薬
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「はい、まあ、そんなところです」
書類の封筒を卓に置いて、相手の方へ差し出しながら愛想笑い。上から下まで品定めするような視線に気付きつつも、頭目の取引相手という事を思い出し、我慢。これはお仕事。余計な事はしない。
相手の男は何かを納得したのか、ふむ、書類を見る。
「成程。書類を確認させてください」
「ええ、どうぞ」
「しかし彼の魔人にこんな若い付き人が居たとは」
「よく言われます」
名代として取引に顔を出す度に言われた。何なら舐めた態度も取られた。まあ全部頭目も聞いてるから、別に気にしてない。自分より格下と見れば、本心を表しやすくなる。そうやって篩に掛けて、今後も使えるかどうかを選別してるだけ。
相手が確認している間、出された紅茶に手を伸ばす。匂いを嗅いで、一口含んで、気付く。間違いなく盛られている。知らないふりをして飲み込んだ。毒、の類では無い。それらしい痺れも感覚も無い。では何だ?考える。はぁ、と息を吐いて、ハッとする。呼吸が上がっている。どくん、と心臓が爆ぜるみたいに脈打って、全身の血が、沸騰したみたいに。座っているのに姿勢を保って居られなくて、卓に手を付く。服の胸元を握りしめて、落ち着かせようと呼吸を繰り返す。
「あの魔人の連れがどんなものかと思えば、矢張りそっちの耐性は無かったか」
「は、ぁ……っ」
ぼやける頭に響く声。何だ、これ。何だ。頭も、心臓も、熱い。視界もぼやけてきた。震える膝を擦り合わせると、嘲笑うような声がした。
「未だ子供に見えてもお手付きか。男が欲しくて堪らないって顔してるぞ」
「っ……!」
急に、頭の奥が冷えたみたいに、思考が戻る。嗚呼、これは、そういう類の薬で。
「楽にしてやるよ」
どくん、どくんと。空回るみたいな拍動。誰が、どんな顔をしてるって。男が、欲しい顔。それは、きっと、お母さんみたいな。
ひゅ、と喉が鳴った。冷静になろうとする頭が、変な風に回る。男の手が伸びてくる。触れる寸前に、かっ、と目の前が赤く染まった。
「触るなッ!」
「ぐあっ!」
飛び出してくる灰色の狼が、男の腕に噛み付いた。赤が、飛び散って。逃げようとする足に食らいつく。
お母さん。お母さんと、同じ。駄目だ。そんなの駄目。お母さんとは違う。違うって、頭目も言ってた。だから、違う。そんなはずない。許さない。私とお母さん、同列にした。違うのに。同じじゃない。違う。違う。同じなはずない。同じわけ。嗚呼。こいつは駄目だ。許さない。そうだ。許さない。
「殺せ!!!」
叫ぶと同時に、肉を裂く音と、断末魔が混じる。声が掠れて小さくなると、もう自分の呼吸音しか聞こえない。一度冷えたはずの頭が、また熱を持つ。視界が余計に霞んで、ぱた、と落ちる涙。呼吸は落ち着くどころか、息を吸って吐く度に荒くなって、苦しい。
「はぁ、っふ、……」
心配そうに擦り寄ってくる首に抱きついて、顔を埋める。赤く染まった口元と、血の匂い。どくどくと早い心臓が煩い。このまま、首を噛みちぎって貰えば、静かになるのかな。
「詩音」
「は……ぁ」
降ってくる声。ゆっくりと振り返って、探そうとするのを制止された。
「良いです。動かないで。辛いなら、そのままで。強い催淫剤……いえ、それよりも悪趣味なものでしょうね」
「と、うも…っ、…たし……」
「とりあえず帰りましょう。暫くはその状態が続くと思いますが、そのうち薬の効力も切れるはずです」
「と、もく……つら、ぃ、の……も、…やぁ…っ」
「我慢してください。苦しんでまで楽になりたくは無いでしょう?」
そう言って、横向きに抱きかかえられる。落ちないように、首に腕を回してしがみつく。頭目に触れている部分が熱くて、気持ち悪い。
「と、うもく……ごめ、なさ…、ご、めんッなさ、ぃ……」
「ええ、詩音は悪くないですよ。大丈夫ですから」
違う。違うの。悪くないなら、こんな風になってない。本当に違うなら、耐えられてたかもしれない。
その思考は言葉にならず、只、荒い呼吸に溶けていった。
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