03
「んんん…」
固い地面の上で伸びをする。
ぼんやりとした視界で周りを見回しても目に映るのは茶色や灰色の岩肌だけだった。
昨日の夜、先に眠ると告げた私にエースくんはまだ火の傍にいると言ってあの場に残っていたが、もしかしてまだあの場に残っているのだろうか。
久々に陸の上を歩き回り疲れを訴える体に鞭を打ち、なんとか立ち上がり外に出る。
ざくざくと砂浜を踏みしめて昨日のたき火の場所に戻ると、案の定彼はそこにいた。
たき火はまだしっかりと燃えていて、周りには新しい魚が焼かれている。
「おはようございます」
「おう、おはようナマエ」
「一晩中起きてたんですか?」
「まあな」
よいしょ、と彼の隣に座り込み、ぼんやりと海を見つめる。
今日も海は空の青を映しこんだように青く輝いている。
生ぬるい風が顔を撫で、顔にかかった髪を振り払うように顔を動かすと横から焼けた魚が差し出された。
「ありがとうございます…」
「ん」
右手で魚を受け取るも、まだ眠気が体を縛り食べる気にならない。
「たき火、絶やさない方がいいかと思ってさ」
「…ああ、そうですね」
焼けて白くなった魚の目を見つめていて反応が遅れたが、エースくんの意見に同意する。
私が一人でいた時は誰かに見つけてもらうという発想がなかったため、狼煙なんて一度も上げたことはなかった。
「夜も燃やすなら交代でやりましょう」
「いや、夜は俺が見張ってるから、昼間頼む」
「…わかりました。ではそれでお願いします」
魚を齧ればほどよい塩味が口に広がる。
一口目を小さく齧ったけれど、噛めば噛むほど口の中の水分がどんどんなくなっていく。
寝起きに初めて口に入れるものが焼き魚なのはきつい。
なにか水分を口にしてから食べるべきだった。
もぐ、とゆっくり咀嚼していると、またも横から差し入れが。
しかも今度はココナッツだ。
「ありがとうございます…!」
「寝起きにいきなり魚はきつかったか?悪いな」
「いえいえ、朝食準備してもらってありがとうございます」
意外とエースくんは人のことを見ているらしい。
ありがたくココナッツの果汁で喉を潤す。
うーん、なんとも言えない味。ポカリスウェットを水で薄めたような味だ。
ちなみにココナッツを見つけた時は、甘くて濃厚なトロピカルジュースというイメージでいたため、実際に飲んだ時はイメージとのギャップが激しくてショックを受けた。
今ではこの味にも慣れたし、水分補給をするためだと思って割り切っているが。
魚と果物を食べきったところでエースくんに話しかける。
「エースくん、眠らなくて大丈夫ですか?火なら私が見ているので大丈夫ですよ」
「あー…うん」
私の問いに生返事を返すエースくんに、「眠れないなら子守歌でも歌いましょうか?」と聞けば「ははっ…そりゃよく眠れそうだな。」と笑いながら流された。
「…まあ、お言葉に甘えてちょっと寝てくるわ。なんかあったらすぐ起こせよ」
「はい、おやすみなさい」
立ち上がったエースくんは体についた砂を払い、そのまま洞窟方面へ向かっていった。
遠ざかるエースくんの姿を見えなくなるまで眺め、たき火の方を向く。
夜の間に大きくしてくれていたようで、すぐに火が消えることはなさそうだ。
火が大きいうちに乾いた枝を集めてきた方がいいだろう。
***
枝を集めてはたき火にくべ、火を大きくしたらまた枝を探しに行くという作業を何回繰り返しただろうか。
ここ最近は食事をするとき以外ほとんど海の中にいたため、陸を歩くという行為が酷く疲れるものになってしまった。
本当は丘の上に行ってあたりを見回したりするべきなのだろうが、私一人ではたき火の見張りとの両立はできない。
エースくんが起きてきたらそれも相談してみよう。
両手に抱えていた枝を集めた枝の山に放り、伸びをする。
そろそろお昼頃だろうか。
時計もないので私には今が何時なのか把握もできないが。
枝をいくつか手に取り、たき火に放り込みながら座り込む。
モビーディックを探したいけれど、一度海に潜ると時間を忘れてしまうのでエースくんが戻るまではここにいたほうがいいだろう。
かといってエースくんが起きてきてから、「私、ちょっと海に行ってくるね」といって何時間も戻らなかったらそれはそれで問題な気もする。
取ってきた果物を大きな葉っぱの上に乗せ、魚を棒に刺していく。
単調な作業を繰り返していくうちに頭が空っぽになっていく。
何も考えずに手だけを動かしているうち、無意識に鼻から抜けるような音を出し始める。
「ん〜んん〜」
即興で出していた音であったが、あるワンフレーズが知っている曲に似ていると気づき、曲に言葉を乗せる。
「あ〜…あなたが近くにいるとどうすればいいか分からない」
「もう我慢できない
だけどあなたと別れるために私はなんて言えばいいんだろう」
あなたが私の人生に何をもたらしてくれたんだろう。
ああ、きっとこの人は私を泣かすんだろうな。
手元にあった魚をすべて棒に刺し終え立ち上がる。
彼氏にうんざりした彼女が別れを切り出すも、やっぱり彼氏のことが大好きで別れらない女の子の気持ちをノリ良く歌っている曲である。
手元にギターがあればと、頭の中でギターのボディと弦を思い浮かべながら手を動かす。
頭の中ではドラムもベースもあって、ロックな音楽が鮮明に流れている。
「これってとっても病みつきになるの
あなたの事を考えないなんて無理
おかしいくらい私を最高の気分にさせるの」
頭を、体を揺らしながらサビを歌う。
「なにもかもあなたにあげる
私だけはあなたの味方よ
あともう一回だけチャンスをくれたら
私が正しいってわかってもらえるから」
ああ楽しい。
昨日の夜だって沢山歌ったけれど、一度歌い始めてしまったらもう止まらない。
歌いたいという欲求は歌うことでしか満たされないんだから。
もう一度サビを歌いあげ、歌が終わる。
ふう、と一息ついて唯一の不満を叫ぶ。
「あー!ギター欲しいいいい!」
そういって両手を上げたり降ろしたりジタバタしながら振り返ると、エースくんがいた。
ぽかんとした顔のエースくんに、両手を上げたままの私。
「い…え…」
ゆっくり両手を降ろしかけたところでエースくんがむずむずと口を動かし、
「ぶっは!おまえ!面白すぎるっ!」
耐え切れないとばかりに大きく噴き出して笑い始めた。
「うそだあああ!なんで今!この瞬間!」
膝から崩れ落ち地面に手をついてうなだれる。
いつから見られていたんだ…。
エアギターしているところは見ていないと言ってくれ。
「エアギターやってるの酔っ払い以外でなかなか見ないぜ」
「やだああああ!そこ一番見られたくなかったところお!」
もう四つん這いではなく地面に伏せをしているような体制をとる。
地味に暴れたせいで顔に砂やら木の欠片やらが当たる。
「ううう、なんでこのタイミングで起きてくるんだ…」
「面白かったからそんな気にすんなよ」
「ぜんぜん慰めになってないしぃいい」
顔を上げればエースくんが近くに来ていて、魚をたき火の周りに刺していた。
むっつりとした顔でそれを眺めていると、こちらを向いたエースくんが再びこちらを向いて噴き出した。
「おまっ…なんて顔してんだよ」
「これが私のフツ―な顔ですー」
ふいっと横を向けばエースくんがこちらに近寄ってくる。
「ご機嫌斜めだなーナマエちゃんは。これやるから食って機嫌直せよ」
そういって果物を差し出して、もう片方の手でわしゃわしゃと頭をなでてきた。
ぎょっとし反射的に身を引いた私を気にもせず、ほら、と果物をさらに近づけてくる。
一瞬エースくんを見つめてから果物を受け取る。
こういう感じで接してくるところはお兄ちゃんなんだなあと思う。
「…もともと私が採ってきた果物だし」
頭を撫でられた気恥ずかしさを隠すために憎まれ口をたたく。
そんな風に言われても「ああ、ありがとな」って笑ってすますエースくんは優しい。
ああ、私ってどこまでも可愛くないやつ。
魚が焼けるまでの間、見張りについて話し合った。
体力のあるエースくんが夜間と丘の上に行って様子を見る係。
私が日中、エースくんが眠っている間の日の番と、食料調達係。
あとはまあ無人島で時間がありすぎるほどなので適当に楽しく過ごしましょうといった感じの取り決めとなった。
基本、自由に行動するときは私は海で泳いでいると伝えたら、そんなに海が好きなのかと驚かれたと同時に、泳げることを羨ましがっているような顔をされた。
「そんなに泳ぎたいなら今行ってきていいぞ。火は消えそうにないし、俺も丘の方までちょっと行ってくる」
「えっありがとうございます。じゃあお言葉に甘えてちょっと行ってきます。」
そう言ってスタスタとまっすぐ海に向かう。
思ったよりあっさりと海に入る時間がとれた。
さっさとモビーを探してエースくんを迎えに来させよう。
ざぶざぶと海に入り、腰のあたりまで水に浸かったところで一度立ち止まる。
両手も水につけ、目をつむる。
ずっと前に島がどこにあったのか分かった時のように、近くに大きな船がないか探す。
感覚としては暗闇の中手を伸ばして指先に触れるものを探す感じだ。
だからダイレクトに船を探すのではなく、話を聞いてイメージする大きさに近い「塊」を探す作業だ。
島は大きくて動かないからわかりやすい。
海王類は大きなものから小さなものまで種類は様々だけど、動きが変則的であるからこれも区別できる。
今回は1600人が乗ることのできる超大型の船ということだから、他の船と大きさが違うのであれば間違えることはないだろう。
水につけている身体の感覚に意識を集中させる。
自分が無人島のすぐ近くに立っていることから、島から徐々に徐々に感覚を広げていくように海を「触っていく」。
くすぐるように時折イルカほどの大きさのモノが体に触れる。
もちろん実際には体は腰までしか浸かれない浅瀬にいるので、あくまで感覚だけが伝わってくるのだ。
ぐぐぐ、と触る範囲を広げようとしたところでプツリと集中が途切れる。
「あれっ…」
集中が途切れた瞬間夢から覚めるような感覚に陥る。
肩から二の腕が日に焼けてじりじりと痛む。
きつい日焼けにも気づかないほど集中していたようだ。
呼吸も浅くなっている。
頭を振り、もう一度目を瞑って集中する。
2回目は先ほどより広範囲を触ることができたが、何にも触れないままであった。
「こんな…むずかしいもんだっけ…」
息をつき、少し沖へ歩く。
今度は首の高さまで海に浸かり、意識を集中させるも結果は先ほどとほどんと変わらなかった。
大きな塊があると思いそれに意識を向ければ、くるりと方向転換して動いていく。
「あー…」
思わず天を仰ぐ。
たった3回しか試していないのに、頭がぼんやりとしてきている。
陸の様子も少しは窺えるようにと顔は水面から出していたけれど、これはだめだ。
頭まで海に浸かって、全身を集中させないといつまで経っても探し出せない気がする。
ちらりと後ろを振り返ると煙が先ほどよりだいぶ細くなってきていた。
一瞬逡巡してから陸へ戻り、たき火の火を大きくしてから海に戻る。
今度こそ、と思いしっかりと海に潜る。
仰向けになり、揺らぐ水面を見つめる。
ゆっくりと目を閉じ、身体が海に溶けていくようにイメージする。
背中側で海底が深くなっていくことを感じ、頭はどんどん島から離れていく。
さっき感じていた海域よりもっとずっと遠くへ。
右手の指先に触れたものは大きいけれど、動きが速いから海王類。
わき腹をくすぐるのも海王類、の群れ。
もっと動きが単調、あるいはほとんど動きがないようなものでありながら、島ではないもの。
暗闇の中で神経を研ぎ澄ます。
するり、と左側頭部に触れるか触れないかのようなくらい軽く何かが当たる。
ゆっくりとそれに触れる。
海王類か、それより少し大きいくらいで海の上に浮かんでいる。
今までの海王類のように一向に移動しない。
手を伸ばし、優しく触れれば手に伝わってくる海王類の皮膚とは違う固い感触。
見つけた。
ぐっ、と船の下の海を掴み引き寄せようとするが、勢いが良すぎて海だけが引き寄せられてしまった。
テーブルクロスごと食器を引き寄せようとして、クロスだけが引き抜かれるような感じに似ている。
「ちっ…!」
思わず舌打ちをして再び引き寄せようとした瞬間、意識が浮上する。
目が開き、すべての感覚が元に戻ってしまった。
「あと少しだったのに…!」
焦りが集中を途切れさせてしまった。
次は最後まで落ち着いて引き寄せなければ。
そう思いながら海面に顔をだせば日が暮れ始めていた。
「え…」
呆然と夕日を眺め、自分がどれだけ潜っていたかを理解した瞬間心臓が激しく動く。
エースくんに「ちょっと行ってくる」と伝えてから何時間が経った?
慌てて火の傍に戻るとエースくんはすでに夕飯の準備を始めていた。
「あの…!ごめん、なさい。遅くなりました」
エースくんはちらりとこちらを見て、また目線を火に戻した。
これは怒らせてしまった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになり、うつむく。
「丘の上から姿が見えてたからいいけど、今度からは目の届くところに居ろよ」
てっきり怒られるとばかり思っていたため、身を案じるような言葉をかけられ驚く。
「怒らないの?ですか?」
「ふっ…そのとってつけたような敬語やめろよ。もう敬語とかなしでいいだろ」
「え…あ、わかった」
「まあ、ちょっと行ってくるっつって何時間も帰ってこなけりゃ怒るよりも心配が先にくるさ」
「ごめん…」
「今度からは見張りもしっかり頼むぞ」
「うん…!気を付けるよ」
本当に申し訳ないことをした。
次からは適度に意識を戻さないといけない。
今日である程度の場所は把握できたから良いけど、作業が細切れになるなら時間がかかりそうだ。
「今日は丘の上からしばらく周りを見てたけど、本当になんっもなかった。」
「ああ、海ばかりでしょ」
「晴れてるからだいぶ遠くまで見えたんだけどな…」
確かに、モビーはこの島から見えないくらい遠く離れたところにいるが、明日また海に潜って少しづつでも引き寄せれば2、3日でこの島に着かないだろうか。
「まあ、大丈夫ですよ。モビーは絶対この島に来ますよ」
「…ああ、早く来てくれることを祈るよ」
エースくんが丘の上から見た島の事や、今後の食料についてなどを話し合った後私は1人洞窟に戻る。
今までどれだけ海に潜っていても感じたことのなかった疲労感が体を襲い、私は体を横たえた瞬間意識を手放した。