなんて言ってくれるなよ。さすがの俺も心臓が止まるかと思った」
「ごめんなさいシーザー…私も貴方のことが好きでとても大切に思ってるわ。だからその分不安になってしまって…貴方を疑って本当にごめんなさい」
「ナマエ…いいや、俺も悪かった」

互いに見つめ合った恋人たちが幸せそうに微笑む隣で、ジョセフは肩を竦めた。

「つーかここ俺の部屋なんだけど…」

今回一番の被害者であるジョセフの声は完全に二人の世界に入ってしまったナマエとシーザーには届きそうもない。
だが幸せそうに笑う二人を前にこれ以上何か言うのは野暮というものだろう。

何はともあれ友人達は元鞘に収まったし、これで何もかも丸く収まった。
一安心したジョセフがお節介心から部屋を出ていこうとドアノブに手をかける。

「おいジョジョ」

ナマエを腕に抱きながらシーザーが顔を上げた。気のせいかその目は殺気立っている。

「今回は俺のせいでもあるから見逃してやるが…次、ナマエに少しでも邪な想いを抱いたらレンチで殴るからな」
「…はい」

上手く隠せたと思っていたようだが、兄弟子には気付かれていたようだ。

「ごめんねジョセフ。いつもありがとう」
「…どういたしまして!」

ナマエに幸せそうな顔でそう言われてしまえば怒るものも怒れない。
まったくもってはた迷惑なカップルである。

「ったく、俺ってば損な役回りだよなー」

ジョセフが廊下を歩きながら呟くと、偶然隣を通り掛かったスージーQが「また巻き込まれたのね」と笑った。

「前の喧嘩は何だったっけ?」
「ああ、シーザーに愛されてるか不安だっていうナマエの愚痴だよ」
「確かその前はシーザーからの相談じゃなかった?」
「相談っつーかありゃ惚気だぜ。ナマエが可愛すぎて人前に出したくないとか早く結婚したいとかなんとか」
「……貴方も大変なのねジョセフ」
「だろ?」