次の逢瀬を約束しましょう


「同金さぁ」
「なんだ?」
「その目の細さで前見えてるの?」
「……成る程、まだ打ち足りないか……」
「わーわー! ごめんって! 気にしてた!?」

 ゆらりと武器を構える同金に慌てて謝る瑛藍。もう日も落ちかけているのにまだやる元気があるのかと、目の前の男の体力に驚いた。
 城まで帰る道のりでは、録鳴未がタラタラと「先程の打ち合いでは手を抜きすぎだ」だの「三試合目の時の躱し方は別の敵に狙われる可能性がある」だの長ったらしい説教を垂れている。そのほとんどを聞き流していると、城門に馬車が停まっていた。

「どこの馬車だろう」
「ココココ、さァて…誰でしょうねェ」
「ほんっと殿の真似が好きね、騰は。しかも無駄に似てるのが腹立つ!」
「伊達に副官をしていなかったからな。それよりも……あれは昌平君のところの馬車だ」
「またァ!?」

 瑛藍がそう叫ぶのも無理はない。あの木簡を渡した後、なぜか度々ああやって突然迎えに来るのだ。それは木簡の日もあれば馬車の日もあり、瑛藍もほとほと呆れながらも自分より上の立場にいる昌平君からの誘いを断れずにいた。

「お待ちしていました!」
「待ってたって……ちょっと、もしかして泣いてる!? えっ何で!?」
「もう帰ってこないかと思ったら不安で不安で……。こうしてお会いできて安心したら涙が……」
「……………、もういいよ、わかったから……早く行こう……」
「はいっ! どうぞお乗りください!」

 馬を適当に他の男に預け、騰に向かって手を振ると馬車に乗り込む。そう言えば湯に入っていないと思い出したが、また昌平君のところで入らせてもらおうと開き直った。

 こうして演習帰りに軍事学校に連れて行かれることは何度かあり、今日のように湯で汗を流す暇すらなかったことがあった。その時に昌平君がお綺麗な顔で上から下までじっくりと瑛藍を見た後、「風呂に入ってこい。話はそれからだ」と風呂場へ自分を押し込んだのだ。
 演習帰りに自分を呼んだのはお前だろ! と心の中で叫びながら、軍事学校に着くと真っ先に風呂に入り、身体を清めると初日に通された部屋へまた案内される。そこで瑛藍を待っていたのは蒙毅や河了貂達だったのだ。

「またお前達………」
「そんなあからさまにガッカリしなくてもいいだろ!」
「すみません、瑛藍さんとお話するのが楽しくて、つい……」
「………あっそ」

 あまり直球でそんな言葉を言われたことがない瑛藍は、ほんのり頬を赤く染めながら「ほら! 今日の模擬戦するよ!」と急ぎ足で駒が置いてある机へ向かう。その後ろを蒙毅と河了貂が着いていった。

 しばらく三人で模擬戦しつつ、たまに別の軍師が口を挟んできながら数戦負えると、「すごいねー」と聞きなれない声が上から降ってきた(元より自分の背丈より低い奴なんてあまりいない為、大抵声は上から聞こえてくるのだが)。
 振り返ると薄紅梅色の羽織を着た、茶髪の男が立っていた。誰だこいつと口悪く思っていると「兄上!?」と蒙毅の驚いた声がぐわんと響く。

「兄上?」
「あ、はい。その方は蒙恬――僕の兄です」
「ふーん」

 やはり興味なさげな返事に蒙毅は苦笑する。しかしあまり女にそんな態度を取られたことがない蒙恬はぱちくりと目を瞬かせたが、喉奥で静かに笑うと「紹介に預かった蒙恬だよ、よろしくー」と気軽に挨拶をした。

「楽華隊っていう、三百人隊の隊長だよ」
「あぁ……確か南の前線で武功をあげた三百人隊がいたって騰が言ってたな…」
「騰将軍が!?」
「え、ああ、うん。騰は勢いのある若い武将が好きだから、そういう情報は教えてくれるの」

 だがその話を夕餉の時にするものだから、録鳴未の機嫌も最高潮に悪いのだが。狙ってやっている節もあるため、騰も意地が悪い。
 蒙恬はあの騰に名前を覚えられていると聞いただけで興奮した。王騎将軍の副官であった騰。今や彼に勝るとも劣らない実力で戦を勝ち越している男に名を知ってもらっているなんて、名誉なことこの上ない。

「君は確か、王騎将軍の……」
「瑛藍。今は騰の副官的な立場にいるけど、別に副官でも何でもない。位は三千人将……って言っても、実際に隊を率いて戦に行ったことはないんだけど」

 そこら辺を詳しく語る気はないのか、それきり話をやめてしまった瑛藍は、「蒙毅のお兄さんってことは、蒙武将軍がお父さん?」と聞いた。そりゃそう思うよな、と蒙恬は苦笑いしながら頷くと、その表情を見た彼女はそれ以上会話を広げずに蒙恬に背を向ける。
 あれ、話は終わり? 肩透かしを食らった自分の雰囲気を感じ取った瑛藍は「おしゃべりしてる暇ないの」とひらひらと手を振った。

「蒙恬?」
「あ、先生。お久しぶりです」
「何しに来たんだ」
「ちょっと復習でもって思ったんですけど、まさかあの王騎将軍の秘蔵っ子が入門していたなんて知りませんでした」

 ああでもないこうでもないと会話を重ねながら、駒を最適な位置に進める瑛藍の後ろ姿を見ながら、蒙恬は師である昌平君に言う。しかし彼は「瑛藍は門下生ではない」と否定した。

「えーっ!? じゃあどうしてここに!?」
「成り行きだ」

 実際はただ昌平君がもっと話してみたいと思っただけなのだが、なぜかここへ呼べば他の門下生と模擬戦を繰り広げる光景しか見ない。故に昌平君は合間の休憩時間を縫って瑛藍と会話を重ねていた。

 そんなことを知らない蒙恬は「はー…そっかぁ」と頭を掻く。
 彼自身、瑛藍のことは知っていた。王騎が死んだ馬陽での戦のことは勿論、そこでの瑛藍の活躍は秦国だけでなく中華全土に知れ渡ったのだ。さらに常にあの騰と一緒にいるとなれば、知らない方がおかしい。

 一度は会ってみたいと思っていたが、まさかこの場所で会えるとは思わなかった。

「………………、」
「蒙恬?」
「俺も混ざってこようっと! じゃあね、先生!」

 白熱する模擬戦を前に自身の軍略家としての才能が騒いだのか、蒙恬は薄紅梅の羽織を翻して瑛藍達の元へ。後ろから彼女に飛びつくと、「うわっ! ちょっと、馴れ馴れしいんだけど!」と驚かれたが気にしない。むしろ「ごめんねー」と軽く謝りながら模擬戦に途中乱入した。



 それから数刻後――。大の大人がふらふらと危うい足取りで部屋から出て行く姿を見届けながら、瑛藍は足元に転がる河了貂や蒙毅を見る。二人は部屋に帰る気力すら残っていないらしい。
 蒙恬は、と彼の方を見てみると、じわりと汗をかきながら椅子に座って一息ついていた。

「おつかれ」
「ほんと疲れた…。言っとくけど、こちとら演練帰りに直行でここに来たんだからね」
「どんだけ体力あるの」

 ケラケラと可笑しそうに笑われ、自分でも確かによく体力が保ったなと感心する。途中から暑くて髪を纏めたが、項がじっとりと濡れていて気持ち悪い。手の甲でそこを軽く拭っていると、ふわりと優しい感触が触れた。

「何?」
「いやぁ、手で拭くよりこっちの方がいいかと思って。あ、別に俺は拭いてないからね!?」
「そんなの疑ってないけど……ありがとう」

 優しい感触の正体は手ぬぐいだった。よく見れば彼の手にも手ぬぐいがあって、どうやらいつの間にか自分の分と瑛藍の分を貰ってきてくれたらしい。ありがたくそれで汗を拭いて行くと、幾分かすっきりした。

「さてと。帰ろうかな」
「帰るの? 泊まりじゃなくって?」
「帰る。ここじゃあゆっくり眠れないもの」
「えー、せっかく会えたのに……」

 まるで自分に会いたかったかのような口振りの蒙恬に、顔を少しだけ赤くさせながら「別に、同じ秦国の人間なんだから。死なない限り会えるでしょ」と告げた。

「お前もわたしも、いつ死ぬか分からないけれど。でも生きるために戦ってるんだから」
「……そうだったね」

 それでも彼の沈んだ声に瑛藍は髪紐を解きながら、蒙恬の額を指で弾いた。

「イタッ!」
「わたしだって、次会えるのを楽しみにしてるから――蒙恬」

 やや照れたように蒙恬の名を呼んだ瑛藍は、手ぬぐいを持ったまま「じゃあね!」と部屋を去る。残された蒙恬はヒリヒリする額に手で触れながら、ひっそりと頬を緩めた。



「あーー、名前で呼んじゃった……」

 帰り道、馬に乗りながら項垂れる瑛藍。しかし後悔はしていなかった。
 彼は三百人隊の将にしては実力もあるし、何より自分と同等の軍略の才を持っている。歳も変わらない彼を認めるには、十分すぎる程だった。
 また騰あたりに揶揄われるなと想像しながら、見えてきた城門に馬を急がせた。