貴方が見ていた景色ですか


 陽が少しずつ顔を出す。山の向こう、雲の隙間から覗く光を、瑛藍は騰と並んで眺めていた。隣に立つ男が腕を前に伸ばす。骨が鳴る音を聞きながら、少女は持っている斬馬刀を肩に担いだ。

 ――『著雍』 『秦・騰軍』対『呉鳳明軍』 三日目・開戦



 二日目に霊凰と同じ魏火龍の一人、凱孟がいもうと戦うことになった飛信隊。途中で人質交換という面倒なことが行われたらしいが、勝負の勝敗はまだついていないらしい。
 早馬でそれを知った瑛藍は加勢に行くか悩んだが、仮にも騰が任せた主攻の一人。ここで死ねばそこまでの男だったと言うことだ。

 それに、此方も捨て置くわけにはいかない。二日前にあの乱美迫を仕留めずに退却したのだ。三日目の今日、今度こそあの男の首を落として此方の勢いをつけたい。

「やっぱり出てきたね、乱美迫」
「一千、と言ったところか」
「様子見されてるねぇ。もうこっちの動き読んでるのかな」
「流石は大軍師・霊凰…。怪しんでいるな」

 騰の科白に味方の兵士達がどよめく。こちらの作戦に気がついているのかと早読みしてしまう彼らを、騰は短く否定した。

「いや、霊凰が私から手掛りを得ようとしている以上、内容までは引き出せぬ」
「何せわたし達全員、あの三隊がどうやって攻略して本営に迫るのか知らないからね」

 任された方も相当なプレッシャーを感じているだろうが、任せた騰も凄いと素直に瑛藍は思った。失敗すれば後がないこの作戦の要を、彼らに委ねたのだから。

「正に、見物だ」

 確と開いた双眸で、男は眼前に広がる戦場を見渡した。

「(信はやる時はやる男だっていうのは、“最”での戦いで分かった。けれど王賁という男の戦い方をこの目で見ていない分、不安は残る。……けど、)」

 不思議と、何故か大丈夫だという確信が瑛藍にはあった。根拠なんてない。なのにどうしてか王賁に対しては要らぬ心配は抱いていなかった。
 それは、彼が立てた策が自分と同じだったからかどうかは分からない。王翦の血を引く息子だと言うことは彼女の頭の中には無かった。

「さてと。三隊の勝利報告が来るまで、小競り合いと行こうか」

 紺藍色の瞳に緩く光が灯る。高く結ばれた薄藍色の髪が砂埃と共にふわりと舞い上がった。

「騰、乱美迫はわたしがる。そっちは任せたよ」
「あまり力むなよ、瑛藍」
「はいはい」

 ひらりと手を振って愛馬に合図を送ると、ヒヒン! と声高に鳴いて馬は地を蹴る。彼女の後ろには屈強な男達が猛々しく叫びながら着いて行った。

 敵味方入り混じる戦いの火蓋は切って落とされた。瑛藍は的確に相手の急所を突いて迫る敵を討っていくと、右側からおどろおどろしい殺気がぶわりと彼女を襲う。頭で反応するよりも速く武器を振るえば、ガンッと勢い良く何かにぶつかった。
 ジンジンする痛みが腕を走る。合わさる得物同士の奥にいたのは、瑛藍が狙っていた男、乱美迫だった。

「まさか、そっちから来てくれるなんて……」
「フォォ!」
「今日こそお前の首、貰って帰る!」

 ヒビの入った肋骨が酷く痛んだ気がしたが、今の瑛藍はそれに気が付かない。まるで嵐のように舞う土埃と共に石が飛び散り、彼女の眦に傷を作っていく。ピッと一本筋のような傷跡を気にする余裕なんてある筈がなく、少女は大声を上げながら斬馬刀を振り上げた。

「す、スゲェ……」
「何だよあの戦い!? おっ俺達が入る隙なんて全くねェよ!」
「目で追うのがやっとの速さなのに、瑛藍様は確実について行ってる…」

 自分達が瑛藍隊に入隊してから、初めて目にした彼女の本気の戦いに、男達は目を奪われた。それは秦兵だけでは無い。魏兵達も戦っている手を無意識に止めて、それぞれの武器をぶつけ合う二人に魅入ってしまった。

「殿が手を焼いた男ってのも、強ち間違って無さそうで良かったよ…!」
「フーッ! ウガアアア!」
「全力で! 心置きなくお前を殺せる!」

 殿。今ね、貴方がかつて戦った事のある相手と刃を交えているんだよ。
 表情は見えないし、言葉は喋らないし、迫る殺気は恐ろしいけれど、それでも刀を振るう腕は止まらない。敵の急所を見つけようと目は必死に動く。
 ――これが、貴方が見ていた景色だって思ってもいいかな。

「瑛藍様!」

 どこか遠くにあった意識は、海羅が呼ぶ声で急速に取り戻していく。乱美迫から目を離さないままでいると、「魏軍本陣から狼煙が上がりました!」と待ちに待った科白が続けられた。
 クッと目に力を入れると、瑛藍は横一線に刃を思い切り振り、敵と距離を取る。意識を乱美迫に向けたままちらりと魏軍本陣の方を見れば、確かに狼煙が上がっていた。

「やってくれたか……。っ瑛藍隊! このまま残る残党を倒すぞ!」
「「オオオオ!!」」

 本当は退きたい所だが、まだまだ戦意を失っていない男が目の前にいるのだ。簡単に引き退がれる程、この男は甘くない。

「騰から指示があれば、すぐに退がる。良いな」
「御意」

 海羅に短く伝えると、瑛藍は再び乱美迫に迫った。







 数刻後、立て直しがきかぬと判断した呉鳳明の号令により、各方面に広がっていた魏軍はそれぞれ魏国の奥へと退却していった。
 即ち――秦軍の勝利である。

 この勝利により、秦は魏の重要地『著雍』を奪い取った。



 呉鳳明と間違えて霊凰を討ったと言った信に、瑛藍は目に見えて不貞腐れた顔を見せる。その意味が直ぐに分かった騰は、まだまだ子どもだと思いながらもう結われていない髪を撫でた。

「そうむくれるな」
「……だって」
「乱美迫の首は獲れたんだろう?」
「獲れたけど、武功としては信と王賁の方が……いや、まあ配置が配置だから文句は無いけどさ」

 策だって、今思い返せば粗が目立つし不充分だ。そう続けた瑛藍に、騰はもう何も言わずにただ頭を撫で続けた。

「――で、どうすんだこっから」
「ここを駐屯地として転戦侵攻していくのか?」
「いや、それでは腰が軽い」

 信と録鳴未に否やを返した騰。未だ撫でられたままの瑛藍も上目で彼を見た。

「総司令より出陣前に指示を受けている。我々はこれから――ここに塁を張り巡らし、この天然地形を活かした大要塞を築く」

 サラッと告げられた科白に、この場にいる全員が驚いた。どう考えても一年はかかるし、それを魏が黙って見ているとは思えない。
 目を見開いて何も言えない信は、ふと隣を見た。瑛藍が顎に手を当てて深く考え込んでいたのだ。地面に視線を落として一点を眺める薄藍色は、暫くすると急速に光を伴っていく。

「そうか…あの人は本気で始める気なんだね」
「気がついたか、瑛藍」
「うん。あの人……総司令はこの最前線地著雍を不動の拠点として、徹底的に魏の弱体化を企てようとしている」

 きっと総司令――昌平君は悩んでいた。このタイミングを。
 軍師学校で問われた『どう動く』とは、何も秦国内の話だけではなかったのだ。国外へ向けて、つまり均衡を崩す時の事も話の中に入っていた。

「戦国七雄。かつて百を超えた国々が七つの大国に収まって二百余年。いよいよその均衡が崩れる時が近づいている」

 それはつまり――。

滅びる国が・・・・・出てくるということだ」

 世界の均衡が崩れ、多くの血が流れる戦いが始まろうとしていた。