例え裏切り者と呼ばれても


「あのー…今回は何用で咸陽に?」

 咸陽に到着してから数刻。門前から動かず談笑している瑛藍隊に、門兵が恐る恐る訊ねてきた。

「別に、お前には関係ないでしょう」
「あ、いえ、あのっ……でしたらどうぞ正殿へ行かれては……」
「わたし達が何処にいようと構わないだろって言ってんの。それとも何……? わたし達が此処に居ては不都合があるの?」

 うっすらと紺藍の瞳を細めると、門兵はそれ以上言葉を発することは出来なかった。喧嘩する意思もないのなら初めから喧嘩を売るなと内心思いながら、瑛藍はぴくりと肩を揺らして勢いよく門を見上げた。――否、正しくは門の向こう側を見た。

「―――来た」

 たった一言。それだけで瑛藍隊は殺気立ち、獣のような目つきに変貌する。各々得物を持ち、敵が降ってくるのを今か今かと待ちわびていた。

「城壁に掛けられた梯子はどうしますか」
城壁城壁に任せておけ。わたし達は――万が一門が開いた場合の処理班だ」
「御意」

 頭を下げる海羅はそのまま下がる。煩わしく轟く雄叫びを聴きながら、上から降ってくる矢を退けつつ、門が開かないことを願った。

「(杞憂で終わってほしい。門が開く訳がない。……でも、)」

 その希望はたった今、目の前で打ち砕かれた。ゴッ…ゴゴゴゴ…と鈍く低い音を立てながら、門が上へ開いていく。「なっ…何で門が上がるっ…!」戸惑う声が飛び交う中、瑛藍は閉じていた瞳を大きく見開いた。

 真っ直ぐ此方へ向かってくる敵を、隊列の戦闘に居た瑛藍の斬馬刀が容赦無く振るわれた。途端に勢いが削がれ、驚愕した表情で自分を見る敵に、少女はニヒルに笑った。

瑛藍隊! 出撃るぞ!
「「「オオオオオオ!!!」」」

 薄藍色の髪が血飛沫の中、ふわりと舞った。







「これにて、第三十一代 秦国大王の加冠の儀を全うしたものとする!!」

 ようにて行われていた嬴政の加冠の儀は一部省略されたが、何とか終えることが出来た。建物がビリビリと響くような大歓声と涙が終幕を物語る中、昌文君は強く拱手すると玉座の前に立つ自らの王に呼び掛けた。

「大王様! 恐れながらこれより反乱軍討伐に、咸陽へ向かいます。護衛を残して行きます故、大王様はここで勝報をお待ち下さい!」

切羽詰まった昌文君に僅かに頷くと、「……武運を祈る」と返答した政。昌文君は「ありがたく」と礼を述べた後、側近である壁を連れて立ち上がった。
しかし、意外な人物が彼らを止めた。

「お待ちを、昌文君」

声を掛けた人物は、昌文君と同じように立ち上がる。それを上から呂不韋はジッと静かに見つめ、やがて口を開いた。

「どうした。なぜ今そちが立ち上がる――昌平君」

 問われた男、昌平君は両拳を握りしめたまま、口を閉ざす。

「……答えぬか。なぜ今そちが立つ、昌平君」

 今一度問われ、宮殿内は耳が痛くなる程の静寂に包まれる。皆が渦中の男に目を向ける中、彼はやっと口を開き、前を見据えた。

「………。左丞相 昌文君と共に咸陽へ行き、反乱を鎮めてまいります」
「!?」

 何を言っている、と李斯は己の目と耳を疑った。誰もが沈黙を守っているが、唯一呂不韋だけがそんな空気など気にせずに「おい」と言葉を投げる。

「お前は、自分の言っている意味が分かっておるのか」

 上から威圧され、低い声が降ってくる。この場に集う皆が口を呆けて見守るしかないのに、昌平君だけは違った。

「……相国、余計な問答は必要ない」

 今まで呂不韋に背を向けていた彼は、「察しの通りだ」と言いながらかつての上司と真正面から向き合う。

「世話になった」

 たった一言そう告げた。
 長年付き従った四柱が一人、昌平君が呂不韋陣営から離反した。これは秦国内を揺るがす大事件とも呼べるだろう。

 大声を上げて李斯が批判するが、昌平君は言葉を返さず「行くぞ、介億」と己の部下を呼ぶ。それでも彼を呼ぶ李斯を止めたのは、呂不韋だった。

「今から十一年前。儂が丞相となって最初に権をふるい人材登用したのが、昌平君、そなたであった。だが貴公は本来、人の下につくような人物ではない。いずれこういう日が来るとは思っておった。――が、案外遅かったのォ」

 顎鬚を撫でつけながら口角を釣り上げる呂不韋。

「行くがいい。そなたに関しては、対価は充分返ってきた」

 もう引き止める言葉は使わず、むしろ送り出した呂不韋は、「……………フー」と深い溜め息を吐いた。

「だが、今から行っても間に合うかのォ。いくらそちとて、間に合わなければ意味がない」
「ご心配召されるな。優秀な腕利きを咸陽に呼んでいる」
「優秀な腕利き?」

 あの昌平君にそこまで言わせる人物など、誰がいた? 嬴政や昌文君達が色々な将軍を胸中で描く中、昌平君はゆるりと笑みを浮かべた。

「あの王騎が手塩にかけて育てた狗が、この騒ぎを黙って見過ごす筈がない」







 敵の刃が頬を擦り、血が飛ぶ。反射的に舌を鳴らした瑛藍は、仰け反った体制のまま斬馬刀で前方を思い切り突いて敵を怯ませると、素早く上体を起こしてとどめを刺した。

「ハーッ、…はぁっ……住民の避難を急がせろ! 敵を区画内には絶対に入れるな!」

 どれだけ追い詰められた状況でも、周囲の把握は怠らない。目に付いたところから指示を飛ばしつつ、何とか敵を食い止めていた。

「ちくしょう……数が多すぎる!」
「ここまで入られたら、もうっ……!」
泣き言を言う暇があるなら顔を上げろ!

 叱咤と共にピリッとした空気がその場に漂う。少女は四方八方から迫り来る敵に、円状に斬馬刀を振り回すとドォッ! と敵が吹っ飛んだ。男顔負けの力技に、味方兵達は目を見開いた。

「ここに居るのは、あの王騎と――」

 グッと唇を噛み締め、瑛藍は太陽を背に両腕を広げた。

「あの王騎と騰が育てた女だ!」

 陽光を浴びて輝く薄藍色の髪に、キラキラとたっぷりの光を蓄える紺藍色の瞳。甲冑は血に塗れ、肌は傷だらけ。――嗚呼、どうして……こんなにも胸が熱くなるのだろうか。

「わたしがいる。わたしがこの死地を切り開く。だから――お前らの力、今ここで見せつけろ!」
「「「ウオオオオオオオオ!!!!」」」

 その時だった。後ろから地響きのように鳴る馬の足音と、呻き声が聞こえてきた。瑛藍は斬馬刀を強く握りしめたまま振り返れば、そこには兜も甲冑も黒い騎馬隊が迫っていた。

「あれは………」
「瑛藍様!」
「海羅、あれは一体……」

 将軍になって少しは勉強したが、やはりまだまだ疎い瑛藍は、黒ずくめの騎馬隊から目を離さないまま海羅に問うた。

「あの騎馬隊は軍総司令 昌平君直下の近衛兵でございます」
「昌平君の……!」

 強い瞳と自分のそれが合わさる。互いに言葉も発さぬままこくりと頷くと、瑛藍は門から離れて咸陽の奥へ馬を走らせ、近衛兵の男達はそのまま敵を門外へと押し出した。