あなたが夢を目指すかぎり


 四日目も、“蕞”は何とか陥落することなく夕暮れを迎えた。李牧は口元に手を当てながら考え続ける。あの城にいる人物を。

「(尋常ならざるこの城。たとえそこに王騎がいたとしてもこうはならぬ。瑛藍とてまだ将軍にも上がっていない少女…そこまでの力はない。武将の力ではないのなら……もはや考えられるのは一人…)」

 そこまで分かっていながらも、今ひとつ決定打に欠けていた。何せ有り得ないからだ。本当に自分が思い描いている通りの人物がいるのならば、この城が落ちず、かつあの民兵達の士気の高さだって頷ける。
 だが、こんな前線にやって来るはずがない。その人物は今頃咸陽の玉座に座っているはずなのだから。



 そんな想いを抱えたまま迎えた五日目。昨晩は見せかけの夜襲ではなく、本当に打って出てきたため、瑛藍も夜目が効かない中懸命に戦った。しかし疲弊がなくなるわけでもなく、むしろそれは積もり積もって彼女の背中に大きくのしかかっている。

「くそっ、民兵達が倒れ出したぞ!」
「こっちもだ!」
「(来てしまった……本当の限界が!)」

 瑛藍は歯を食いしばりながら、重たい武器を振り回して民兵達の前に出る。血で滑る足場をしっかりと踏み込んで、声を上げながらも彼女はひたすら武器を振るい続けた。

「ここ、はっ……〜〜〜っ、通さない!」

 ガキン、と甲高い金属音がぶつかる。すると限界を迎えていたはずの民兵達の声に、力が戻り始めた。それは火がついたかのように四方に散らばり、やがて大きな歓声が空を包む。その力に後押しされて、瑛藍は前にそびえ立つ屈強な男の心臓めがけて“隗月”を突き刺した。

「ハッ、はぁっ………何事!?」
「大王様が、ついに下へ降りて来られました」
「ハァ!? 何やらせてんの…ってか、あの王様何やってんの!? 馬鹿なの!? 阿呆なの!?」
「さすがに不敬です、瑛藍様……」
「だって海羅! 〜〜っああもう、行くよ!」
「行くってどこへ――」
「あのお方のところに決まってるでしょう! 動ける者はついてこい! あの人はっ……ここで死んではいけない!」

そこまで言ってがむしゃらに戦場を突っ切ろうとした瑛藍だが、ガクンと膝の力が抜けてその場に片膝をつく。「瑛藍様!?」部下の焦る声が聞こえるが、一度力が抜けてしまえば、もう立てなかった。

「っ、くそ、こんなっ……うごけ、動けってば!」

 それでも力が入らず、もう武器すら握れない。このままでは敵の格好の餌食だ。
 なんとか力を入れて立ち上がろうとする瑛藍だったが、突然ふわりと身体が浮き、誰かに支えられる。見てみれば自分の部下である左迅と右舷が側にいた。

「左迅、右舷………」
「ここでくたばるのは早いって、瑛藍サマが言ったんだろ? だったらほら、しっかり立って」
「左迅、瑛藍様は疲れていらっしゃるんだ」
「わーかってるっつの。だから、そんな瑛藍サマの為に道を作るのが、俺達の仕事っしょ?」
「ああ、そうだ。瑛藍様、暫しのお時間を。この右舷、今すぐにかのお方へ続く道をお作り致しますので」

 言動の軽い左迅と、お堅い右舷。そんな真反対の二人が自分に背を向けて、自分のために道を作ると言ってくれた。
 どうしようもないくらいの嬉しさが、瑛藍の中を駆け巡る。

「よいしょっと! ほら、瑛藍サマ!」
「進みましょう。瑛藍様の道を阻む者は、全て消してみせます!」

 こちらを振り向いて笑う二人に、瑛藍は“隗月”を拾って顔を上げた。

「ありがとう、二人とも」

 その音は、喧騒でかき消されてしまったけれど。

「行くよ、左迅、右舷!」
「「あいわかった!」」

 二人にとっては光の宿る紺藍の瞳があるだけで、他の全てはどうでもよかった。



 ――瑛藍達が嬴政のところに着いた時にはもう、彼の人の首に刃が刺さっていた。その姿を見た瞬間、瑛藍は目の前が真っ白になって。気がつけば信と一緒に、政にとどめを刺そうとしていた兵士を殺していた。

 その後も二人で息を合わせて周囲の敵を一掃する。「信! 大王様を!」「分かってらァ!」政が完全に倒れてしまう前に瑛藍が叫び、それに応えた信が彼を支えた。
 必死に政に向かって呼びかける信。そんな二人をこれ以上傷つけさせないために、瑛藍はいつどこから攻められてもいいように構える。

 あんなに疲れていたはずなのに。今は、今だけはそんな疲れなんて全く感じなかった。
 左迅と右舷が猛攻してくれているおかげで、いつの間にか立ち上がった政の近くに敵はいない。手当てに下がろうとする大王がふらふらと覚束ない足元で進む姿を見てしまえば、身体が勝手に動いた。ガシッと後ろから政の身体を支えると、そのまま歩幅を合わせて前へ進む。

「瑛藍………、っ」
「無理しないでください。傷口を見ていないのであまり分かりませんが、出血がひどいです」
「…ッ………すまない……」
「そう思うのなら、生きてください」

 力強い瑛藍の科白が、政の意識を繋ぎ止める。

「貴方の代わりはいません。――中華統一を、成し遂げるのでしょう」
「! それを、どこで……!」
「殿からです。……殿が認め、見てみたいと願った中華統一を、貴方がここで放棄しないでください。わたし達は、貴方がその夢を目指す限り――ずっと味方です」

 ああ、なんて心強い味方だろうか。
 安心したように一度目を閉じた政の耳には、周りの民兵達に指示を飛ばす瑛藍の声がいつまでも聞こえていた。

 物見櫓にて政を手渡すと、瑛藍はすぐさま城壁に戻った。必死に戦う民兵達の士気を上げるために、瑛藍は言葉だけでなく行動でもそれを示した。
 だが、彼女の心中は穏やかではなかった。何せ今の出来事で李牧に大王・瓔政が“蕞”に居ることが露見されてしまったのだ。この好機を逃す男ではないことを、瑛藍はよく知っていた。


 あれから総力戦に突入したが、日没になるにつれて李牧は兵を引き上げた。政が暗闇と喧騒に紛れて逃げ出す隙を生まないためだ。
 瑛藍は不安の声を上げる民兵達を一瞥しながら、海羅を連れて城の裏へ向かう。そこでは既に作戦会議が行われており、かつ『大王を脱出させる』という何とも聞き捨てならない科白まで聞こえてきた。

 脱出する方向で話が進んでいき、代表して信が政にその話を伝えるため出て行く。入れ替わるように瑛藍が中へ入った。

「瑛藍!? どっどうしてここに……」
「明日からどうするのかと思って。そうしたら、まさか大王様を逃がそうとするから……びっくりした」
「びっくりって、これしかないだろ!?」
「そうだ! ここで大王様を死なせてはならん! どれだけの物を失おうとも、あのお方だけは……!」

 ダンっと机を勢いよく叩く昌文君に、瑛藍は冷ややかな目を向けた。

「この城から出ても、咸陽に帰るまでに必ず殺されると思うけど」
「!!?」
「まだ分からないの? 今日一番危うかった西壁…。日没してもあのまま攻められていれば、わたし達にとっては大きな損害だった。けれど何故李牧はそれをしなかったのか」

 机の真ん中にある城壁の模型の西側を、瑛藍はゆっくりと指を差した。

「城内の混乱に紛れて、大王様が逃げる可能性があったから。手当たり次第此方の兵を殺していったとしても、万が一取りこぼしてしまうかもしれない。その“万が一”の危惧を李牧は察して、兵を退かせた」

 そんな男が、夜の暗闇に紛れて逃げる人影を逃がすとは到底思えない。
 そう言い切った瑛藍に、誰も文句が言えなかった。それと同時に、信と同い年にも関わらずここまでの知識と策略を思いつく彼女の才に、ぶるりと肌が粟立った。

「まぁ、あの王様は逃げないと思うけどね」
「は………?」
「だって、ここまでみんなを鼓舞したのはあの人だよ? それに――中華統一なんて馬鹿みたいな夢を掲げている人が、こんなところで諦めるわけがない」

 挑発するように笑う瑛藍。その後帰ってきた信は、少女の予想通り「説得できなかった」と昌文君達の策をくるりとひっくり返してしまった。