07
ジョンさんたちにお別れして、私はポールさんと音楽の島へ向かう船に乗っていた。
ポールさんの私有物の船は、私たちのほかにスタッフが数名乗船していてもまだ余裕があるくらいには大きい。
敏腕プロデューサーとは儲かるらしい。
道中ジョンさんのギターを置いてきた私にポールさんは新しいギターを買ってくれた。
十数万だったか数十万だったか忘れたけれど、とにかく高いギターを買ってくれた。
ただ大変申し訳ないことに私にはまだ音の良し悪しがいまいちわからない。
「ナマエ、君はとにかくコンテストで歌う曲の練習に集中してくれればいいから」
「はい、何から何までありがとうございます。ギターも買ってもらってしまって」
「未来の大物歌手へのプレゼントさ。もっと良いものがあったらそっちを買っていたけど、この間寄ったお店ではそれが一番いいものだった。
それより、予定では音楽の島についた次の日にコンテストに出場することになるから、心の準備だけしておいてね」
「ほんっとギリギリまであの島にいたんですね!?」
「だから最終日に君に会えた僕はすっごくラッキーマンだねー」
「そんな軽い感じでいいんですか…」
こんな具合にポールさんとは軽口を言い合える仲になりつつあった。
船ではひたすら同じ曲ばかり練習し、ポールさんやスタッフさんにも練習に付き合ってもらった。
そんなこんなで2週間がたった今日。私たちはまだ島についていない。
「予定では昨日の昼には島に着いてるはずだったんだけどな…」
「まあ、当初からだいぶギリギリのスケジュールでしたから、予定がずれれば当然こうなりますよね…」
船の到着が遅れ、私たちはまだ島に上陸できていない。
コンテストには参加できそうだけど、それもポールさんが電伝虫で参加が遅れると本部に連絡し、無茶を言って私の出場時間を遅らせてもらったらしい。
ポールさんはどれだけの力を持っているんだ…。
「あっポールさん!島が見えましたよ!」
「よかった!これでコンテストに間に合う!島に着いたら走るよ!」
「えっあっはいっ!」
歌う直前に走るとか大丈夫かな。
息切れしながらステージに上がるようなことにならなければいいけど。
***
「ポールさんっ!待ってましたよ!コンテストに出場する方はどなたですか?!」
「ああ、すまないっ!この子が出るよ」
「すでに前のグループの出番が終わり、今お客さんを待たせている最中です。すぐにステージに上がってください!音源はどうされますか?」
「ギターの弾き語りだ。マイクの位置だけ調整してくれ」
「わかりました、ではこちらからステージへお上がりください」
まさに怒涛。
コンテスト会場に着くなりスタッフとポールさんの間であわただしく会話がされる。
船で心配していた悪い予感が当たってしまったようだ。
息切れも整わないまま、促されるままステージへ向かう。
会場の外まで聞こえていた歓声が、私がステージに上がった途端、一際大きくなる。
「さあ!みなさん長らくお待たせいたしました!今回のコンテストのトリを飾るのは、あのマイケル・ポールが見初めた無名の歌姫!ミョウジ・ナマエ!」
アナウンスを受けてさらに歓声が大きくなり地面が揺れる。
会場に着くなりステージに上がったため知らなかったが、私は最後の出場者らしい。
しかもあのポールさんの、という枕詞がついている事から、さらに注目が集まっているようだ。
敏腕プロデューサー一押しで、コンテストに遅れてやってきた無名の歌手とか、言葉だけで見るとなんか凄く期待を抱かれそうな設定である。
武道館ライブってこんな感じなんだろうか。
いや、ここは屋外だから野外フェスだ。
あいにく私は武道館ライブも野外フェスにも行ったことはないので、テレビで見たイメージでしかないけれど。
どこまでも遠くまで見える人。人。人。
緊張で冷たくなり、小刻みに震える手を摩りながらマイクの前に立つ。
観客たちのざわつきを頭の中から追い出したくて目をつむる。
この大きすぎる歓声、もしかしたらブーイングも混ざっているかもしれない声たちを振り払いたい。
きつく瞼を閉じ、集中する。
ここで歌う曲は決めてきた。
ある日突然違う世界に来て、なんとか平穏に暮らせそうって思ってたけれど、それも上手くいかなくて。
自分を慰めるつもりで選んだこの曲だけど、もっと多くの人を元気づけられたらいい。
確かナミさんやロビンさんは麦わらの一味に入るまで辛い思いをしていた。
それならば原作前の今まさに彼女たちは自分の置かれた境遇と戦っているはず。
今は辛いかもしれないけれど、麦わらの一味になった後は彼女たちは幸せだから。
彼女たちが私の歌を耳にすることはないかもしれないけれど、それでも彼女たちを思って歌いたい。
そして、どんなに些細なことでも今気分が落ち込んでいる全ての人たちに向けて。
「Up!歌います」
2週間みっちり練習し、何も考えずとも指が勝手に動くくらいになるまでになった。
緊張で頭が白くなっているいま、練習していてよかったと本当に思う。
イントロを弾き、息を大きく吸う。
「これでもかってくらいどん底なの
まるで誰もが私のことをお見通しで
私の思い通りにさせたくないみたいに
もう、本当についてなくて
何もかもうまくいかない 」
会場全体に私の声が響き渡る。
歌い始めるまでは内臓が口から飛び出しそうなくらい緊張していたけど、歌い始めたら声を出すことが気持ち良くて、サビに差し掛かるときには顔に笑みが浮かんでいた。
「上へ! 上へ! 上へ!
ここからはもう昇る事しか出来ない
起きて! 立ち上がるのよ! もっと上へ!
雲が晴れる場所へ
起き上がって! 上へ! 上昇するのよ!
ここから起き上がる以外他にないの」
全てがうまくいかない時は誰にだってある。
だけどそれはきっと長くは続かない。いつかきっと終わりがある。
その時まで持ちこたえて見せる。
私の場合は元の世界に戻るその時まで。
どんなに苦しいことがあったって生きることを諦めない。
元の世界を諦めることなんてできない。
私の気持ちを全部歌に乗せるつもりで歌い切った。
あれだけ大きかった歓声は私が歌っている最中にどんどん小さくなり、歌い切った今では会場は静まり返っていた。
深くお辞儀をし、顔を上げると司会者と目が合う。
司会者は私と目合うとあっという顔をして慌ててアナウンスを始める。
「あ…ありがとうございました!ミョウジ・ナマエ!我々の期待を上回る歌声を披露してくれました!最後に彼女に大きな拍手をお願いします!」
そうしてはじめて大きな拍手が起こった。
観客は皆総立ちで拍手を送ってくれて、私はそれを目に焼き付けてもう一度深くお辞儀をしてステージを下りた。
私がステージを下りた後も拍手はしばらく鳴りやまなかった。
「ナマエ!素晴らしかった!船で聞いていた練習なんか比べ物にならない!同じ曲を歌っているのにどうしてあんなに違いが出るんだろうな!?とにかくお疲れ様!優勝は間違いなしだ!」
ポールさんは私に会うなり興奮して話し続けている。
どうやらコンテスト中でも一番の盛り上がりらしく、これはもしかしたらもしかするぞと心の中で期待をしていた。
しかし実際結果を発表されてみれば私は優勝できず、審査員特別賞を受賞した。
***
コンテストに出場してから1年半がたった。
あの日コンテストに出場したことで私は一躍有名になった。
業界最大手のレコード会社と契約し、今や「若手NO.1歌手」「世界の歌姫」「海の歌姫」とありがたい呼び名を付けてもらっている。
もちろんお気に入りは海の歌姫である。
こんなに密度のある1年半は初めてだった。
歌手デビューをしてからというもの、毎日ギターとボイスレッスンをしながら、どんどん決まっていくライブをこなしていく。
100人ほどの会場から何万人も入るような大会場でのコンサートもやった。
レコードはかなりのハイペースで出していたと思う。
私自身が作詞作曲するのではなく、元の世界で有名だった曲を歌うのだから当然といえば当然か。
罪悪感はあったが、それ以上に曲を聴いて元の世界を知る人が名乗り出てくれないかという気持ちの方が強かった。
自分でも作詞作曲はしていたが、発表するほどの出来ではないと判断し、お蔵入りにしている。
歌手活動の他に、腕時計や鞄ブランドのモデルなども声を掛けられればやった。
そのためデビューして1年とたたずに私の存在は瞬く間に世界中に知れ渡ったのである。
音楽の島のコンテストの知名度と、レコード会社の戦略の凄さを痛感した。
有名になればなるほど周りの環境は変化していった。
最初は私の歌を素直に賞賛してくれる人たちだったのが、今やどうやってこの金の生る木を大きくしようかと考える人たちばかりである。
歌手になると決めた時点である程度は覚悟していたが、それでも疲れるものは疲れる。
そんな風に歌手活動に疲れを感じ始めている私は今、海軍本部で行われる大きなセレモニーにゲストで呼ばれたため、船で移動中である。
他の招待客も乗っている豪華客船の中でも特に豪華な部屋を割り当てられて最高の気分だ。
全体的にフランス風の家具を使い、白で統一されている。
ここにフランスなんてないけれど。
ふかふかで天蓋付きのベッドはこの部屋で一番のお気に入りだ。
毎日部屋を掃除してくれるのでシーツも毎回新しい。
「海軍本部っていうとなんか主要キャラとかいそうだなー…」
この1年半コンサートなどでいろんな島を行き来したが、ワンピースのキャラクターに会うことはなかった。
これだけ有名になって、いろんなところに行っても会えないなら縁がないのかもしれない。
有名になって、ここぞとばかりに元の世界の情報を得ようとしたがまるで何も手がかりがない。
キャラクターにも会わず、元の世界にも帰れず、ただ歌手としての道を歩むのだろうか。
ペらり、とエースの写真をベッドのサイドテーブルから手元に持ってくる。
仰向けで鼻歌を歌いながら写真を眺める。
この一年半でエースの手配書は何回か更新され、彼の首にかかる賞金はとっくに億を超えている。
最初彼の手配書を見つけた時、彼はほとんど世間に知られていなかったが、白ひげ海賊団に入り、賞金額をガンガン上げていく彼を知らない人はもういないだろう。
「あなたが必要なの
あなたが恋しい
そしてこんな風に思うの」
空へと落ちていけたなら
時は過ぎていってくれるかな
わかるでしょ きっと何千マイルだって歩くわ
今夜あなたに会えるなら
この曲はメロディが好きでよく口ずさむ。
ああ楽しい、起き上がって歌おう。
そう思って起き上がると見知らぬ男性が部屋の中に立っていた。
「きゃあああああ!?」
絹を裂く悲鳴とはこのことか。
自分でも初めて出す甲高い悲鳴がでた。
心臓がどくどくと動き、口元に持って行った手が冷たい。
この人は誰だ。
部屋には鍵をかけていたし、そもそもこの部屋にはスタッフ以外近寄れないように見張りが付いていてくれるのだ。
それなのにこの人はどうやってここまで侵入してきたんだ。
瞬きもできないまま男を見つめる。
見た目は普通。そう、どこにでもいそうな顔に、ポロシャツにスラックスといった洋服。
要人たちが集まるこの船ではこの普通の格好は逆に浮くかもしれない。
身長は170…180ないくらいか。
痩せ型である。
特徴といえるものがない中で、目だけがギラギラと異様な光をたたえている。
顔を斜めに傾けて、視線だけは私から外さずにじっと見つめてくる。
そして右手には鈍色に輝くナイフ。
これがなければまだ対応の仕方が浮かんだかもしれないが、刺されるかもしれないという恐怖で身体が竦んでしまっている。
「君を見てた」
ふいに男に話しかけられ息を飲む。
こちらの様子などお構いなしに男は話を続ける。
「最初に君の歌を聞いたとき、なんて綺麗な声なんだと思った」
静かに、少しかすれた声で話し続ける。
「次は顔。歌っているときの君は何よりも輝いている」
一歩こちらに近づいてきた。
「親をなくした子供たちに多額の寄付をしていると知って、なんて優しい人なんだと思った」
もう一歩近づく。ベッドまであと数歩もない。
「どうしても会いたくなった」
前かがみになり両手をこちらに伸ばしてくる。
「君のマネージャーが話の分かるやつでよかった。金で解決するとは思わなかった。」
また一歩前かがみのまま近づいてくる。
私はまだ動けないでいる。
「君を見てた。僕のものになってほしい」
彼の手が私に伸びる。
「ねえ、その男は誰?」
ふ、と男の視線がエースの手配書に落ちる。
その瞬間私ははじかれたように男との距離をとり、ベッドから降りる。
そのまま走って部屋に設置されている非常ベルを鳴らし、脇にあったギターを手に取る。
振り向けば男がこちらに向かって手を伸ばしていた。
私は振り向いた勢いでギターを男に向かって振りかぶる。
ガシャアアン!と派手な音を立ててギターは男に当たる。
だがギター程度ではだめだ、男の足を止めるくらいのダメージしか与えられない。
怯んだ男を思い切り突き飛ばしドアへ走るも、足を掴まれて引き倒されてしまった。
「あっ…!」
ドタリ、と地面に倒れた私の足を掴んだまま男は自分のもとに引き寄せ馬乗りになる。
「いやっいやだっ!」
じたばたと暴れるもマウントを取られている以上こちらの力は相手に上手く伝わらない。
男が髪を振り乱しながら話しかけてきた。
「暴れないでっ乱暴にしたくないんだ…!」
じゃあそのナイフ離せよ、と思った瞬間、「ナマエさん!」という声と派手な音を立てて警備員がドアを蹴破って入ってきた。
間をあけず私に乗っていた男が警備員に蹴られて吹き飛ぶ。
「ぐあっ…!」
バタバタと数名の警備員が押し寄せ男をとらえる。
ベルを鳴らしてからほんの数十秒しかたっていないはずなのに、何時間もたったように感じられた。
「ナマエさん、怪我はありませんか?!」
屈強な男性に抱えられ、立ち上がる。
怪我はないが、ショックで身体に上手く力が入らない。
「だいじょうぶ、です…」
よろよろと立ち上がり、安心からふ、と笑う。
それを見た警備員も安心したように笑みを作ってくれた。
その一瞬気が抜けた時だった。
「おいっ!」
男を取り押さえていたはずの警備員の焦った声。
はっとそちらを向くと男が必死の形相目の前に迫っていた。
「やっ…!」
とっさに顔をかばうように上げた腕を掴まれ、そのまま窓際に連れていかれる。
必死の人間というものは時として驚くような力を発揮する。
取り押さえようとした警備員を振り払い、なぎ倒す。
めちゃくちゃに腕を振り回していたこともあり、警備員が怯んだのだ。
「は、なしてっ…!」
身を捩り、男の手を振り払うも、引っ張られた体が丁度男と向き合うような角度になった。
ギラギラした目と目が合う。
「あの男は誰だっ…!君は僕の歌姫だろうっ…!」
錯乱している男はそのままナイフを私のわき腹に突き立てた。
「――――ああああああああ!」
痛みで絶叫する。
刺された反動のまま私の身体は窓を割り、宙へ投げ出された。
何かにつかまろうととっさに腕を伸ばすも、私の腕は虚しく空を切っただけだった。
どぱんっと音を立てて暗い海に落ちる。
すると私の血と感情に反応して大きく海が波打つ。
私を傷つけた原因を排除しようとしているのが分かった。
水面に浮上すると、大荒れの海によって今にも船がひっくり返りそうになっていた。
このままでは船が沈没してしまう。
そんな船がひっくり返りそうな緊急事態の中で私を探そうと動く明かりが見える。
わき腹の痛みと刺された恐怖で混乱したまま、それでも船を沈没させたくないと願う。
戻りたくない。怖い。
だけど船を沈めたくない。
刺されたところが痛い。
波を鎮めてほしい。
ここから離れたい。
そう思ったとき、いつの間に近寄って来ていたのか、大きな海王類が水面に顔を出した。
急な大波と大型の海王類の出現に船の人たちは阿鼻叫喚であった。
歌姫が!という声が聞こえた気がしたけれど、船を見ることもなく、私は海王類の口に銜えられて海の中に沈んでいった。