恋人詐欺にご注意

「こんなにたくさん…よろしいのですか?」

目的の部屋から聞き慣れた声を拾い、思わず部屋の前で立ち止まる。
開け放たれた扉の奥に見えたのは蜀の天才軍師、諸葛亮の妹である名前と、つい先日蜀に降った兵達だった。

「はい、全て名前殿の為に用意したものですから」
「は、はぁ…ありがとうございます」
「遠慮はいりませんよ」
「是非貰ってください」

何処か困ったように笑う彼女の前に積み上げられたのは衣から装飾品に至るまで実に大小様々な豪華絢爛と呼ぶに相応しい品だった。細部までよく手の施された簪もあれば華やかな刺繍が施された衣もある。
彼らが元いた国の財力を考えれば流石としか言いようがない。が、しかし。

「(…またか)」

最早日常と化してしまった光景を目にするのは今回で一体何度目だろうか。
兄同様、蜀の天才女軍師として名高い名前だがその美貌に一瞬で心を奪われた者は数知れず。
新たに加入してくるほとんどの兵が通る道…と言ったところだろうか。
もっとも、暗躍する人物達のお陰で確実に失敗に終わるのだが。

そしてその中でも一番の苦労人であろう趙雲は小さくため息をついた。

「え、ち、趙将軍!?」
「お、お疲れ様です!」
「…ああ」

揃って退室してきた男達は扉の前に佇む趙雲を見ると驚いたように拱手して逃げる様に行ってしまった。どこか不機嫌そうに彼らの背を見送ってから、困ったように眉を寄せる彼女に近寄る。

「今回はまた随分と貰ったのだな」

その声でようやく存在に気づいたのか名前は酷く慌てたように腰を浮かせた。書きかけであろう竹簡がガタンと音を立てる。

「趙将軍!すみません、すぐに片付けます」

何年経っても公私を混同しない彼女の生真面目さに趙雲からは苦笑が漏れる。かくいう彼も公私ははっきりと分別しているのだが、彼女はそれ以上に努めて"上司と部下"という関係を守って来た。今更必要無いだろうと何度も言ったのだが、彼女はそれだけは譲れないと言い張り今に至る。だからこそ先程の男達のような輩が現れるとも言えるのだが良くも悪くも鈍感な彼女が気付くはずもなく。これまでの苦労を思い出し趙雲が溜息を吐くと名前は不思議そうに首を傾げた。

「趙将軍?」

如何しました?と尋ねる彼女に今は一人の上官として彼女と接しなければ、と気を引き締める。

「ああいや、諸葛亮殿からこれを名前にと頼まれてな」
「兄様からですか?それにしてもこの量は一体…」

若干驚いたように声を上げた彼女は竹簡を受け取り目を通し始めると途端に真剣な表情を見せた。
長々と記された文字を追いかけていたと思えば次の瞬間困った様に笑って筆を手に取る。筆に墨を含ませながら何かに気付いたように顔を上げた。

「確かに拝見致しましたと兄様にお伝えください。後は私が引き受けますので」
「いや、諸葛亮殿に私が持ってくるようにと言われたんだ」

その言葉に名前は不思議そうに首を傾げるが、手元の竹簡を見下ろすと再び困った様に眉を下げた。

「暫くお待たせする事になると思いますが…よろしいのですか?」
「ああ。今日中に必要なんだろう?」
「はい。どうやら処理を頼んだ筈の御方が何処かへ行ってしまわれたようで。頼りにしていた配下の方も引き連れて行ってしまわれては、私共も成す術がありませんからね」
「…馬超殿だな」

従兄弟を引き連れて朝早くに城を後にした立派な兜を思い出す。これまで何度彼女達兄妹に迷惑と負担を掛けたことか。趙雲は痛む頭を押さえながら彼女に向き直った。

「名前には迷惑をかけてばかりだな。私からも言っておこう」
「ふふ、お願いします。ですが、私は馬将軍には戦場で功績を挙げていただきたいと思いますので、こういった執務は出来る範囲でならお手伝いしたいのです」
「馬超殿が聞いたら喜ぶだろうな。全く、当の本人は一体何処へ…」
「以前お話した時、気に入った場所を見つけたと仰っていたので恐らくそこではないかと。何でも西涼の景色に似ているとかで」
「それで馬岱殿も引き連れて、というわけか」
「ええ、恐らくは。ですが馬岱殿も日頃から頑張っていらっしゃいますし、労いも込めての遠乗りだとすれば私も兄様も口出しなんて出来ませんよ」
「そうか」
「私共も、御二方にはお世話になっていますから」

名前がそう言って笑う傍ら、趙雲は複雑そうに眉を顰めた。
彼女は役職柄、蜀の将軍達とはかなり親交が深い。そして馬従兄弟と名前はその中でも特別仲が良い。それが悪いとは思わないのだが面白くないと思っているのもまた事実だ。
とは言っても名前の兄に良く似た類稀な能力は諸将の信頼があってこそだし、その結果として趙雲が我慢しなければならないというのも勿論当人は理解している。だがやはりそれでも嬉しそうに他の男の事を話す彼女に多少なりとも嫉妬心が芽生えるわけで。

「そうそう、馬将軍と言えばついこの前も土産だ、と言って南蛮物の髪飾りを頂いたんです」
「…」
「本当に日頃から馬将軍にはお世話になっていますし「名前」
「?」

顔を上げた彼女の顎を掬って、柔らかな唇に口付けを落とす。驚いたように趙雲を見上げていた彼女はその行為を理解すると同時に顔を真っ赤に染めた。

「っ、子龍様!?」

ようやく呼んで貰えた字に満足しながら艶やかな髪に触れる。

「お前の口から、あまり他の男の話は聞きたくないな」
「え…?」
「私だって嫉妬くらいする」
「あっ、も、申し訳ありません…」

赤い顔のまま、すっかり大人しくなってしまった彼女に今度こそ苦笑が漏れた。ふと視線を外すと積み上げられた貢物達が目に入る。

「それで、先程の兵達は一体何の用だったんだ?」
「それが、特に用事はなかったみたいなんです。ただこの品を置いて行かれて」

困った様に首を振る彼女の艶やかな髪に映える群青色の簪がしゃらりと音を立てる。以前市井に二人で出掛けた際彼女に贈ったそれを見ない日は無かった。ただそれでも他の男からの品を受け取る彼女に再度嫉妬心が頭を擡げて。

「こんなに貰っていたなら、それは必要なかったか?」
「え?」

自らの髪に注がれる視線を頼りに手で辿って指先に触れたそれに彼女は慌てて口を開いた。

「ひ、必要です!例えどんなに絢爛な品でも、これに勝るものはありません!他のどなたから貰った物より、子龍様に貰ったたった一つの簪が私にとっては唯一の宝物なんですから」

まさか、そこまで言ってくれるとは。予想の遥か斜め上を行く彼女の愛情表現に趙雲からは笑みが漏れた。

「その言葉は、信じていいのか?」
「あ、いえ…っその、」
「全く名前は…」
「…本当の事を言ったまでです」

なんて愛しいのだろうか。彼女の些細な一言から自分がどれだけ愛されているのかを実感して思わず頬が緩む。

「(だが…)」

これだけ名前は私のものだという意思表示をしていたにも関わらず、彼女に近寄り、あわよくば略奪しようなどと浅はかな考えを持つあの兵達は…

「子龍様、大丈夫ですか…?」

心配そうに声を掛けてきた名前にふっと笑みを零らす。

「ああ、何でも無い。相変わらず私の妻は心配性だな」
「で、でも…っひゃ、!?」
「なに、名前が足りなかっただけだ」
「っもう、子龍様…」
「そうだ、名前」
「はい」
「久しぶりに名前の手料理が食べたい。最近はお互い忙しくて共に食事も出来なかったからな」
「ふふ、旦那様がお望みであれば」

引き寄せられた彼女は趙雲の腕の中で幸せそうに目を閉じた。


この数日後、鍛錬でやたらと厳しく趙雲に扱かれる兵達の姿があったとか。
さらに次の戦では諸葛亮の采配の元前線に立たされた兵が続出したらしい。

後に「名前と恋仲になりたかった」と暴露した兵達は、馬超の「あの二人は結婚して5年目だろう?」という言葉に撃沈したらしい。

ちなみに、幾度となく繰り返される一連の流れは、蜀の語り草になりつつある。