バレンタイン


 この日のために練習したスノーボールクッキー。焼き上がりは崩れやすくて、処置に困った。少しでも力を入れると直ぐにボロボロになる。完全に冷めても脆いそれに粉砂糖を振りかけて、慎重にラッピングした。透明な袋に、紫のリボン。ドスさんに渡す為だけのもの。
 リビングでクッキーの余りを摘みながら、小さな紙袋を眺める。あとは帰って来たら渡すだけ。
 喜んで、くれるだろうか。
「まあ、でも、好意を無下にするような人じゃないし」
 要らなくても、受け取ってはくれると思う。多分。目の前では捨てられないと思う。
 何しろこういうのは初めてみたいなものだから、緊張する以上によく分からない。
 口に放り込んだクッキーを、押し潰すように圧を掛ける。簡単に砕けるのが面白い。アーモンドの食感も楽しい。美味しく出来た方、だとは思う。でも一人で食べるのは味気ない。
 おもむろに異能力で鼠を三匹程、卓子上に出す。それぞれにクッキーをあげる。すんすんと匂いを嗅ぎ回った後、小さな手でクッキーを押さえて、かりかりと齧り付く。こんなのでも、一人よりはずっと良い。
 お茶でも淹れようかと立ち上がった時、鼠達が動きを止めて、扉をじっと見つめた。間を置かずに入って来たドスさんは、此方を見て微笑む。
「ただいま」
「おかえり、なさい」
 未だ慣れないせいか、返事がぎこちなくなる。
 ちらりと鼠達を一瞥した。
 いつもであれば鼠達を指で撫でるのに、通り過ぎて此方に歩み寄る。
「詩音」
「は、はい」
「バレンタインおめでとうございます。これは貴女に」
「わ、わ」
 何処に持っていたのか、縫いぐるみを渡される。
 可愛い白い熊だ。手にハートのカードを持っている。手書きで何か書いてあるけど読めない。多分、露西亜語だ。何て書いてあるのだろう。
「ねえ、ドスさん。これって何て書いてあるの?」
「さあ、何でしょうか」
「い、意地悪!」
「冗談です。貴女に幸あれと、そのような事を書きました」
 何だろう、何かを誤魔化されたような気もする。これは勉強して、何時か読めるようになった時まで取っておこう。
「この子達も良いものを貰ったのですね」
「え?あ!」
 忘れていた。袋を掴んで、鼠達を撫でているドスさんに差し出す。
「あ、あの、バレンタインなので……」
「ええ、ありがとうございます」
 柔らかな微笑みを崩さず、確りと受け取ってくれた。それだけで一安心。
 何だか擽ったくて、縫いぐるみをぎゅっと抱き締める。
「今いただいても?」
「えっ?う、うん。ドスさんが食べたい時に食べて?」
「では」
 リボンを解いて、クッキーを摘んで、口に運ぶ。一連の動作から目を離せない。
 それからゆっくり、ゆっくり、味わうように咀嚼して。
「……美味しいです」
 染み入るように、言うのだから。
「お、お茶の準備してくる!」
 一気に熱を持った顔を見られないように、逃げ出すみたいに飛び出した。
 何だ、何だろうこれ。こんなの知らない。物凄く、擽ったい。
 キッチンに駆け込んで、お湯を沸かすためにポットを火にかけて、へなへなと座り込む。
 顔が熱い。心臓が早い。
 受け取ってもらえて安心したからか、それとも、美味しいと言われたのが嬉しかったのか。
 分からない。けど、気持ち悪くは無い。寧ろ心地良い擽ったさ。
 縫いぐるみに押し付けていた顔を上げて、ふと気づく。縫いぐるみの首にリボンが巻かれている。
 赤みがかった紫色で、丁度、ドスさんの瞳の色のような。
「……えへへ」
 きっと、私が好きな色を選んでくれたんだ。そう思うと、また擽ったくなる。
 しかしそれもまた、心地良いなと思ってしまうのだ。


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