16
ぬくぬくとまどろみを満喫していると、無粋な悲鳴がゆったりとした空気をぶち壊した。
目を開ければ息がかかりそうなほど近くにエースくんの顔があり、心臓が跳ねる。
思わず体を硬直させると背後からサッチさんの焦る声が聞こえてきた。
先ほどの悲鳴もサッチさんのものだったようだ。
「エース!エース!おい起きろ!マジで!なんでナマエちゃんと寝てんの!?一夜の過ち起こしちゃってないよね!?ナマエちゃんは清いまま!?俺とエース、マルコに殺されるよ!?」
マルコに殺される、とはどういう意味かと一瞬だけ考える。
マルコさんは私に対して過保護な部分があるため、サッチさんはマルコさんにこの状況がばれるのを警戒しているのだろう。
小声で叫ぶサッチさんは器用だ。
目を開けてから状況を飲み込むまでに数秒かかったが、本当になんでこの状況になっているのか全く分からない。
ゆっくりと体を起こし自分の身体を確認する。
頭がズキズキと痛むが、それ以外に身体に変わったところはない。
洋服も昨日のまま、T-シャツと短パンで着崩れた様子もない。
「サッチさん…」
「ナマエちゃん!無事!?なんで二人で一緒に寝てるの!?その感じだと過ちは起きてないよね!?」
「サッチさん、落ち着いて下さい。何もありませんでしたよ。でも本当になんで一緒に寝てたのかは記憶にないので、それはエースくんに聞いてみないと…」
エースくんに説明してもらうべく彼の身体をゆする。
これだけ横で会話をしても起きる気配がないのは流石と言うべきか。
「エースくん、起きて?朝だよ?」
「んん…あと5分…」
そう言ってベッドサイドに座る私のお腹に腕を回してきたので慌てて避ける。
これ以上心臓に悪い接触は避けたい。
とりあえず私はサッチさんの横に立ち彼に話しかける。
「マルコさんはどんな様子ですか?なんかこの状況バレたらめっちゃ怒られそうな気がします」
「俺もそう思う。ただ、マルコが朝ナースたちの部屋に呼びに行った時にナマエちゃんがいなかったからほぼアウトなんだけど…俺とマルコは朝まで甲板で寝てたから…よし、ナマエちゃんはマルコの部屋で寝てたってことにしよう!」
「わかりました。じゃあ私はマルコさんの部屋で寝てたということで、すぐ移動しますね」
わけが分からないながらも、私とサッチさんで共有できたことは「エースくんと同じベッドで一晩寝たことがマルコさんにバレるとヤバい」ということ。
嘘をつくのは気が引けるけど、サッチさんの慌て具合からして間違いない。
マルコさんは怒らせると怖い。
とにかくマルコさんにバレる前に移動しようとドアの方を向いた所で壁にぶつかる。
思わぬ衝撃によろめきながらを恐る恐る見上げると、目の前には額に青筋をたてたマルコさんが居た。
「3人ともそこに正座しろよい」
***
結論から言おう。
引くほど怒られた。
マルコさんの姿を見るなりサッチさんは叫び、それがさらにマルコさんの反感を買っていた。
エースくんはマルコさんに文字通り「叩き」起こされ、3人で仲良く正座をしてマルコさんのお説教を受けた。
マルコさんは昨夜、エースくんに私をナースさん達の部屋に連れていき、そのまま自分の部屋に戻って寝るように促したらしい。
だけどエースくんは酔っぱらっていたし、寝起きだったため、「私と部屋に戻って寝る」という様に理解し、行動したとの事だった。
物凄い勢いでエースくんが怒られていたため、思わず「途中で寝てしまった私も悪い」と助け船を出したが、これもまた火に油を注ぐこととなった。
そもそも私が急激な眠気を感じたのは、実はサッチさんが私に注いでくれた飲み物がお酒だったからだ。
お酒に慣れていない私はアルコール度数の低いお酒でも酔っぱらってしまったのだ。
私を15歳だと思っているマルコさんは、サッチさんが私に無理やりお酒を飲ませたのだと思い、激怒した。
サッチさんは私の年齢の話をしていた時にその場にいなかったため、私がお酒が飲める年齢だと思って勧めたそうだ。
お酒が飲める歳といっても16、17歳ほどだと思ったらしいので、サッチさんとハルタさんと感覚は似たようなものだ。
サッチさんから勧められたお酒は甘味が強いものであったし、お酒を飲んだ事のなかった私は気づくことなく何杯も飲み続けてしまい、酔いが眠気として現れたというわけだ。
子供に酒を飲ますんじゃねえよい!と怒るマルコさんに、気が付かずに飲んでしまった私にも非があるし、そもそも私は19歳であると告げれば良い歳の女が無防備に男の所で寝るなんて!とまたお説教が始まってしまった。
私とサッチさんが大人しく怒られていればエースくんが「俺はもう朝飯食いに行っていいか?」とまさかの他人事発言をしたため、サッチさんがエースくんにキレることとなった。
私も初めて人をひっぱたきたいと思った。
そしてこのぐちゃぐちゃの騒ぎを聞きつけたイゾウさんが顔を出し「お、さっそく問題ごとかい?案外海に落ちるのは早かったねェ」と茶化すものだからマルコさんとエースさんがそれに律義に反応してしまい、収集がつかなくなってしまった。
***
「いいか!ナマエは今後酒は男のいるところで飲むんじゃねえよい!」
「はい…誓います…」
仁王立ちのマルコさんの前で痺れる足をごまかしながら正座をする。
二度と酒を飲むな、ではなく「男の前で」とつけたのはマルコさんなりの優しさだと思う。
正直そんな優しさを見せるなら早く怒りを鎮めて欲しいというところが本音だ。
「マルコさん…」
私は反省しました。お酒は男の人と飲みません。足が痛いです。お説教は終わりにしてください。
という気持ちを込めてうるうるとマルコさんを見上げる。
そうすると流石のマルコさん、散々私の考えを読んだり目で会話してるから分かってくれたようで「分かったなら今度から気をつけろよい」とお説教を終わりにしてくれた。
大きなため息とともに。
***
お説教から解放され、三人で遅めの朝食を食べるため食堂に向かった。
マルコさんはすでに朝食を食べていたので別行動である。
「やーっとマルコから解放されたなっ!ナマエちゃんも朝から疲れたろ?」
「まさかあんなに怒られるとは思いませんでしたね…」
「まーね。なんていうか二人が思ったよりお子ちゃまでこっちは安心したけどね?もう紛らわしいことしちゃダメだよ」
サッチさんに頭を撫でられながら今朝の行動についてたしなめられる。
意識してなかったけれど19歳にもなると男女の仲について周りの目が厳しくなるんだなあ。
今まで誤解すら起きるシチュエーションにならなかったのも実は悲しい事なのかもしれない…。
エースくんは今朝の出来事よりも今日の朝食のメニューの方が気になるようで、横からサッチさんにしきりにメニューを聞いている。
…私とエースくんで男女のなんちゃらが起きるわけないじゃないか。
***
食堂に着けば、「はい、ナマエちゃんの分」とごく自然に渡される朝食。
今日も美味しそうなメニューがバイキング形式で並んでおり、サッチさんは素早く私の元に朝食を持ってきてくれた。
サッチさんが持ってきてくれたのはシーザーサラダとほうれん草の入ったキッシュ、ジャガイモとベーコンのコンソメスープ、チーズトーストと蜂蜜ナッツ入りヨーグルト。
今日も豪華だ。
「むぉ、待たせたな、二人とも。」
「あはは、食べながら持ってきたの?」
両手に山盛りの料理を持ってきたエースくんの口の中にはすでに食べ物が入っている。
いただきますをして、エースくんが掃除機のような勢いで食べ物を吸い込んでいく横で私とサッチさんは比較的ゆっくり食べすすめる。
そしてエースくんはいきなり電源が落ちたかのように突っ伏して寝るのだ。
「おお…エースくん、今日も寝落ち…」
「毎回の事だから慣れようね」
昨日も見た光景なので、今回はさほど驚かなかったが、本当に体に問題がないのか心配になる。
「そういえば今日はナマエ何して過ごすんだ?」
「おおっ…起きた…」
そうしていきなり眠るのと同じように急に眼を覚まし、会話を続けるものだからこちらは戸惑うばかりだ。
「んー…今日も昨日と同じようにこの後シャワーして、音楽室に行こうかなぁ」
「それがいいかもな。俺もマルコも午後までたぶんやる事あるし」
「だよねー。二人とも忙しいよね。」
1人で船をウロチョロするよりは音楽室でアダムさんと一緒にいた方がいいだろうな。
イゾウさんみたいに私を警戒している人もいるだろうし。
「今日は1日音楽室にいることにするよ」
「俺も手が空いたら顔出すからね」
「ありがとう、サッチさん」
そうと決まればさっさと朝食を終えて音楽室に行こうと食べるペースを上げる。
「ナマエ!いるかよい!」
突然聞こえたマルコさんの呼び声に顔を上げると、食堂の入り口でマルコさんが私を探して辺りを見回していた。
慌てて口の中の物を飲み込み、立ち上がり叫ぶ。
「マルコさーん!ここ!」
大きく手を振ればすぐにマルコさんはこちらに気づき近づいてきた。
「どうしたんですか?大声で呼ぶなんて」
「ああ、悪いねい食事中に」
「いえ…」
サッチさんにイスに座るようジェスチャーされるも、手を上げるだけで断るマルコさんはここに長居をするつもりがないらしい。
両手を腰に当て、こちらを見下ろすマルコさんを見つめ返す。
「あー…ナマエ」
「はい、なんですか?」
「それを食べ終わってからでいいからよい、医務室に来てくれるか?」
朝食を指さし、言い辛そうにお願いをするマルコさんの眉は八の字を描き、目も私と会わない。
先ほどまで私たちをお説教していた人物と同一人物とは思えない。
「ええ…シャワーもしたかったし、音楽室に行く前に寄るつもりだったので全然大丈夫ですよ」
「ああ、なら、いいんだよい。…じゃあまた後でな」
そう言って立ち去るマルコさんを見送り、残された3人で顔を見合わせる。
「マルコさんどうしたんですか?」
「なんかさっきと態度大違いじゃねぇか?」
「ナマエちゃんの事叱りすぎたって後悔したのかもよ?」
「いや…それはどうですかね」
先ほどのマルコさんの態度に疑問を抱きながら、デザートを口に運ぶ。
ヨーグルトと蜂蜜ナッツの組み合わせはとても美味しく、心の中でお気に入りの食べ物リストに追加した。
***
「失礼します。マルコさん、ナマエです。来ましたよー」
ノックをして医務室に入ればマルコさんはデスクに向かい何かの書類を眺めていた。
「マルコさん?」
「ナマエ、来てくれてありがとよい。ここに座ってくれ」
そう言ってマルコさんの横に置かれた丸椅子に座る。
マルコさんは眼鏡をかけているし、まるっきり医者と患者だ。
「マルコさんてお医者さんなんですか?」
「そうだよい。俺がこの船の船医だ。まあ一人じゃないけどよい」
「なんか、意外な気もするし…しっくりくる感じもします」
「なんだその感想はよい」
くっと笑うマルコさんを眺める。
今は先ほどのような気まずい雰囲気は出していないが、まだ目が合わない。
用件は何だったろうか。
「さて、お前に確認したいことがあるんだけどねい」
「なんでしょう」
「お前の血液型は何だ?」
「血液型ですか?それなら…」
何も考えずに質問に答えようとして止まる。
一昨日、乗船して一番にされたことは採血と簡単な問診検査だ。
なのに何故わざわざマルコさんは血液型を聞いてくるんだ?
細かく検査をしたいからと言って多めに血液を採っていたのに、血液型を本人に確認する必要性は?
マルコさんの質問の意図が分からないまま素直に答えるのは怖い。
そもそもワンピース世界での血液型はA、B、O、AB型の表現でいいのだろうか。
今まで時事ニュースは勉強したけど、この世界では血液型占いもないせいで話題にならなかった。
「えっと…なんだったかな…」
確認していなかった自分の甘さに内心舌打ちをしながらしらばっくれてみる。
自分の血液型を「思い出そうとする」なんて現代日本であればありえないが、私は今記憶喪失だ。
通用するだろうか。
「何か…問題でもあったんですか?」
「ああ…」
「えっ!本当に!?」
探りを入れようとして返り討ちにあった気分だ。思わず声が大きくなる。
「採血したお前の血液なんだけどよい…X、F、S、XFのどれとも微妙に当てはまらないんだよい」
「最初はデータの間違いだと思ったんだけどよい。多めに血液を採ってたからもう一度データを取り直した。先ほどやっと出てきた結果は同じだった」
「何か心当たりはあるかよい?」
食堂に来た時から合わなかった視線が眼鏡越しに合う。
その瞳は冷静さを持ちつつも困惑を隠せていなかった。
ああ、マルコさん。
困惑するのはわかりますが、一番困惑しているのは私です。
まさか血液がこの世界の人たちと違うなんて思わないですよ。