ココロが叫んで張り裂けた


「やめろです、瑛藍はいかねえっていってんですよ!」
「俺にも事情があるんだよ。あと言葉遣い悪すぎな」
「おら、お頭もこう言ってんだろ。いつまでも駄々捏ねてねぇで、さっさと離れろ」
「さわんならいど! いやだっ! 〜〜っ、やだぁ!」

 そう言って泣いていた、小さな女の子がいた。今よりもずっと言葉遣いが悪くて、他者に対して毒ばかり吐いて。けれどたった一人の男にだけ異常な程懐き、傾倒していた。――それは依存と言ってもいいほどに。




「――瑛藍様、どうかされましたか?」
「……ううん、大丈夫。ちょっと思い出していただけだから。それよりほら、もうすぐ合流地点に着くから気を引き締めておけよ」

 カラッと笑う瑛藍に、右舷はそれ以上追求することをせずに頭を下げる。これから赴く戦場に意はないが、波乱の幕開けになることは彼も予感していた。
 何事もなく瑛藍様と、皆と帰れますように。右舷は柄にもなく願った。


 合流地である“拡aかくみん”に無事到着した瑛藍隊は、既に作られている大きすぎる野営を見渡す。風ではためく『桓』の文字に無意識に息が詰まる。けれどその隅に存在する別の旗にも気がついた。

「あれ……?」
「瑛藍サマ?」
「ねぇ、あれって……」
「んあ? ……えっ」

 次いで海羅と右舷達も瑛藍の指が差す方を見ると、左迅と同じように驚いた声を上げた。

「飛信隊?」
「まさか信達も呼ばれていたなんて…。あいつらとあの人達は絶対に合わないだろうに」

 ここでうだうだしていても仕方がない。短く息を吐くと、覚悟を決めて「行くよ」と隊のみんなに告げた。

 野営地の中に入ると、容赦無く見られる。不躾に此方を見てくる男共に反応一つ返さない瑛藍。勿論その部下達も女が居ようが気にせず、むしろ見えていないかのようにチラリともしなかった。

「何だァ? 女がいるぞ」
「こっち来いよ!」

 そのざわつきを感じ取った飛信隊が、馬に乗りながら飛び交う野次を無視して堂々と先へ進む瑛藍隊を見つけた。

「ハァ!? 何で此処に瑛藍隊アイツらが!?」
「オレ達と同じで、昌平君に言われたんだろ。けど…瑛藍も桓騎将軍のやり方は嫌いな部類だと思うから、喧嘩吹っかけないか心配だ」
「! 様子見に行かねぇと!」
「ちょっ、信!?」

 信が暴走して駆けつけてきていることに気がついていない瑛藍は、ついに本営まで来てしまった。
 小さな卓に集うのは“桓騎軍”の幹部、もとい一家の長達。いくつか見知った顔がある中、肝心の張本人の姿が見えないことに彼女の表情が動いた。

「桓騎将軍は何処?」
「『何処ですか?』だろ。口には気をつけろ、ガキ」
「お前こそ誰に言ってんのか分かってんの? ババア」
「アァ!?」
「――そこまでにしろ」

 馬から降りて、桓騎軍の副官の一人である黒桜こくおうと初っ端から言い争う瑛藍。そんな彼女の後ろから、まるで肩を組むように誰かがのしかかって来た。その存在が誰か分かっていた瑛藍は特に反応せず、久方振りに感じた彼の温もりに一瞬目を閉じた。

「フッ、着いて早々喧嘩するなんてな。そう言うところは変わってねェな、瑛藍?」
「…そっちこそ、人を食ってかかるような話し方は変わってないですね――桓騎さま」

 誰かを“様”付けで呼んだ彼女など見たことがない。海羅達は表にこそ出さなかったが、心の中では酷く驚いていた。桓騎とは何か特別な関係があるとは思っていたが、そこまでとは想像していなかったらしい。

「口の悪さもそのままかと思いきや、お綺麗な言葉を使うようになったじゃねぇか」
「血の滲むような特訓をしたので」
「その割には黒桜には容赦無かったな?」
「先に喧嘩を売ってきたのはあの女です」
「そう威嚇してやるな」

 こうして面と向かって話をするのは本当に十数年振りなのに。言葉が勝手にするすると口から滑っていく。
 未だに肩に回された腕の重みや温もりが嫌じゃないなんて。此処に来るまでは夜も眠れなくなるほど否定して、悩んだのに。こうして会ってしまえば、絶対に自分の本当の気持ちが素直に現れてしまうから嫌だったんだ。

 ――彼に会えたことを、心が、身体が、魂が。咽び泣くほど喜んでいる。

「瑛藍」

 彼の声に名前を呼ばれることが、こんなにも嬉しいなんて。

「おかえり」

 ああもう、だから嫌だったんだ。
 どれだけ自分が嫌がったって、否定したって、拒否したって、何年もかけてやっと築き上げた壁が、この人の言葉一つでボロボロと崩れてしまうから。

「――ただいま帰りました、桓騎さま」

 必死に足掻いたって、忘れようとしたって無駄だったんだ。だってわたしは、わたしの全ては――桓騎さまこの人から始まったのだから。



 野次馬の中から聞いていた信と河了貂は、驚き過ぎて声すら出なかった。瑛藍が桓騎に喧嘩を売って乱闘騒ぎにならないか心配していたのに、まさか知り合い――否、知り合いどころではない関係性に頭がついていかなかった。

 毐国との戦いで負傷した瑛藍を桓騎が運んだあの時は、特に特別な何かがあるようには思えなかった信。むしろ「ああ、見かけによらず下の者にも優しいのか」とすら思ったほどだったが、違ったのだ。
 瑛藍だから。彼女だから桓騎は助け、傷が響かないように丁寧に運び、手ずから血を拭った。最後に見せた柔らかい笑みすら、特別な相手にだけ見せるものだったのである。

「王騎将軍に育てられたんじゃ無かったのか…?」
「いつからの知り合いかは分からないけど、あの瑛藍が“様”付けで呼んでるんだ。オレ達が想像するよりも深い繋がりがあるんだよ」

 河了貂の言う通り、瑛藍と桓騎には切ってもきれない程の深い深い繋がりが存在していたのである。
 そんな二人を唯一の女副官である黒桜は嫉しげに、恨みのこもった眼差しで見つめていた。