23

もう一度手を水に浸けるが、今度は何の変化もなく、視界が変わることはなかった。

なんだか夢を見ていたような気分になるが、今のは一体何だったのだろうか。
視界が変わったことは不思議だが、今一番気になるのはあの殴られた男性だ。
もし、あの光景が現実にあったことだとして、あの男性は寄ってたかってあんなに殴られて無事でいられるのだろうか。
もし、このまま放置して、明日死体が見つかった…なんてことになったら寝覚めが悪すぎる。

どうしても確認したい。

もし海岸にいって、何事もなければそれでいいし、本当に男性が倒れていたら助けた方が良い。

1人では絶対に行きたくないので、ついて来てくれる人を探そう。
まず頭に浮かぶのはエースくん。
海に行こうと声をかければ二つ返事でOKしてくれるはず。
そう思い店内を見回すと、酔いつぶれてテーブルに突っ伏しているエースくんを見つけた。
誰も起こそうとはせず、放置されている。

エースくんが駄目なら…マルコさん、も駄目だな。
マルコさんに海に行こうと言ったら「用もないのに夜の海なんて行くもんじゃないよい」とか言われそうだ。
そうなると…私が頼れるのはサッチさんだな。
サッチさんを探し、すすすと隣に寄っていく。

「お、ナマエちゃんおかえり!ナンパされてたね〜」
「え?いや、ナンパはされてないですよ。それより」
「え〜?なんか若い料理人のお兄ちゃんに熱心に話しかけられてたじゃない。やるね〜」
「いやいや、ほんとにナンパじゃないし、それよりサッチさん…」

見た目酔っぱらってるようには見えないけど、意外と酔っぱらってるのか?
とにかく本題に入りたくてサッチさんの袖を引っ張り、自分の口元に手を添えると自然と耳をこちらに寄せてくれた。

「何?内緒話?」
「サッチさん、二人で海を見に行きませんか」

こそっと囁くようにサッチさんを誘う。
早く、マルコさんに見つかる前にお店を出なくちゃ。
マルコさんに見つかったら反対された挙句、子供はもう寝る時間だよい!とかいって船に送られるのだ。そこまではしないかもしれないけど。
自分たちが飲み終わるまで空いてるソファー席に寝かしつけられるくらいはするかもしれない。

「え!?」
「外暗いですけど、海が見たいんです…二人で」

サッチさんからマルコさんに声をかけないように「二人で」を強調すると、サッチさんが何やらキョドキョドしはじめた。
マルコさんにバレた時の事を心配してるのだろうか。

「マルコさんにバレないようにこそっと行ってこそっと帰ってくれば大丈夫ですよ」
「えっ、う〜ん本気で言ってる?エースじゃなくて?俺?」
「すいません、飲んでるところ邪魔しちゃ悪いなって思ったんですけど、最初に声かけようと思ったエースくんは酔いつぶれて寝てるから…」
「あっ」
「マルコさんは夜の海なんて行くなとか言いそうだし、私が頼めるのサッチさんしかいないんです」
「あっそうだよね!そうよね!海をね!純粋に見たいんだよね!?」
「…そうです。」

海を見るのに純粋とかなんかあるんだろうか。
やっぱりサッチさんも見た目は普通だけど酔ってるのかな、と心配になってきたが、あっさり席を立ち、「じゃあサッと行ってサッと帰ってこようか〜」と歩き始めてしまった。

外に出て足元が岩場になっている海岸を目指す。
あっちだろうか、こっちだろうか、とサッチさんと話しながら進む。
なぜ岩場の海岸にこだわるのかサッチさんに不思議がられたが、そんな気分だとか適当にごまかす。

それっぽい海岸に着き、辺りを見回す。
先ほど居酒屋で見た光景は幻覚であってくれ、と願うも人影を見つけてしまった。
どうか若人の青春の1ページであってくれ、パーリーピーポーのパーリータイムでもいい。
暗闇の中目をこらしても、若人でもパーリーピーポーでもなく、いかつい男たちの不穏な現場しか見えてこない。

「サッチさん!サッチさん!あれ!」
「え〜何か見つけた?……あらあら〜」
「サッチさん、なんとかなりませんか?」
「他人の事情に首突っ込むのはどうかと思うけど…このまま見過ごすのも危ないか」

ここで待っててね、と言われた場所で素直に見守る。
サッチさんはひょいひょいと男たちに近づいていき、話しかけた。
数秒後、男たちに殴りかかられたサッチさんはいとも簡単にやり返し、あっという間に男たちを追い払ってしまった。
サッチさんに言われた場所で男たちが闇に消えるまで見続け、完全に見えなくなったところでサッチさんたちの方へ向かって動き出す。

ガチャガチャと石を踏みながら歩いていると、濡れた石で足を滑らせ転んでしまった。
挙句、丁度手をついたところにとがった貝殻があったようで掌がぱっくり裂けている。

「ああ…」

マルコさんにバレないうちにこっそり行ってこっそり帰ってくる作戦はこの時点で失敗が決定した。
まあ、もしあの男性を連れ帰ることになったらバレずにというのは無理だけど、お説教回避くらいはできたかもしれないのに。
とぼとぼと歩いて二人の所に到着する。

「サッチさん…」
「あ、ナマエちゃん、この男結構傷が酷いから連れて帰るわ。海全然見れなかったけど、もう帰ってもだいじょう…その傷どうした!?」
「ころんだ…」
「いつ!?いま!?」
「いま…」
「噓でしょ、俺マルコに殺されるじゃん…」
「ごめんなさい…」

なんで転んだ私じゃなくてサッチさんが殺されるんだと思うかもしれないけど、たぶん私と同じくらいサッチさんはマルコさんに怒られると思う。
申し訳ないことをした。
なので殺される発言は否定せず謝っておいた。

「じゃあ…とりあえず男を担いで…と」

サッチさんは右肩に男を担ぎ、左手を私に差し出して来た。

「帰り道は手を繋いでこうね」
「はい…」

私、ナマエ。19歳。夜の海で転んで、帰りは手を繋いでもらうことになったよ。
情けなくて涙が出るね。

「マルコさん怒りそう…」
「そうだな…」
「どうせ濡れた石の上を歩いて転んだ先に貝殻があって怪我したんだろうよい。石の上を歩くときはその石が地面に固定されてるかどうか見てから乗るんだよい。石の上に乗ってる石は体重かけたらぐらつくに決まってるだろうよい。って言われそう」
「やけに具体的だな…」


***


居酒屋に戻ると、サッチさんが担いだ見知らぬ男に気づいたクルーたちがざわつく。

「サッチぃ〜!どうしたその男!!」
「女じゃなくて男を持ち帰るようになったのか!?」
「いや、あの男傷だらけだ、なんかあったんじゃないか?」

喧騒の中、マルコさんのいるテーブルに向かう。
「おーい、マルコ、コイツ見てくれねぇ?」
「サッチ…お前どこに行ったかと思えば…めんどくさそうなもん拾ってきたな」
「まあそう言わずに…見捨てるのも寝覚め悪いしさ」

まあねぃ…と相づちを打ちながら男性をソファー席に寝かせ診察を始めたマルコさん。
男性は顔も結構殴られたようで血まみれ、目の上も腫れているから元の顔が分からないくらいだ。
しかし、この男性どこかで見たことがあるような気がする。
顔は血まみれで腫れているし、元の顔が分からないくらいなのに。
服装を見たことがあるんだろうか。
うーん、と1人考え込んでいると、一通り診察を終えたマルコさんが口を開いた。

「内臓には傷がついてないようだし、骨折もない。見た目は派手にやられたようになってるが、どれも塗り薬で何とかなる傷だよい。意識がないから、モビーに一晩泊まらせるかね」

居酒屋だというのに最低限の薬キットは持ち歩いているようで、ほどんどの手当てはこの場で済んだようだ。
大怪我のように見えたが、見た目より酷くないようで安心した。
ほんとに殺人事件の目撃者になってしまうんじゃないかとハラハラしたのだ。

「んじゃ次、ナマエ」
「ひえ」
「こんな時間にどこに行ってたんだよい」
「あの、あの、海を見たくて、サッチさんに連れてってもらいました」
「こんな暗い中出歩くから怪我するんだよい」

ササっとアルコールガーゼで傷周りを綺麗にされ、縫うほどでもない、と塗り薬を縫ってガーゼを貼られて終わった。

「どうせ濡れた石の上を歩いて転んだ先に貝殻があって怪我したんだろうよい。石の上を歩くときはその石が地面に固定されてるかどうか見てから乗るんだよい。石の上に乗ってる石は体重かけたらぐらつくに決まってるだろうよい。」
「マルコさん見てたんですか?」
「は?」
「いえ…」

怪我のシチュエーションもだけど、帰り道に私とサッチさんが話していたマルコさんが言いそうなセリフをそのまま言ってきたので、まさか一部始終見られてたのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。なんでドンピシャで当ててくるんだ。いや、この場合マルコさんの言いそうなことを当てたのは私か。
サッチさんちょっと笑ってるし。

ソファー席で眠る男性に再び視線を移し、どこで見たんだろうかと考えを巡らせていると、「コイツ、昼間広場でナマエに話しかけてきた奴じゃねぇか?」とひょっこり肩口からエースくんが顔を出して来た。

「エース、コイツの事知ってるのかよい?」
「知ってるってほどじゃねぇが、昼間ナマエに話しかけてた奴だと思う。ファンだってさ」
「ナマエなんで言わなかったんだよい」

なんでと言われても、今エースくんに言われて初めて気が付きました。
確かに広場で話しかけてきたお兄さんと服装が一緒だ。
なんで気が付かなかったんだろう。

「…ナマエちゃん、コイツが浜辺に居るって知っててあそこに行ったの?」
「えっ!いやいやいやいや、まさかぁ!偶然です!」
「ほんとに?」
「本当ですよ!大体どうやってこのお兄さんが海辺にいることを知るんですか!?」

サッチさんの質問に心臓が口から飛び出るかと思ったけど全力でごまかす。
自分自身なぜあの光景が見れたのか不思議なのだ。
説明なんて出来るわけない。
バタバタと両手を顔の前で振り、何も知りませんアピールを必死でしていると、マルコさんが大きくため息をついた。

「まあとにかく、コイツをいったん船に運ぶよい。ナマエも、もういい時間だから一緒に船に帰るよい」
「はあい」

突然の見知らぬ男性の登場に微妙な雰囲気になっていた居酒屋だが、マルコさんの「俺は船に戻るが、お前らもほどほどにしろよい」との投げかけに元の喧騒に戻っていた。
男性を担ぎ先にお店を出るマルコさんに続き、私もお店を出る。
エースくんとサッチさんはまだ飲むらしい。元気だなあ。

***

船の医務室で改めてお兄さんの診察をし、薬の付け足しや、足りなかったガーゼを貼ったりとした簡単な処置だけを行った。

「明日にはまあ、普通にとは言わねえがだいぶ動けるようになるだろ。顔の腫れも今は別人ぽいが、元の顔が分かる程度には引くだろうよい。あーでも栄養剤だけ打っとくか」
「そんなに早く良くなるなんて!本当によかった…」
「そういえばナマエ、こいつと知り合いだって?」
「いえ、昼間広場で声をかけられただけです。名前も知りませんし」
「そうか。…見ず知らずの奴に話しかけられても付いてくんじゃないよい」
「え?なんですかそれ。大丈夫ですよ」
「……」

無言でお兄さんの腕に注射器を刺すマルコさんの横顔を眺める。
本当に私の事を小さい子扱いしてるんだなぁ、と思うが、今日も転んで心配をかけさせてしまったので何も言えない。
もやもやしながらも治療に使った器具を片づけ、これ以上は特にすることもないからと明日、朝一でまた様子を見ることにしてそれぞれ部屋にもどった。


***


朝医務室に寄るとすでにマルコさんはお兄さんの問診を始めていた。
マルコさんはいつもの診察用のデスク前に座り、お兄さんも向かいの丸椅子に座っている。
受け答えもはっきりしているようで一安心だ。
問診が一通り終わったところを見計らって声をかける。

「おはようございます!お兄さん目が覚めたんですね!」
「え!?アンタ…なんでここに!?ここって白ひげの船だろ?」
「まあ…色々あって居候してるんです。でもこれからはこの島に住む予定なんで、よろしくお願いしますね!」
「あ、ああ。こちらこそよろしく。…昨日アンタが俺を助けてくれたんだってな。ありがとう」
「いえいえ、発見できてよかったです。」

当たり障りのない会話をしているとマルコさんが立ち上がる。

「ちょっと席を外すよい。ついでに朝食も食べてくる。アンタはもう少しベッドにでも横になってろ。ナマエはどうするんだよい?」
「私はもう朝食も食べてきたのでここで待ってますね」

朝食をとりに行ったマルコさんを見送り、お兄さんに向き直る。
朝早いため医務室にはまだ私とお兄さんしかいない。
もう少しすればナースさんたちも部屋に入ってくるだろう。
とりあえずお兄さんをベッドに案内しようと立ち上がると、腕を掴まれた。

「どうしました?」
「俺、もう船を降りるよ」
「えっ?マルコさんが戻って来るまで休んでてくださいよ!」
「いや、悪いが少しでも朝早いうちに出たい」

そう言って歩き出すお兄さんに焦る。
マルコさんも気になるが、本人が降りたいのを無理に引き留めるほどでもない。
しかし怪我の具合はどうなんだろうか、マルコさんが横になってた方が良いと言ったなら横になっていた方がいいんじゃないか。
ぐるぐると考えたが、本人がここに留まる気がない以上、私がどうこうできることでもないような気がしてきた。
しかし、船を降りてすぐに倒れられても心配なので、見送りだけはしようと決めた。
医務室のドアを開けて去っていくお兄さんをすぐに追いかけたい気持ちを抑え、マルコさんの机に書置きを残す。

「お兄さんが船を降りるというので見送りだけしてきます。ナマエ」

急いで書いたのでだいぶ汚い字だが、まあしょうがない。
でもこれでマルコさんが戻って来た時に私とお兄さんが居なくても大丈夫だろう。
メモが飛ばないように重しを乗せ、お兄さんを追いかけて小走りで医務室を出た。