お前にこのクビは勿体ない


 瑛藍から放たれる圧に、王賁と蒙恬は言葉が出なかった。特に蒙恬はあの軍事学校で共に模擬戦を行なったが、今ここで彼女と同じように騰から策を尋ねられても、きっと応えられなかっただろうと、改めて自分と彼女の距離を感じて馬の手綱を力一杯握りしめた。

 隆国率いる中央軍が敵を押し返している間に、他の布陣も整った。敵の包囲も狭まってきたが、騰は敵陣を睨みながら(まだ弱い…)と次なる策を投じた。

「左翼、右翼、両軍の指揮権を入れ替えるぞ!」
「!? はっ!?」
「一体誰に…!?」

 戸惑う兵士の声を受け止めながら、騰は声を張り上げた。

「左軍、五千の将に玉鳳隊・王賁を。右軍、五千の将に楽華隊・蒙恬を任命する!」
「何ですとォ!?」
「「………――承った!」」

 やはり、伊達に王騎の下に居なかったな。瑛藍は上がりそうになる口角を押しとどめながら、「年は関係ない」と言い切った騰の背を軽く叩いた。



「騎馬隊の準備、整いました」
「陸仙」

 蒙恬は駆け寄ってきた兵士の名を呼ぶ。すると陸仙と呼ばれた男は心配そうに己の将を見やるが、蒙恬はそれをさらりと跳ね除けた。

「客観的に見て、今この戦況下で戦えるのは、騰軍内では俺と王賁くらいだ」

 騰軍の中でも録鳴未達と肩を並べる程の実力を持つ瑛藍は、今本陣を離れるわけにはいかず、予備隊としてその身を隠している。彼女が動けない今、数少ない勝機を狙えるとしたら自分達以外いなかった。

「作戦通りだ! ここを守る歩兵が主力だが、命運を握るのは我ら騎馬隊であること、忘れるな!」
「「「オオオオ!」」」
「行くぞォ!」



 左翼、右翼が同時に動いたのを見届けた後、瑛藍は静かに斬馬刀を構えた。

「騰」
「分かっている」

 たったそれだけ。だが二人にとっては充分だった。

 暫く本陣にて待機していた瑛藍だったが、突然ぴくりと反応して遠くを見つめる。目線の先にあったのは右軍だ。彼女は瞬き一つせずに戦の流れを見守ると、「瑛藍隊、出るぞ!」と急に猛々しく叫んだ。
 激しい砂埃を上げながら、荒れ狂う戦へ身を投じようとする少女を騰が呼び止める。

「瑛藍!」
「! 何――」
「思い切り暴れてこい!」

 騰らしくない台詞だ。瑛藍は目を瞠りながら、後ろを振り返らずにグッと愛刀“隗月”を天高く突き上げた。

 蒙恬は息を荒げながら「離脱するぞ!」と周囲に命を出したが、後ろから敵の騎馬隊が猛突進してくる。疲れ切った身体で体制を整えられず、焦る蒙恬。
 その間を縫うように鮮やかな薄藍色が戦場に舞った。

「ハァァァ!」

 寸分の狂いもなく敵の首を跳ねたのは、本陣にて待機していたはずの瑛藍だった。

「っ………瑛藍!」
「馬くらい代えてきたら? その間、この場は引き受けてあげる」
「すまないっ……」
「いいよ。……相当な重圧の中、頑張ったね、蒙恬」

 自分と同じくらいの年齢のはずなのに。――前を行く背中が、とても大きく見えた。


「――出た出た、あれがあの王騎が飼ってた狗だろ? あっちの守りは、あのハエみたいに周りを飛び回ってる騎馬隊にかかっている」

 楚将・禍燐。彼女は一人悠々と腰掛けながら、臨武君の部下だった項翼を呼びつけ、五千の兵を引き連れて瑛藍に向かって突っ込んでこいと命令した。流石に唐突すぎるそれに、項翼も戸惑いに震えた。

臨武君ハゲの第一軍の中で一番見込みがあるのはお前だ。ガキだが、ここで男見せろよ」

 ここまで言われれば、もう後には引き下がれない。項翼は眼前に広がる五千の兵に、昂ぶる気持ちを抑えられなかった。

「狙いは元王騎軍・瑛藍の首だ!」

 高まる敵軍の士気に、瑛藍はぺろりと唇を舐めた。

「瑛藍様、右より新手です!」
「三千から…五千! 真っ直ぐこっちに来ます!」
「……………」
「士気が…高いぞ、あの軍」
「瑛藍様……」

 瑛藍は一言も言葉を発さず、敵の様子を見守る。すると突然敵軍が錐型を解き、横いっぱいに広がった。

「フ、馬鹿な奴らだ」
「俺たちを相手に薄く広げやがって、敵の力量を見誤ったな。一撃でブチ抜くぞ」

 荒ぶる男共に混じるように、瑛藍も嘲笑した。

「俺が楚の“雷轟”、五千将の項翼だ! 勝負しろ、瑛藍!」
「……なに、あの単純な誘い」
「えぇ。一度かわしたい所ですが、あの軍が守備陣に向かうのもきついかと」
「そうだね。それに……五千将の首は悪くないしね!」
「その通りです! 突撃だっ!」
「「「オオ!」」」

 ドドドッと馬を走らせ、誘いに乗って敵陣に突っ込む。最初に味方兵が瑛藍の前に出て項翼からの攻撃を阻もうとしたが、さすが五千将とでも言うべきか、簡単に倒されてしまった。
 瑛藍はグアッと斬馬刀“隗月”を後ろへ大きく振りかぶり、項翼の血走る目と自分のそれを合わせた。

「ハァァッ!」

 振り下ろした“隗月”は、項翼の“莫耶刀”に防がれた。そのまま項翼に刃を弾かれるが、すぐに男の首目掛けて滑らせる。またそれも防がれたが、項翼は鼻から血を流した。

「(こいつ、女のくせにっ…! 何だよ、この力は!)」

 同じ応酬が何度か続いたせいか周囲も混戦に陥り、瑛藍は舌を打った。これじゃあ敵の思う壺だ。焦る気持ちを深呼吸一つで収めた彼女は、ギラリと鈍い光をその瞳に宿らせた。

「そこを――」
「ッ!」
「退けよ!」

 力強い言葉と共に繰り出された一撃は、“莫耶刀”で受け止めた項翼の腕の骨を折った。鋭い痛みが彼を襲うが、そんなことはお構い無しとばかりに瑛藍は次々と刃を振るう。身体の至る所にある深い切り傷を負う項翼は反撃の隙を窺うが、女には一切隙がない。

 ――これが、あの王騎が育てた女か。
 改めてその力の凄さを知った項翼だが、後には引けない。音が鳴るくらい歯を食いしばって、降り注ぐ刃を受けながら“莫耶刀”を振りかざした。
 その刃を受け止めた瞬間、耳が痛い程の地響きと太鼓の音が戦場に流れ込んできた。

「瑛藍様、禍燐です! 第二将・禍燐が出た模様です!」
「このタイミングで?」
「それから、禍燐は本陣の正面――隆国将軍の所へ進軍しております!」
「(隆国の所へ………っああ! やられた!)」

 一度項翼を大きく後ろへ弾き飛ばし、すぐに本陣へ向かうように指示しようとした瑛藍だが、しぶとい項翼の攻撃が彼女を止める。

「行かせねえよ」
「しつこい男は嫌われるって習わなかったの? お前」
「うるっせェ!」
「……はぁ…」

 溜め息を吐いた瑛藍は、ビュッと首の動作だけで刃を避け、鬱陶しい“莫耶刀”を男の手から弾いた。空を舞い、入り混じる戦場に落ちた得物に、項翼は何が起きたのか理解できなかった。

「お前が本当に五千将の器? 絶対にノせられただけの馬鹿だろ。分不相応」
「な、っんだとォ!!」
「お前程度の腕で、このわたしの首を獲ろうだなんておこがましいにも程があるっつってんの。さっさと家に帰ってクソして寝れば?」

 見た目からは想像もつかないほどに汚い言葉遣いに、項翼は開いた口が塞がらなかった。間抜けな面を晒す男に興味を無くしたのか、高らかに斬馬刀を振り上げると、男の首に向かって一気に落とした。

「!」

 ヒュン、と自分の眉間目掛けて飛んできたのは矢だった。正確なその攻撃に初日を思い出した瑛藍は、ぐるりと周囲を見渡した後、「ここ、任せてもいい?」と唐突に部下に訊ねる。聞かれた兵士が「ハッ!」と迷いなく頷くと、瑛藍は数人だけ引き連れて項翼から下がった。