07
船に近づくにつれて体が勝手に震え始める。
しばらく独りでいたせいで、人前でどんな風に振舞えばいいか忘れてしまったようで、緊張と恐怖から手の平がどんどん冷たくなっていく。
思わずお腹に回っている鉤爪を握る。
「大丈夫かよい?」
私の異変に気付いたマルコさんが声をかけてくるが、返事をする気になれなかった。
ただひたすらに近づいてくるモビーを見つめ、体を固くする。
気づけばすぐ下にモビーの船体があり、こちらに気づき手を振る人も見える。
「悪いな…ちょっと目立っちまったよい」
キラキラ輝く羽を持ちながら今更何を、と思ったがその声が思いのほか申し訳なさそうだったので茶化すのはやめた。
船に近づき、もう少しで床に足が着く、という距離で急に体が宙に投げ出される。
「うわっ!」
宙に引っ張られた体をマルコさんが両手で受け止める。
突然お姫様抱っこで抱えられ、一瞬惚けるも周りの視線が気になりとっさにマルコさんの胸元に顔を向ける。
「そのまま掴まっとけよい」
そういってさっさと歩き始める。
周りの船員からなんだなんだと声をかけられるが、そのたびに「今忙しいから後にしろよい」と雑な返事をして通り過ぎていく。
私はとにかく自分を見られなくてひたすら顔を隠す。
もしかしてマルコさんは私が顔を隠せるようにこの体制をとったのだろうか。
だとしたらなんて雑なんだ。
というか最初からマルコさんは私の扱いが雑な気がする。
初対面なのにオデコは小突くし、足で人の胴体を掴むし、挙句の果てにはお姫様だっこの体制を取るのに足で空中に投げてのキャッチだ。
そう考えればむかむかと怒りがこみ上げてくる。
「マルコさん…」
「もうすぐ着くよい」
しれっと何か言ってるがそもそも行き先を聞いていない。
そのことも腹が立った。
「ちょっと」
扱いが雑すぎやしませんか!?と文句を言おうとしたところでマルコさんが立ち止まる。
「着いたよい」
そう言ってドアの前で降ろされる。
さっきまで爆発しそうだった怒りはしゅるしゅると萎み、代わりに不安が一気に膨らむ。
思わずマルコさんのシャツを掴み、見上げる。
ノックもせず扉を開ければ、中から綺麗なお姉さんが気づいて話しかけてきた。
どうやらここは医務室らしい。
近づいてくる彼女は綺麗な金髪が緩くウェーブし、大きな目は長いまつ毛で縁取られておりさらに大きく見える。普通の人が塗ればけばけばしくなってしまう真っ赤な口紅も、彼女が塗れば艶やかだ。
ミニスカナース服にヒョウ柄のニーハイブーツ。
もちろん体系はワンピース世界特有のボンキュッボンというやつだ。
「あらマルコ隊長どうしたんです…その子は?」
綺麗な人に見つめられ、恥ずかしさでマルコさんの後ろに隠れる。
このみすぼらしい恰好が嫌で救助を拒んだのに、なんでこんな女子力天元突破しているような人の所へ連れてきたんだろう。
「ナマエだ。エースの恩人だよい。…3か月ほど無人島で暮らしてたらしい。親父のところに連れてく前に綺麗にしてやってくれ」
「まぁ…!それは辛かったわね…女の子だもの」
そう言ってマルコさんが私をナースさんの前に押し出そうとし、ナースさんも引き取ろうと手を伸ばしてくる。
「や…!」
思わず抵抗すれば、二人の動きがとまる。
「何も痛いことはしないわ?大丈夫よ」
「お前、その恰好嫌だって言ってたじゃねえかよい」
2人を困らせたいわけではないのだが、マルコさんと引き離されるのがとても怖い。
マルコさんとだってさっき会ったばかりなのに、どうしてか私の中では綺麗なナースさんよりも雑なマルコさんの方が安心できるらしい。
「マルコさん、近くにいてよ…」
そう呟けばマルコさんは驚いたように目を開く。
言ったじゃないか、さっき空を飛んでるときも。
あー…と首を掻くマルコさんと私のやりとりを見て、ナースさんは「あらあら、隊長ってばずいぶん懐かれているのね」なんて笑っている。
「マルコさん…」
「傍にいてやりたいのは山々だけどよい、俺はこれから親父にお前の事報告しに行かなきゃならねぇし…」
それに、とマルコさんはナースさんを見る。
「この子はシャワーを浴びるのでマルコ隊長には外に出ててもらいます」
だとよい、あきらめて綺麗にされてこい。
そう言って私を押し返す。
「えー!傍にいてって言ったのに!中にいてください!私気にしないんで!」
そう叫んでマルコさんのシャツを掴む。
「無人島生活でなくした羞恥心も思い出させてやってくれ」
「任せてください、マルコ隊長。次に会うときは立派な女の子にしてみせます」
ちょっと酷くないか二人とも。
***
「改めて…私はオリビア。よろしくね、ナマエ」
「よろしくお願いします…」
しがみつく私を尻目にマルコさんはあっさりと私を置いて出て行ってしまった。
うなだれていると綺麗なナースさんはそう言って自己紹介をしてくれた。
医務室にはけが人用に小さなお風呂スペースが設けられており、簡単な検査や採血の後そのお風呂に入れられた。
1人で入れるって言ったのに、あれよあれよという間に裸に剥かれて隅々まで洗われた。
文字通り頭の先から足の先まで。
無人島での生活は知らず知らずのうちにストレスになっていたらしく、
湯船に浸かっている時に、安心からか涙が一筋零れてしまったのは秘密だ。
ぐちゃぐちゃだった髪の毛も綺麗に切りそろえられ、爪も綺麗にネイルを塗ってもらった。
髪の毛を切る人、ネイルをする人、それぞれ別のナースさんがしてくれたけど、皆タイプの違う美人だった。
白ひげのナースは美人じゃないとなれない決まりでもあるのだろうか。
「うふふ、とっても可愛くなったわよナマエ」
「ありがとうございます!メイクなんて久しぶりにしました」
私の肩越しに鏡をのぞくオリビアさんの方が100万倍も美しいけど。
ちなみに私は今、オリビアさんからもらった白いワンピースを着ている。
オリビアさん曰く、デザインが気に入って買ったけど、胸が苦しい割りにウエストがゆるかったためすぐに着るのをやめてしまったそうだ。
私が着ると胸の部分もきつくないし、ウエストだってぴったりだ。
ちなみにオリビアさんにとってはミニスカートだけど私にとってはひざ丈スカートになる。
現実って残酷だな。
遺伝子の違いに打ちひしがれていると、扉の向こうでバタバタと騒がしい音がし、そのすぐ後に終わったかよい?と言いながらマルコさんが医務室に入ってきた。
「マルコさん!」
嬉しくて思わず駆け寄る。
マルコさんは駆け寄った私を一瞬驚いたように見た後、笑って手を伸ばしてきた。
「おお、綺麗にしてもらってよかったな」
そう言ってぐしゃぐしゃと頭を撫でるのはわざとだろう。
でも怒ったりせずにうんうんと頷いて同意と喜びだけを伝える。
なぜなら多少髪の毛を乱されたところで気にしないくらい今は機嫌がいいから。
「マルコ隊長、せっかくセットしたのに乱さないでください」
「オリビア。ナマエの事ありがとよい」
「いいえ、元が良いので磨くのは楽しかったですよ」
見違えたわよ?とオリビアさんが私をのぞき込むが、恥ずかしさから目線をそらす。
そんな私をニコニコと見つめていたオリビアさんだが、何かに気づいたように声を出した。
「あら…?」
「どうした?」
じっと私を見つめるオリビアさんの顔がだんだん驚愕の色に染まる。
「あ…あなた!もしかしてあのナマエなの!?」
わあっと声を上げるオリビアさんに体をすくませる。
さっきまで普通に話していた彼女の態度が急に変わったことと、せっかく無人島で休まっていたのに、また「歌手のナマエ」の皮を被らないといけないのか。
どのような振舞いをすべきか悩んでいると頭上から声が降ってきた。
「悪いねいオリビア、ナマエが歌手だってことは大っぴらにしないでやってくれよい。」
はっとしてマルコさんを見つめると、彼は私の頭に手を置いて、オリビアさんを真剣に見つめている。
「この船に乗っている間は、エースの恩人だが、ただのナマエでいさせてやってくれよい」
そう言ってくれたマルコさんに目元が熱くなる。
あんなやけくそのような愚痴をこの人は真剣に聞いてくれていたんだ。
マルコさんの真剣な顔を見てオリビアさんも背筋を伸ばす。
「わかりましたマルコ隊長。彼女は“あの”歌手のナマエではなく、エースの恩人としてこの船に来たナマエですね」
そう言って笑う彼女はさっきまでのはしゃいだ笑顔ではなく、凛とした微笑みを浮かべていた。
会って間もない私になんて優しくしてくれる人達なんだろう。
嬉しくて思わず声をかける。
「オリビアさん」
「なあに?」
「私、ナマエです!よろしくお願いします!」
今度は目を見て自分から名を名乗る。
私の自己紹介を聞いて、彼女はうんと綺麗に笑って「よろしくね、ナマエ」と返してくれた。
***
「さて、身なりも綺麗にしたことだし、オヤジのところへ行くよい」
「あっはい。それじゃあオリビアさん、ありがとうございました!」
そう言ってマルコさんに手を引かれて医務室から出ると、扉の真横にエースくんが座りこんでいた。
「エースくん!?」
「ん?」
扉が開くのに反応して立ち上がったエースくんは、こちらを見て不思議そうな顔をしている。
なんでこんなところにいるのか不思議なのはこちらなんだけどな。
しばし二人で真顔で見つめあう。
何なんだろうこの空気は、と思っているとマルコさんが反応してくれた。
「なに二人してぽかんとしてんだよい…エース、お前こんなところで何してんだよい?」
「何って…マルコがナマエ連れてきたって聞いたから来たんだよ」
「名前は伝えてないはずだけどよい」
「マルコが無人島から女連れてきたって言ったらナマエしかいねぇだろ」
「まあそうだけどよい」
「それでナマエはどこだ?」
はあ?と思わず声が出たが、マルコさんも全く同じ反応をしていて、彼の声にかき消された。
「エース…」
「なんだよ」
心底あきれましたというのを隠しもしないその声にエースくんが食い気味に反応する。
私はあきれよりもちょっと悲しみの方が大きいよエースくん。
無言で私を見つめるマルコさんから、私から名乗れと言う意思を感じる。
ここで私が自分から名乗るのは気まずいでしょ、と拒否することを目線だけで伝えるも、駄目だと目だけで却下される。
「おい、二人で見つめあってどうしたんだよ」
アイコンタクトだけで会話をする私たちにエースくんが声をかけてくる。
しかたがない。
「エースくん…」
「なんだ?」
「あの…ナマエです。私」
「は?」
ぽかんと口を半開きで私を見るエースくんにショックを受ける。
いくら私ボロボロの身なりだったとしても、約半月ほど一緒に過ごした仲じゃないですか。
結構仲良くなれたかなーなんて思ってたんだけどね、ちょっと服装変えてメイクしただけで分からなくなる程度の仲だったんだね。
どよんとした空気を纏い、落ち込む私の横でマルコさんが「あー…」と首を掻く。
「エース…あー…フォローできないよい」
「マルコさぁん?」
口を開いたと思えばそれか。
「ナマエ?」
「うん」
「ナマエ?」
「そうだってば」
「エアギターの?」
「ちょおい!」
人の名前をしつこく確認した後はそれか。
思わずチョップをかましてしまった。
「ナマエ!」
「えっはい!」
「ごめん!」
「えっ!」
急に真顔で人の名前を叫んだかと思えば、綺麗に90度のお辞儀をして謝られた。
エースくんの謝罪の意味がわからずうろたえる。
「いや…!私もみすぼらしい恰好してたと思うし、女の人ってメイクで変わるからさ!気づかなくてもしょうがないっていうか…」
「ちげぇよ!」
「ひえっ…」
「その…気づかなかったことも悪かったけど、そっちじゃなくて…」
「なに…?」
頭を下げたまま話を続けるエースくん。
よくわからないけど頭を上げてほしい。
「島で…傷つけたこと、謝りたかった」
「あ、あー…」
やっとエースくんが何に謝りたかったのか理解した。
島で会いたい人について言及された事で私が泣いてしまった事をずっと気にしていたんだろう。
「あれはもう気にしなくていいよ」
「ナマエ…」
気にしてないと伝えても、エースくんは眉を寄せてこちらを伺うような態度のままだ。
「もともと怒ってもないし…泣いちゃったのは寂しかったからだと思うよ」
「……」
「エースくんに会いたい人はいないのかって聞かれて、家族の事を思い出しちゃったの」
それだけだよ、と無人島で泣いてしまった事はなんでもないのだと伝える。
それよりも私だと気づいて貰えなかったことの方がショックだった!と茶化せばやっとエースくんは笑ってくれた。
「悪かったって…名前呼ばれたけど見たことねぇ奴立ってたからさ…」
「そんなに見た目変わったかな…」
ひどい、みすぼらしいと言いつつ、ボロボロだった時の格好は鏡で見たわけではないから分からないのだ。
「ふたりとも、仲直りしたならオヤジに会いに行くよい」
今まで黙っていたマルコさんが口を開く。
そうだ、オヤジさんに会いに行かなきゃいけないんだった。
なんかマルコさんの目の前で仲直りのやりとりをしていたと思うと恥ずかしいな。
こっちだよい、と再びマルコさんに手を引かれて歩き出すと、エースくんが驚いたように声をかけてきた。
「なあ、二人ともなんでそんなに仲いいんだ?」
え?と二人同時にエースくんを振り返る。
「仲が良い?」
「そうかな?」
マルコさんと目を見合わせる。
「そっ…!当たり前のように手ぇ繋いでるし、さっきから目で会話してるし…!」
エースくんは何をそんなに驚いているんだと再びマルコさんと目を合わせれば、「そういうところだよ!」と叫ばれた。
そういうところって言われても。
「こいつが迷子にならねぇように手ぇ繋いだだけだよい」
「私はマルコさんが手をつないできたからそのまま繋いでた」
「あと一人になるのが嫌だってわがまま言うからよい」
「そのわがままも聞いてあげるよお姫様、って言われたから」
ぽんぽんと二人で返事を返せば、「はあ!?」とエースくんは驚いたまま固まってしまった。
「何がそんなにショックなんですかね…」
そうマルコさんに聞いてみれば、「はぁーん…」と顎に手を当ててなんだか分かったような反応をしている。
「なんですか?」
「どうせ友人取られたみたいな気持ちになってんだろうよい」
ほっといて行くぞ、と手を引かれ歩き出せば、後ろからエースくんが慌てて追いかけてくる。
たしかにマルコさんはエースくんと違って、嫌われたくないとか、見すぼらしい恰好を見られて恥ずかしいという気持ちにならない反面、とても話しやすい。
だからエースくんと態度が違ってしまうのはしょうがないんだけども。
友達が他の子と仲良くしていてショックを受けるなんて、まるで小学生のやきもちのようだけど、それだけエースくんの中私の存在があるならそれはとても嬉しいことだ。
ふふ、と零れそうになる笑みを噛みしめながらしばらく歩いていれば甲板についた。
「ナマエ、あの椅子に座ってるのが俺らのオヤジだよい」
1600人が乗れるこの船の広い甲板が普通の船の大きさに見えてしまうような大きな椅子。
その椅子に悠然と座るのは口に真っ白な三日月型の髭を蓄えた男性。
チューブにつながれているが、迫力が伝わってくる。
彼がまっすぐに私を見つめていた。