死地を切り開くために笑え


 ようやく海羅と再会を果たした瑛藍は、深く傷ついた己の部下に目の前が真っ赤に染まり、込み上げる怒りのままに敵の首を纏めて飛ばした。血飛沫が上がり彼女の甲冑を更に汚していくが、それでも怒りは収まらない。気がつけば周囲の敵の大半を殺していた。

「ハーッ、ハァッ……海羅、まだやれる?」
「…っ……僕は、貴女の部下ですよ。やれるに決まっています…!」
「ふふ…そうだよね。なら――」

 鬼神の如く現れた馬呈を見据え、瑛藍はクッと口角をつり上げた。

「歯ァ食いしばって続けよ、海羅!」
「はいっ!」

 自分の前に瑛藍隊長がいる。それだけで海羅はもう無いと思っていた力が湧き出てくるのを感じた。刃を振るい、敵を葬る。疲れ切った体は、彼女の背中を見るだけで不思議と昂った。

 しかし、敵も甘くは無かった。紀彗、劉冬、馬呈の加勢によって慶舎はゼノウ一家の包囲網を抜けてしまったのだ。そうなれば彼が本陣へ戻って状況を立て直すことなど、火を見るより明らかだ。
 血走った眼で慶舎を追いかけようとするゼノウを止めたのは、紀彗の部下・馬呈。けれどその両者の間に慶舎軍の騎馬隊が割り込んできた。彼らは紀彗達に丘の戦いへ戻れと言ったのである。

 紀彗が丘の下へ慶舎の加勢に来たまではいいが、その隙を見逃す黒桜ではない。彼女は全軍前進と号令して敵主力を押し込んでいる最中だ。
 それを知った紀彗達はゼノウ達に構っている暇はないとばかりに、この場を任せて丘へ駆け上がって行った。



 分断されていた飛信隊は合流し、被害状況を素早く確認する。まだ生息不明なままの小隊も幾つかあるし、まともに動ける人は半分もいない。それでも戦は待ってはくれない。
 これからどうすると訊かれた河了貂は、もちろん丘の戦いに参戦すると口にした。戦況を冷静に分析すれば、敵味方の両方の視界から消えた飛信隊が下から突き上げることができれば、丘の右半分を勝利に導くことができる。

 その考察に待ったをかけたのは、この男であった。

「待て、テン! 敵の視界から消えてるんなら、丘の乱戦なんか無視してもっとでけェもんが狙えるはずだ」
「へ!?」
「さっきそれらしいのが、丘の裏に登って行くのが見えた…。俺達の手で、敵の総大将慶舎の首を取るぞ!!」

 困惑する河了貂達を置いて、信はとんでもないことを言い切った。
 “紀彗軍”は慶舎・桓騎両者の予測を超えた力を発揮した。しかし、実は同じように両者の予測にない動きをする存在が桓騎軍側にもいた。それが“飛信隊”である。そしてもう一つ、広く認知されていながらも動きを掴ませない存在があった。

「ねぇ」

 ドガラ、と馬の足音が一つ加わる。鬱蒼と生い茂る樹々の間から、薄藍色がきらりと光った。

「その策、わたし達も入れてよ」

 ――“瑛藍隊”である。


「瑛藍! 無事だったか!」
「お前もね」
「まっ待て待て! 慶舎を討ち取りに行く!?」
「この戦力で!? よく見ろ、まともに動ける奴の方が少ねェんだぞ!?」
「それにもう慶舎は敵の中に入っちまってんだ。何とか言ってやれ、河了貂!」
「つーか瑛藍って、頭も切れる奴じゃなかったのかよ!? 無謀もいいとこだぞ!」
「今瑛藍様を馬鹿にした奴は誰だ」
「ごめんなさい」

 凄む海羅に即座に謝る声が飛ぶ。そんなやり取りを頭の端で聞きながら、河了貂は「いや、」と信が口にした策を基に考え始める。

「オレも気付かなかったけど、これは起死回生の一手になるかもしれない」
「えっ!?」
「多分、慶舎という武将はああいう形でしか――あの独特の陣からおびき出してからしか討ち取れない武将だ」
「――“沈黙の狩人”と呼ばれる慶舎の呼び名を、桓騎さまは知っていた。だから今回飛信隊を囮にしてそれを狙ったけど、予想外の存在のせいで逃げられてしまった。慶舎あいつにはもう二度と、同じ手は効かないだろうね」

 ここで初めて、飛信隊は慶舎の二つ名を知った。河了貂は瑛藍の最後の一言に頷きながら「それを討つには、慶舎が陣を再生させる前の今しかない」と伝える。それができるのは敵の視界から消えている“飛信隊”だけだとも。

「でも、それも無謀な試みに変わりはないよ。慶舎を守る本陣の兵はいるんだし。それをこの戦力で切り崩せるかは、やってみないと分からない」
「だから、わたしが来たんだろうが」

 キュッと髪を結い直した瑛藍は、馬から降りて海羅の傍へ行く。海羅も同じように馬から降りると、未だダラダラと血が流れている腕の傷口を瑛藍に差し出した。そこへ布を当てて血を拭いながら、彼女は言葉を続ける。

「戦力なんて考えなくても、向こう側に大きく傾くに決まってる。でも分かってんだろ、これはそういう戦いだって」
「うん……。成功するにしても失敗するにしても、一瞬の出来事じゃないといけない」
「ばぁか。貂、少し怖気付いてんの?」
「バッ、バカってなんだよ! しょうがないだろ、怖いもんは怖いんだから!」

 軽く暴言を吐かれた河了貂は、片腕を上げて海羅の手当てをする瑛藍に向かって怒った声を上げる。その言葉を聞きながら彼女はくすくすと、肩を揺らして笑った。

「怖いの?」
「……怖いよ」
「わたしがいるのに?」
「――っ」

 無意識に俯いていた顔を上げて勢いよく瑛藍を見れば、その双眸はしっかりと自分を見ていた。自信に溢れた、けれど決して油断していない強い眼差しに、貂は何故だか胸がきゅうっと熱くなる。

「何があっても成功させる。趙軍総大将慶舎の首、ここにいるみんなで獲ってやろうじゃない」

 こんな時だからだろうか。強い言霊を放つ彼女の存在が、とても、とても大きく見えた。





「……そろそろ森を出るぞ。ここから一気に丘を斜めに駆け上がる!!」
「っしゃあ! 準備はいいか、てめェら!」
「「オオ!」」

 森の隙間を縫うように走る飛信隊の後ろを、瑛藍隊が続く。

「――瑛藍隊、本腰入れろよ! 敵将の首、獲って帰るぞ!」
「「オオオ!!」」

 数は見て分かるほどに少ないが、士気は十分。樹海を抜け、拓けた場所に来るとそのまま慶舎本陣の旗が並ぶ騎馬隊に突撃した。
 信の特攻のおかげで勢いは増す。しかし敵の練度も高く、また数の違いが大きすぎた。グッと河了貂が奥歯を噛み締めると、その傍を鮮やかな空の色が通った。「え……」貂の声があまりにも小さすぎたからか、それは彼女らには届かない。だが、次に目にした光景にもう二の句は紡げなかった。

「ハァァァッ!」

 奥底からの叫びと共に、血が舞う。そのまま地面に落ちた赤を馬が踏みしめ、さらに奥へと攻撃の手が伸びていく。そんな瑛藍の後ろを少数ながら強靭な兵士達がついて行き、趙兵を物ともせずに敵陣を血で染め上げていた。

「す、げぇ……!」

 そう呟いたのは誰だっただろうか。それほどまでに目を奪われる強さだった。

「ッ…ァア!」
「ガッ……」
「は、っ……そこを、通してもらうっ!」
「このっ…グァァッ!」

 圧倒的とも言える力は、見ているだけで味方に希望を与えた。力を与えた。ここまで来るのに疲弊していた体も少し軽く感じるようになり、得物を振るうこともできている。
 やっと中枢へ到達するという時に、左方から矢が雨のように降ってきた。瑛藍はカン、カン、と斬馬刀で矢を避けながら飛んできた方を見ると、そこには紀彗や馬呈と共に丘へ登って行った筈の劉冬が物凄い勢いで攻めて来た。

 懸命に河了貂が指示を出すが、そのせいで自分が軍師だと敵に知られてしまった。命を狙われる彼女を助けようと瑛藍が手を伸ばすよりも先に、貂の周囲にいた敵が軽い切れ音と同時に胴体が真っ二つになっていた。
 音もなく現れた武人に、瑛藍は一つ安堵の息を吐いた。その姿は信と一緒に幾度も見てきたものだからだ。ならば信達は余計に嬉しいだろう。

「羌瘣!」
「副長っ!」
「スマン、遅くなった」

 飛信隊副長・羌瘣。彼女が現れたことで士気も上がり、流れがこちらに傾き始めた。瑛藍は信達と一緒に先へ突っ込むか、それともここに残って羌瘣と戦うか考え、前者を選んだ。恐らく慶舎の周りを固めている兵士は並大抵の強さではないはずだ。誰が慶舎の首を獲るにしても、数は多い方がいい。

「羌瘣、だっけ」
「何だ」
「ここ、頼んだ」

 武器を握っていない左手で羌瘣の肩をトン、と叩き、瑛藍は信達が向かった方へ馬を走らせた。その後ろを海羅達部下が遅れもせずに着いて行く。

「……初めて、名を呼ばれた」

 残された羌瘣は、瑛藍に名を呼ばれて少し嬉しげに笑って技を出す為に呼吸を整え始めた。