「無理」なんて言わないよ


 この“蕞”では南壁が一番の要。そこを飛信隊と瑛藍隊という二つの壁をあてがい、拠点を作らせないようにすることがまず第一の策だった。
 馬鹿みたいに大きい梯子をかけられた時は一瞬ヒヤッとしたが、信の猛攻のおかげで体制も立て直すことが出来た。かつて馬陽で見た時とは圧倒的に違う信に、戦いながらもくすりと笑う。

「おいお前ら!」
「「「!!」」」
「飛信隊に負けないでよ! この戦場で花を咲かせるのは、わたし達だ!」
「「「オオォォォ!!」」」

 隊の士気を高めつつ、向かい来る敵を自慢の武器で屠る。その圧倒的とも言える実力に、政も貂も、蒙毅達も言葉を失った。強い強いとは聞いていたが、まさかここまでとは。

「――あれれ? もう拠点がつぶされた?」
「あの王騎の狗がいるんだ。それと飛信隊。奴らが南壁の要だ」
「あーーー、飛信隊ってあの、隊長自ら元三大天・廉頗の片腕、輪虎を討ったとかいう。んで、王騎の狗? 会ったことねェからわかんねーけど、そんな強いんだ?」

 「へーー」と気の抜けた声とは裏腹に、その目には力が入る。李牧の側近、カイネと話していた男の名は趙軍三千将・傅抵ふてい。双剣を背負って馬ごと前に出た男を止めるべく、カイネはその馬の尻を軽く蹴った。



「瑛藍様」
「なに、右舷」
「東壁が苦戦しているようです」
「東? 誰の担当?」
「壁、と呼ばれる将です」
「………聞いたことない。で、拠点はどう? 流石にこれ以上広げられたら看過できない」

 瑛藍の指示に右舷は手を止めずに東壁を眺めると、“麃”の旗が立ったことを確認した。

「麃公兵が」
「そ。なら大丈夫か」

 薄藍色の髪が戦場に舞い、圧倒的な存在感を嫌でも放つ。そんな彼女の首を狙う刃を、瑛藍は素早く敵の懐に潜り込んでまとめて殺してみせた。血吹雪が彼女の頬や服を汚すが、凛とした眼差しは一点の曇りもない。
 そんな瑛藍の姿に、“蕞”の民達もより一層の力を振り絞って戦いに明け暮れた。

「ハァ、っ、ハ………」

 日暮れ、だ。
 瑛藍はぼそりと呟いて、退いていく李牧軍を遠目に確認すると、ズルズルと壁にもたれかかって座り込んだ。歓声の声を上げる自軍に苦笑しつつ、しゅるりと髪紐を解く。すると途端に風が髪を巻き上げた。

「……よし」

 何度か深呼吸すると、グッと力を入れて立ち上がる。眩暈もない、大丈夫だ。

「動ける奴は負傷者の手当てを急いで!」
「ハッ!」
「瑛藍様はお休み下さい。連戦で疲れも――」
「わたしの心配はいい。自分の限界くらい分かるから。それより“蕞”の人達を気にかけて」

 心配そうに伸びる手を払い除けると、「ちゃんと休んで下さいね! もー!」と文句を言いながら男は去る。その捨て台詞に笑いながら、瑛藍も手当てをするべく足を動かした。
手を止めることなく負傷者の手当てを進める間、彼女は深く考え込んでいた。

「(予想していたよりも軽い。初日の今日はもっとやってくるかと思ったのに……)」
「瑛藍」
「(いや、最初は力任せにこじ開けようとしていた。でもいつから? いつから李牧はその力を退かせた?)」
「瑛藍ってば」
「(いくら単純な梯子と矢の攻城戦って言っても、李牧ならもっと――もっと?)」
瑛藍!!
「うわっ! なに、は、……貂?」

 耳元で大きな声で呼ばれて見てみれば、河了貂が怒った顔をしてこちらを見ていた。

「さっきからずっと呼んでたのに、何ぼーっとしてんだよ!」
「ごめんってば。で、何」

 基本王騎や騰達の前以外では淡白な瑛藍。ガシガシと乱雑に頭を掻けば、貂は「一緒に策を立ててほしい」と少女の手を引く。

「策ぅ? そんなの貂達の役目でしょう」
「そうだけどっ、瑛藍の方が模擬戦での勝率めちゃくちゃ良いだろ!」
「そりゃあお前、教えてもらった人が違う」
「分かったから――」
敵襲ーーー! 敵襲だーー!

 二人の会話を遮ったのは、思いもよらない叫びだった。二人は顔を見合わせるなり慌てて物見櫓へ登り、南門へ目を凝らすが、月の出ていない夜は視界が悪すぎて何も見えない。

「やはり来たか、貂!」
「うん」
「それに……瑛藍も来ていたのか」
「はい」

 嬴政と貂が話すのを横目に、瑛藍の脳裏にはあの男が過ぎる。

「李牧っ………!」

 ギリ、と奥歯を噛み締める。どこまでも聞こえてくる敵の声が余計に彼女を苛立たせた。

「このわざとらしい大歓声…。この暗闇の中、大した数ではないのかもしれないし、そう思わせて油断したところへ大挙して攻めに来るのかもしれない」
「…ならば昼間同様の態勢で、しばらく様子を見るしかないか…」
「……うん」

 瑛藍は考えた。これがもしも夜通し行われれば? 此方の体力が保つわけがない。

「敵の数がわからないのが一番痛いな…」

 さすがの瑛藍でも、まさか敵軍の半数だけとは思わなかった。その可能性も考えたが、まだ憶測の域を出ない空想を口走ることは出来ず、歯がゆそうに眉間に皺を寄せるだけだった。



 ――結局、空が白み始めた頃にようやくその実態が分かった。この夜襲は形だけのそれであり、此方の矢の射程にすら入っていなかった。

 貂がすぐに号令を出して城内の人間に休むよう伝えたが、まだ大歓声は止まない。本当に声だけなのか、そう思わせて攻めに来るんじゃないのか。そんな疑心暗鬼を抱えたまま眠れる者などほとんどおらず、皆疲労が溜まったまま二日目を迎えることとなってしまった。

「敵が登ってきてるぞー!」
「了解! ほらお前ら、たかだか一日眠れなかったくらいでくたばんなよ! 殿との演習を思い出して!」
「「「オオオオ!!」」」
「気合い入れろよ、瑛藍隊!」

 疲弊を抱えたままのはずなのに、昨日と変わらない力で敵を薙ぎ倒すのは南門担当の瑛藍隊だった。口悪い科白に隊の者達は士気を上げ、己の得物で次々と拠点を潰す様は凄まじい。
 その様子を、李牧は下から確と見ていた。

「瑛藍サマ」
「左迅?」
「あの飛信隊の方に、厄介な奴が来たらしいぞ」
「厄介な奴?」
「百将が二人やられたっぽい」
「ふーん……信は?」
「んーっと……何とか食らいついてるって感じ」

 左迅の報告に耳を傾けながら、斬馬刀で敵の首を刎ねる。「――よし」と何かを決めたのか、周囲の敵を一瞬で一層した。

海羅かいら!」
「ハッ!」
「ここはお前に任せるね」
「承知。存分に暴れてきて下さい」
「ふふ、ありがとう。左迅! 右舷! その男のところまで道を作れ!」
「「あいわかった!」」