02
「ロブ・ルイとジンリッキー。あとつまむもの何か適当に」
「はい、かしこまりました。少々お待ちください」
ジョンさんのお店で働くようになって3日目。
メニューをお客様からうけとり、カウンターにいるジョンさんに注文をつげる。
ジョンさんが絶え間なく料理やお酒をつくるので、それ以外の雑務を私がしている。
仕事の内容自体は難しいものではないのですぐに覚えられた。
注文をとる、配膳する、空いた席をきれいにする、食器を洗う。そんな感じだ。
ジョンさんが一人で経営しているという割にお客さんは多く、
雑務をしているだけなのに一息つくのもやっとの忙しさだ。
今までどうやって一人でお店を回していたのだろうか。
ジャズの音楽を背景に無心で雑務をこなしていく。
「ふぅ…」
「お疲れ様、ナマエ。今日は少しいつもよりお客さんが多かったんだ。
最後のひとりが帰られたから今日はもう閉めるよ」
「あ、はい。すぐやります」
無心で仕事をするうちにお客さんが帰られたようだ。
ぼうっとするのはよくない。気を付けなければ。
さっさと入り口に「Close」の看板を出しカギをかける。
そのままモップを部屋の端からかけはじめる。
「もうそろそろ仕事には慣れてきた?」
「はい!ジョンさんが最初にしっかり説明してくださいましたし、
お客様も皆様お優しいので」
ジャズバーということもあり、落ち着いたお客さんが多い。
「よかった。まあ仕事自体は難しいことでもないからね。でもナマエがどんどんやってくれるから昨日、今日とすごく楽だったよ、ありがとう」
「いや!無理に居候させていただいてるので、このくらいは当然です!」
声だけで元気よく返し、手元はモップがけを続ける。
隅の埃も残さないように丁寧に。
「それでね、明日ちょっと町の中心地にいかなくちゃいけなくて、いつもみたいに一緒にいられないんだ」
「あ、そうなんですか?」
視線をあげてジョンさんを見る。
この世界での常識がなく、故郷もないと知ったジョンさんはこの三日間つきっきりでいろんなことを教えてくれた。
世界がグランドラインとレッドラインによって4つの海に分かれているという世界の基本から、ベリーの数え方。
この島はグランドラインの春島で、比較的気候が穏やかであること。
まだまだ知るべきことは沢山あるけれど、ジョンさんに教わって少しずつ知識を増やしている。
「それなら私、昼間は海で遊んできます。夜はいつもと同じ時間にお店開けますよね?」
「夜は普通にお店を開けるつもりだけど…海の中には入らないようにね」
ちょっと怖い顔をされた。
初日のことは誤解だと言ってあるのに、いまだに心配される。
ジョンさんが見ず知らずの私に良くしてくれるのも、目を離したら心配だからというのが理由なのかもしれない。
とりあえず笑ってごまかした。海には触りたい。
「なんか夢中になれるものでもあるといいんだけどねぇ…」
「そうですねぇ…」
海以外で夢中になれるもの。
この世界ではわたしは海に愛されている。
海の中はゆったりとして、包まれている安心感と何とも言えない気持ちよさがあって―
いけない、ここで海の中が好きですなんて言ったらまたジョンさんを心配させてしまう。
「歌とか、好きですね」
「いいじゃないか、歌。歌うだけ?楽器とかは弾けるの?」
「いやーカラオ…歌うだけで楽器は弾いたことないです。弾けたら楽しそうですけど」
カラオケってこっちにあるのかな。言いかけてやめる。
「じゃあ楽器はじめたら!?ちょうど使わなくなったギターあるからあげる。始めてみなよ」
「え、いいんですか?それじゃあ、やってみようかな」
ここぞとばかりにいい笑顔で勧められるもんだから、とりあえず同意してみる。
「ギターと、あと基本的な教本もあげるね」ジョンさんは嬉しそうにカウンターのテーブルを拭きはじめる。
ありがとうございます、とお礼をいい私もモップがけを再開した。
***
お昼過ぎ、ギターを背負い、海に向かう。
どうせなら海の近くで練習すれば、人もいないしすぐに海に触れる。
ジョンさんは昨日言った通り、私にアコースティックギターと教本をくれた。
ジョンさんはもともとジャズが好きで、自身もジャズバンドを組んでいたそうだ。
いや、今でも本当に時々ではあるけれどバンド仲間とセッションすることがあると言っていた。
そしてジャズ好きが高じてジャズバーを経営するに至ったらしい。
お店から歩いて20分ほど、海が見えてきた。
この間は砂浜だったけれど、座りやすいように岩場を探してみる。
「お、ここよさそう…」
岩場が続き、海側がそんなに海面との高低差もなく、足を海につけて座れそうなところを見つけた。
ギターを置き足を海につける。
そのとたん身体の中がざわつく。
ちゃぷりとさらに足を沈める。
地面に足をつけて立っても膝くらいまでの高さだ。
波のせいで膝上までは水飛沫で濡れてしまうけど。
「………だめだ、あがろう」
このまま海に潜ってしまいたい衝動に駆られたけど、今日はタオルも着替えも持ってきていない。
おとなしくギターの練習をするんだ。
海からあがり、ギターを置いた場所に戻る。
「楽譜は読めるけどコードとかわからないんだよねー」
ぺらりと持ってきた教本を開き、ギターを持ってみる。
そのまま教本通りに弦を抑える練習をしたり指の形を覚えることに集中する。
***
「結構…指が動くようになってきたんじゃない?」
一息ついて自画自賛してみる。
ギターを触り始めてから思いのほか夢中になってしまった。
ぐーっと座ったまま背伸びをする。ずっと手元を見るようにしていたせいで背中がミシミシと音をたてる。「んあー」と間抜けな声が漏れる。
「………」
ぼうっと目の前の海を見つめる。
だめだ、やっぱり我慢できない。
さっと立ち上がりそのまま海に入る。
ざぶり、と太ももまで海に浸かったところで立ち止まる。
なんか無性に歌が歌いたい。なんだこの衝動は。
もともと歌を歌うことは好きで、よくカラオケにも行っていたけれど、この歌わないと頭がどうにかなってしまうんじゃないかと思うような衝動にかられたことはない。
息を大きく吸う。
歌うのは、大好きな曲。
自分が深い、深い海の底に沈んでいったとしても、その海の底から必ず誰かが引き上げてくれるといった歌。
歌いながら何気なく足を踏み出してみる、すると地面を蹴るかのように水を踏むことができた。
そのまま体重をかける。
乗れる。
もう一歩高い場所に足を置く。
今度も乗れた。
水の中を階段を上るかのように上がり、水面に立つ。
波の感触が足の裏をくすぐる。
そのまま歌いながら水面を歩く。
陸地から離れたところに来ると自分の周りに魚が集まってきた。
歌のメロディーに合わせて魚群が動く。
おもむろに右腕を下から上にあげる。
すると直径50センチほどの水柱が高くあがり、その中には魚が泳いでいるのが見える。
同じように左腕も上げると、今度は左から水柱が上がる。
手を下せばばしゃりと水柱が下がる。
勢いをつけて海面を蹴れば、ジャンプしたところに水柱が足場のように次々とできる。
そのまま水柱を階段のように駆け上がり、海面から5メートルほどの高さになったところで水柱を作るのをやめる。
当然体はそのまま落下するが、足が着くのは固い地面ではなく柔らかい海面。
痛みもなく着地する。
海が自分の思い通りに動き、メロディーに合わせ海の生き物たちが周りを取り囲む。
今までまったく考えられなかったようなことが起きている。
驚きと嬉しさが入りまじり、興奮が止まらない。
時間も忘れ、思いつく曲を端から歌い、海と遊ぶ。
気が付けば夕日も沈みかけ、空が薄暗くなり始めていた。