六月の花嫁


「詩音」
「なあに?」
 振り向くと、何かを企んでそうな、とても楽しそうな笑顔。首を傾げると、手招きされた。近寄ると、両手を握られる。
「詩音、結婚式をしませんか?」
「……はっ?」
 思考が凍り付くかと思った。
「結婚式」
「ええ。ぼくと詩音の二人だけで」
「何で」
「花嫁衣装を纏う詩音を見たくて」
「でもそんな突然」
「ええ、だからこれは、ぼくの我儘です。駄目ですか?」
「その聞き方狡い……」
 そんな聞き方されて、駄目とは言えない。だって嫌じゃない。ただ、したいとも思わなかっただけで。
「良いよ、しよ」
「ありがとうございます」

 降り頻る雨の中連れて来られたのは、寂れ廃れた教会。既に用意されていたドレス。レースで出来た長袖が露出を抑えてくれている。私好みの衣裳。
「まるで別人ですね」
「貶してるの?」
「褒めてるんです。貴女は少し手を加えただけで印象が変わりますから」
 一人で着れるものでもないからと、着替えを手伝われた。
 その上、何処に道具があったのか、化粧をされて。普段使わない口紅や頬紅は、私の物でないことは確かだ。手渡された鏡に映る、見慣れない自分の顔。その向こうで、フェージャが髪を弄っている。
「そういえば、知っていますか?」
「何?」
「花嫁衣装の白は、日本では婚家に染まるという意味があるそうです」
 鏡越しに視線がぶつかった瞬間、ふ、と力が抜けたように微笑まれた。心臓が跳ねて、煩い。
 腰に腕が回って、肩に額が押し付けられる。
「この白も、何もかも、ぼくだけの特権だ」
「フェー、ジャ」
「とても綺麗ですよ」
 改めて鏡を見る。
 緩く、ふわふわと巻かれた髪。紅が引かれた唇。まるで自分ではないような。
 頬に赤みが差す。顔が熱い。
「おや、熱でも出ました?」
「、馬ー鹿っ」
 揶揄う様な笑みに、悪態をつく。本当、狡い。
 俯いていると、隠すようにベールで視界が覆われる。
 薄い布が一枚増えただけなのに、息苦しいくらいの閉塞感。
「ねえ、これ、要る?」
「花嫁には欠かせないものですよ。それから、これも」
 手渡されたのは握り潰したくなるくらいに真っ赤なブーケ。
 血で染めたのかと思うほど、いっそ毒々しい程に赤い。
「何で赤なの」
「淡い色よりこちらの方が似合うかと」
「でも、」
「大丈夫、今の貴女はどんなに鮮やかな花と並んでも見劣りしません」
 薄い布越しに、頬に添えられた手に促されて、額を合わせる。いつもなら触れ合う吐息が遮断される。
「ぼくが世話をし、ぼくが育てた愛しい子。胸を張りなさい。貴女は空ですら駆けることが出来る」
「ん……そうだね」
 今こうして居られるのは、フェージャと、私自身が望んだから。
「幸福な花嫁に祝福を」
 布を挟んで、額にキス。何だか擽ったい。
 手袋に包まれた手を取られて、誰も居ない教会へ。
 二人分の呼吸と、衣擦れと、足音だけ。
 慣れないヒール。それでも成る可く歩きやすいようにエスコートしてくれている。
 ちら、とフェージャを見る。ウシャンカは取っているけれど、いつもと変わらない衣装。
 それでもこの空間に馴染んで見えてしまうのは、立ち居振る舞いのせいか。
 私だけが花嫁衣装で、嗚呼、なんだろう。これが、婚家に染まる、という事なのだろうか。
 祭壇の前で歩みを止めて、何方からともなく向き合う。
「牧師も神父も居ませんが、それらしく誓いの言葉でも述べてみましょうか」
「病める時も健やかなる時も?」
「ええ。富める時も貧しい時も、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「誓います」
 被せ気味に答えてしまったものだから、フェージャがくすくすと笑う。
「随分迷いなく誓うのですね」
「だって、嘘はないもん」
「そうでしょうね。貴女は特に、嘘が下手ですから」
 一頻り笑って、柔らかい微笑みのまま。嘲笑を含んだ冷たいものではなくて、慈愛の温かな表情。
「ぼくも誓いましょう。神と、貴女に」
 ベールが持ち上げられて、急に視界が開けたように感じる。
 薄い布とはいえ、やはりあると無いとでは随分と違う。
「フェージャの顔がはっきり見える」
「魔除の効果はあったようですね」
「誰かにとっては魔人でも、私にとっては大好きな人だよ」
「おや、今日は随分と素直ではありませんか」
 物珍しそうに目を細めるから、口を噤む。
 だって、自然と口から出てしまったのだから、仕方ないじゃないか。
「何時もそうであれば良いのに」
 左手を掬い上げるように取られて、手袋越しに、手の甲にキス。
 何処かの国の貴族にしか見えない。それでなければ王族か。
「潔癖で、繊細で、捻くれていて、愛らしい。そんな貴女だから──」
 徐々に掠れて消えいく声は、言葉を聞かせてはくれなかった。微かな唇の震えからでは読み取れない。
 何て言ったのかと、聞き返そうとすれば手袋が抜き取られ、薬指にひやりとしたものが触れる。
「……え」
「花嫁には必須の装飾品ですからね」
 紫の宝石が付いた、銀の。
 目を見開いて眺めていると、小さな箱が差し出される。そこに収まっている、似たような意匠の指輪。
 黒みの強い赤の石。
 呆然としているとブーケを取られて、促すように指輪を持たされる。
「なん、……」
「貴女の唯一はぼくなのでしょう?」
 とっくに忘れている、とかは思ってなかったけれど、一度叶えてくれた拙い我儘を、目に見える形にしてくれるなんて思うはずがない。
 ぼんやりと、彼の左手の薬指に指輪を嵌める。
 私のものなのだと、彼は私だけのものなのだと、突然明確に示されて。
「あ、の、フェージャ」
「はい」
「え、と……」
 何か、何て言えば。
 言いたい事があるはずなんだ。何か、言わなきゃいけない気がして。
 指輪と、祭壇に置かれたブーケと、フェージャの顔を、何度も見比べる。
 どうしたら、どうすれば、これを伝えられるんだろう。
 早く、早く何か言わないと。私の言葉を待ってくれている。
 掴んだままの彼の手を、頬に添わせるように当てる。擦り寄る頬に当たる、金属の硬さが現実だと突き付けてくる。
 それが何故か不思議と、気持ちと思考を落ち着かせてくれて。
「あいしてる」
 初めて口にする五文字は、ちゃんと届くだろうか。
 届いたんだろう。フェージャの動きが一瞬だけ止まった。
 近づく距離を受け入れる。触れ合わせるだけのキス。
 何時もより長く重ね合わせるから、離れていくのが名残惜しい。
「……全く、貴女という人は、雰囲気に呑まれやすいのですから」
「駄目、だった……?」
「いいえ、駄目ではありません」
 じゃあどうして、そんなに困った顔をしているの。
 困らせたい訳じゃなかった。ただ、何かを伝えたくて、出てきた言葉があれだった。
「何時か詩音の口から聞けたら良いと思っていたのですが、実際に聞くと驚いてしまって……少々待っていただけますか」
「何で?!」
「その言葉を避けていましたから、もう少し時間がかかるものとばかり」
 予想外の言葉に、こちらが驚く。
 もしかして、照れてる?
 全く顔に出ていないから分からないけど。
「ですが、そうですね…………詩音」
「ん?」
「ぼくも、貴女を愛しています」
 そしてまた、今度は短く触れるだけのキス。誓いのキスは一度だけじゃなかっただろうか。
 まあ、良いか。二人だけの結婚式なんだ。
 作法も、手順も、神父も、証人も要らない。二人だけの、二人の為の儀式。
 何処までも一緒にいく。例えその先が虚だとしても。


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