09
イゾウさんと別れ、あらかた船の中を案内してもらった。
私が寝泊まりするのは、最初に立ち寄った医務室の近くにあるナースの部屋だそうだ。
少し中を覗かせてもらったらフローラルのとてもいい香りがした。
船員たちの部屋の前の通路を通った時には部屋に入らずとも汗っぽ…いや、男性的な香りがしていたので、こうも違うものかと感動すら覚えた。
「ケンさんに会わないですねぇ…」
「まぁこれだけ広けりゃお互いを探してすれ違い…なんてザラにあるからねぃ。聞き込みしてくか最初から待ち合わせでもしないとな」
確かに、船内の案内を始めてからマルコさんは時々近くの人にケンさんの居場所を聞いている。
まあそれも何分前は〜とか一時間前はどこどこにいた、というような過去の目撃情報だったのであまり当てにならなかったのだけど。
「もう少し探して見当たらなかったら一度甲板に戻ってみるかねぃ…」
「そうですね、もしかしたらケンさんもそっちに行ってるかもしれませんし」
そういって歩く方向を変えた瞬間、「ああああっ!」と男性の叫び声がし、驚いて顔を上げると、声の主と思われる男性がこちらにすごい勢いで向かってきた。
「え…なに?」
「ナマエさん!…ですよね!?海の歌姫の!」
「あ、はい。そうです」
「うわあああ!やったあ!俺ずっとファンだったんです!」
握手してください!と求められるがままに彼の手を握ると、そのままがっちりと握られ、一方的な会話が始まってしまった。
「俺、俺、もともと音楽とか好きで、毎回音楽の島で開催されているコンテストチェックしてたんですよ。それでナマエさんが出場したときも中継聞いてて、本当に感動しました。絶対優勝すると思ってたんで特別賞だってなった時はびっくりしました!ナマエさんの出したレコードは全部持ってて、部屋に飾ってます!三か月前に新聞で死亡の記事が出た時は本当に一週間くらい寝込んだくらいショックでした!生きててくれて本当にうれしいです!また歌手活動には復帰されるんですよね?俺一番好きな曲は最近出した…」
「おいおい、いきなりしゃべりすぎだよい。自己紹介くらいしたらどうだ、ケン」
息継ぎもしてないんじゃないかというくらい怒涛のように話始めた彼をマルコさんがたしなめる。
というか、今聞き間違いでなければ彼をケンと呼んだだろうか。
彼が今まで探していたケンさん?
「はい!すいません、俺自己紹介もしてなくって!…2番隊所属、ケンです!よろしくお願いします!」
「はい…こちらこそ、よろしくお願いします…」
びしっと90度のお辞儀をする彼を見る。
身長はエースくんより少し低いくらいで、黒髪。
これは話に聞いていた通りだ。強さについては見た目ではわからないが、身体に無駄な肉はついておらず、鍛えている印象を受けた。
ニコニコと笑う彼の目を見ると綺麗な緑色をしていた。
顔立ちだって、彫りが深くひとつひとつのパーツがはっきりとしている。
彼が、探していたケンさん。
日本人では、ない。
「ケン、実はお前の事を探してたんだよい」
「え、そうなんですか?何でしょう?」
「前にニホンについて聞いてきたことがあっただろい?お前はニホン出身なのか聞きたくてねい」
「ああ!違いますよ!グランドライン育ちですが、生まれは北の海です。ナマエさんが雑誌のインタビューでニホンを探してるって書いてあったんで聞いたんです。マルコさんならいろんな島を知っているから」
「…ああ、そうかよい。なるほどねい」
「ナマエさん、故郷の事については何か情報はありましたか?早く帰れるといいですね…。あの、厚かましいお願いかもしれないんですけど、船に乗っている間、一度でいいので生歌を聞かせてもらえたら嬉しいなー…なんて」
「おい、ケン…」
ぼんやりとマルコさんとケンさんの話を聞いていたが、きらきらと期待の眼差しを向けてくるケンさんに向かってとっさに笑う。
マルコさんがケンさんを止めようとしてくれたのが分かったが、もういい。
「はい、そんなに私の歌を好きでいてくれたなんて本当にうれしいです。ぜひ機会があれば歌を披露させてください」
やったー!とはしゃぐケンさんを笑顔で見つめる。
気が付けば周りには多くの人だかりができており、皆が私を好奇の目で見ていた。
せっかくマルコさんがこの船では気を使わずに過ごせるよう気を配ってくれていたけれど、ここまで一気に人目を集めてしまえば無理だろう。
実は自分もファンだった、と一人が握手を求めてくれば、その後はなし崩しに握手やサインを求める人に囲まれていく。
笑顔でそれに応えようとした瞬間、目の前にマルコさんが割って入って来た。
「おいおい、ナマエにはまだ船を案内してるところだから後にしろよい。全員散った散った」
私を背中に隠すように立ち、隊員たちをしっしと追い払う。
そうやって隊員たちを遠ざけると、私の手を引き歩き始めた。
私はまだ見える隊員さんたちに空いている方の手を振り、マルコさんに話しかける。
「マルコさん、どこに行くんですか?」
無言で歩くマルコさんの背中に問いかける。
もう船内はほぼほぼ案内してもらったし、急いでどこかへ向かう必要はないと思うけれど。
私の問いかけにも答えず黙々と歩く彼に気づかれないようにひとつ、ため息を吐いた。
***
「ん。入れよい」
そう言って連れてこられたのは隊長たちの部屋が並ぶエリアの一部屋。
と、いうことは。
「マルコさんの部屋?」
「そうだよい」
「へえー…綺麗にしてるんですね」
部屋には本棚が多く並べられており、デスクの上も書類が整頓されて置かれている。
海賊も書類など書くのだろうか。
部屋の隅に置かれた観葉植物は少し元気がないように見える。
不躾とは思いながらも部屋の中を物色していると金属の擦れる音がした。
「今鍵かけました?」
振り向けばドアに鍵をかけたマルコさんがすぐ側で私を見下ろしていた。
「隊長たちの部屋は他の隊員たちの部屋と比べて壁が厚いんだよい」
「はあ…」
「これでも1番隊隊長だからねい、角部屋をもらってる」
「はあ…」
「鍵もかけた」
「それはわかりましたが…」
だからなんなのだ。
密室にしたところで私とマルコさんに男女のなんちゃらが起きるわけでもないのに。
マルコさんの意図が分からず見上げていると、おもむろ私に手を伸ばしてきた。
なでなで。
効果音をつけるとしたらこれしかない。
ひたすら頭を一定の速度で撫でられ続ける。
もう頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。
いい加減何のつもりか聞かせてもらおうと口を開きかけるも、マルコさんの「残念だったねい」との言葉に頭が真っ白になる。
ああ、そういうことね。
せっかく考えないようにしていたのに。
あっと言う間に視界はぼやけて頬を熱いものが伝っていく。
「う…」
止めようとしたって無理だった。
前にエースくんの前で泣いたときとは比較にならないほど涙があふれる。
顔は熱いし、唇は震えが止まらず、話そうとしても言葉にならない濁音だけが零れる。
やっと見つけたと思った日本への手がかりは、自分で流した情報が回りまわって戻って来ただけだった。
こんなひどい事ってあるか。
私が頑張って来たこの2年は何だったんだろう。
行き場のない怒りやら悲しみやらで頭の中がぐちゃぐちゃになる。
それに何より一番私がショックを受けたのは。
「わたっわたし…!さ、さいていっだっ…!」
「何がだよい…?」
すがりつく私に嫌な顔をせず受けてくれる彼に、詰まりながらも言葉を続ける。
「勝手に…き、期待し、したのはっわたしなのに…!」
「いや、俺もニホン人だと思いながら話してたからよい。俺も悪かったよい」
「ケンさんが…日本人じゃないって…わ、わかった瞬間」
「ん…」
「がっかりしてしまった…!」
彼は私のために情報収集をしてくれていただけなのに。
それなのに私は勝手に彼に失望したのだ。
私は期待しすぎたのだ。
「ケンさんは何も悪くないのにっ…!」
「お前も何も悪くないよい…」
汚い気持ちを吐き出し、泣きじゃくる私をひたすら慰めるマルコさんにとうとう我慢が聞かなくなる。
「うあああああん!もう嫌だ…!帰りたい…!」
さみしい。独りは嫌。家族に会いたい。友達に会いたい。
まるで子供のようにわんわんと泣き叫び、帰りたいとだけ言い続ける私を、それでもマルコさんは抱きしめ、撫で続けてくれた。
「ニホンを探すの手伝ってやるからよい…」
そう言って私をベッドに寝かせるマルコさんの声はとても優しかった。
ありがとう、とお礼を言おうと思ったけれど口は開かず、私の意識は急激に眠りに落ちていった。