正解に喰らいつきたいから


 抜け目がなく、完璧に見える魏の布陣だが、うっすらとだが弱点はあった。それは比較的深い森に遮られている南西・北西の二点と、川の先にある一点。
 この三点は抜くのも難しいが、突破してもすぐに中央と予備軍が援軍に来てしまう。逆に不用意に中に入ると、囲われてこちらが全滅の危機に陥る可能性があった。

「だが、遮蔽物で他の所よりわずかに伝達・援軍に遅れが出る」
「んなもん大した差じゃねェ!」
「一つではな。だが三つならそれなりのひずみができる」
「!?」

 「三つ!?」信は思わず声を上げて、王賁の科白を繰り返した。

「ああ。こちらも軍を多数に分けるが、“主攻”は三つ。その三軍で同日同刻に三点を撃破する!」

 言い切った王賁に向かって、パチパチと気の抜ける渇いた音がした。見れば左迅が「いやァ、お坊ちゃんだと思っていたが……なかなかこっちもキレるらしいな」と言いながら拍手をしていた。それはあの掴み所のない左迅も、今の王賁の策を認めたということだ。

「左迅までこの策に乗るのか!?」
「おいおい河了貂。俺は瑛藍サマの部下だぜ?」
「そんなの知ってるけど――、ッ!?」
「我らが瑛藍サマと全く同じ策なんだ。褒めてやらなきゃなァ」

 左迅の言葉に、皆が盤上へ目を向けた。並ぶ駒は先程の王賁が口にした策と全く同じ場所に配置されている。駒を並べた張本人である瑛藍は、右舷からもらった水を飲んで休憩していた。

「瑛藍っ! お前、今の話聞いてたのか!?」
「はなし? ごめん、策を立てるのに夢中で聞いてなかった…。何か大事な話だった?」
「いや…、王賁が立てた策を聞いてたんだ」
「王賁? あぁ、あいつ…。それで、その策ってどんなの?」

 ぷは、と水を飲みながら河了貂と話す。すると彼女が返事をする前に、右舷が「瑛藍様が立てたものと同じですよ」と答えた。

「わたしと? 一緒?」
「う、うん」
「どうやらあのお坊ちゃん、こっちもキレるらしい」

 左迅が自分の頭をトントンと指差すのを見ながら、王賁へ視線を向ける。未だ彼のことを何一つ知らないが、興味は出てきた。

「それじゃあ今回の主攻となる三軍は、玉鳳隊と飛信隊、それから録鳴未軍だね」
「瑛藍はどうすんだよ」
「わたしは本陣に残る。……まだ不安要素が残っているからね」

 結局、未だに正体不明の三軍の謎が解けていない。相手がどう出るか完全には分からない以上、本陣を離れるわけにはいかなかった。瑛藍は立ち上がり、盤上の端で転がる駒を手に取り、力強く手のひらの中に収めた。

 ――決め事はたった一つ。三日目の昼、日が天の真上に昇る刻。三軍それぞれ目前の敵軍・予備軍を撃破し、魏軍本陣に突入する。







「瑛藍様、準備整いました」
「ありがとう、海羅。……それじゃあ、暴れに行こうか」

 南にいる干央に向けて、合図の狼煙が上がる。歩兵も前進を始め、いよいよ戦が始まった。
 次々と敵を倒しながらも、瑛藍の瞳は常に左右を確認していた。

「(どこだ、どこにいる……。正体不明の三軍、その内の一人は確実にこちらに向かってくる!)」

 しかしてその正体はすぐに分かった。前方に広がる敵陣の旗には、火龍の印と“霊”の文字。――つまり、“魏火龍”霊凰その人であった。

「あれは……瑛藍サマ、魏火龍の霊凰だ!」
「霊凰? 確かそいつってとっくに死んでるはずじゃあ……」
「今は敵の生き死にで揉めている暇はありません。瑛藍様、我らが道を切り開きます。どうぞ先へ!」
「分かってる!」

 (確かに生き死にの話をしている暇はない。けど、もしもあれが本物の霊凰なら……残りの二軍は…)瑛藍が正しく騰と同じことを考えていた時だった。騰のいる方向から強烈な殺気と叫びが聞こえてきた。

「……進路変更! 騰がいる方へ!」
「瑛藍様!?」
「こんな所で騰の歩みを止めるわけにはいかないでしょう!」

 瑛藍が向かっている間、乱美迫という顔全体に仮面のような鎧を纏った男が騰を襲う。間一髪で躱した騰は、頬に切り傷を負ったが相手にせず、撤退の姿勢を崩さない。それでも追いかけてくる敵にどうしようかと考えた時、自分達と入れ替わるように瑛藍隊がやって来た。

「瑛藍」
「騰!」
「――任せた」
「任された!」

 短いやり取りだった。けれど二人にはそれで充分で、ドドドドッと馬の足音が交差する。先頭を走る瑛藍は漸く対峙した乱美迫と刃を重ねた。
 ――乱美迫らんびはく。昔、六将である王騎やきょうが手を焼いた程の強者だ。そんな男を相手にするのは正直心が震えるが、それは恐怖などではなかった。

「悪いけど、そう長くは相手をしてやれないよ、乱美迫!」
「フォオ!」

 獣のような呼吸が聞こえた。喉が締め付けられそうな程の威圧をその身に受けながら、瑛藍は交差する刃を力一杯弾いた。ギィィ…ンと鳴る音の余韻に浸る隙もなく、次なる一手を繰り出す。
 耳を澄ませば、他の男達も雄叫びを上げながら敵と戦っている様がありありと浮かんでくる。新入隊員達にとってはこの戦が瑛藍隊に入ってから初めての戦だ。どれだけ武功を挙げられるかは分からないが、彼女にとって大事なのはもっと他にある。

瑛藍隊!

 横一線に“隗月”で薙ぎ払い、周囲の敵を一掃する。圧倒的な実力に敵も味方も彼女が放つオーラに呑まれていた。

生きて帰るよ!
「「「オオオオォォォ!!!」」」

 更に勢いが増した瑛藍隊。たった一言だったのに、男達には充分すぎる程の鼓舞だった。

「(とは言え、このまま乱美迫この男を相手にするのも得策じゃない。此方の戦力がここで削がれるのは避けたいし……)」

 機を見て退却したいのが本音だが、目の前にいる男はそう易々と引き退らせてくれないだろう。顔を覆っている仮面の奥から覗く瞳は、獣のようなそれだった。

「瑛藍サマ」

 左迅の声が背後から届いた。目も向けずに「何?」と問えば、「御命令を」と右舷が続ける。その科白に自分の口が綻ぶのが分かった。
なんて頼もしいわたしの両翼なのだろう。そして――、

「お背中は僕がお護り致します」

 海羅の揺らがない決意が決定打となった。
瑛藍はサッと左右に視線を送り、迫り来る乱美迫を後ろへ大きく退けながら声を張り上げた。

「瑛藍隊、撤退するぞ! 左迅、右舷! 道を作れ!」
「「あいわかった!」」
「海羅、背中は任せた!」
「御意!」

 霊凰の策になど乗ってやるものか。未だに聞こえてくる乱美迫の叫声を背に、瑛藍は左迅と右舷が作った道を真っ直ぐ走った。


 騰と合流すると、すぐに傷の具合を確かめられた。主に擦り傷がほとんどだったが、どうやら自分でも気づかぬ内に肋骨にヒビが入っていたらしく、グッと押されると酷く痛んだ。

「明日はどうする」
「別に、固定してれば戦える。それにきっと明日動くのはわたし達じゃない……でしょう?」

 したり顔で騰を見ると、彼はうっすらと笑みを浮かべて頷いた。

「体力はある。それに骨のヒビくらいで泣き言なんて言ってられないからね」
「なら、せめて明日は様子見をしろ。それが出来ないならもう出さん」
「……卑怯者め」
「で、どうするんだ」

 改めて聞かれ、瑛藍はぶすっとした顔で「分かったよ、分かりました! 明日はジッとしておくよ」と投げやりに答えた。