誰もが命と命のやり取りを


 たった一つ、慶舎の背中をがむしゃらに追いかける。それだけのことがどれほど困難で、血が流れる行為なのか知らぬ者などいないだろう。それでもあの首に刃の鋒が届くのならば、やはり自分はどれほど苦渋を舐めさせられようとも走ることはやめない。

「(いつもなら道を開けてくれる左迅と右舷がいないだけで、こんなに足を取られるなんて。……ああほんと、助けられてばかりだ)」

 今は傍にいない両翼を思い出して、斬馬刀を握る手に力が篭る。無い物ねだりをしていても仕方がないし、彼らには然るべき仕事を任せてきている。いないものを嘆くよりも、ここを早く突破しなければ。

「海羅」
「ッ…ここに…!」
「飛信隊より瑛藍隊うちの方が人数は少ない。この乱戦から抜けて慶舎の行く手を阻んだ方が早い」
「分かりました。すぐに後ろへ伝えて参ります!」
「頼んだ」

 その後すぐに集った自分の隊に静かに合図を出すと、入り乱れる場所から抜け出して少し広い場所へ出る。着いてくる敵兵もいたが、しっかりと後続の兵士が仕留めてくれたことを確認して真っ直ぐに慶舎を己の眼で捉える。すると斜め後ろから気配を感じて首だけ向ければ、そこにはいつもの飄々とした表情を浮かべた那貴がたったの五騎でやって来ていた。

「那貴!?」
「よそ見してんなよ、瑛藍」
「っ……言われなくても!」

 二人で慶舎を守るように立ち塞がった騎馬兵を俊敏に倒す。

「何で那貴、お前……こんな戦い方をする奴じゃないじゃん…」
「いやァ、俺も毒されたかな」
「?」

 敵を倒す手は止めず、瑛藍と那貴は互いに背中合わせになるように戦いながら、大きく感じた気配に揃って笑った。

「外で見てるのと…中で感じるのは大分違うな」
「ふ、確かに」
「趙将・慶舎。別にあんたの落ち度ってわけでもない」

 少し距離はあるが、那貴は慶舎に語りかけるように、そして自分自身に言い聞かせるように言葉を続けた。

「皆が騙されてる。周囲の想像以上に飛信隊とその隊長・信は強い」

とうとう慶舎の前に出た信は、誰もが見守る中雄叫びを上げながら右腕を振りかぶった。
 その様子を眺める暇は瑛藍には無く、少しでも戦力を削いでおきたい一心で戦場を駆ける。振るう“隗月”は重く、今にも落としてしまいそうだ。こんな奥地で戦っているせいで味方には誰も気付かれていないだろうが、それは敵にも見つかっていないということ。これ以上の援軍は無いだろう。

 戦えば戦うほど、敵を倒せば倒すほどに思考が冴え渡る。できることなら慶舎の首は自分が獲りたかったが、最大級の武功は信に譲ってやろうじゃないか。――信が慶舎を討った後も、戦いは続くのだから。

「瑛藍、様っ……」
「……大丈夫。まだ、やれる」

 本人もとうに限界を迎えているだろうに、こうして自分のことを心配するのは変わらない。戦場で自隊から離れて戦うのは、精神的にも疲れているはずだ。
 それでもここまで着いてきてくれた海羅に、瑛藍は今一度背中をピンと伸ばすとこの場にいる隊の皆に聞こえるように声を張り上げた。

「瑛藍隊!」

 分かりやすく斬馬刀をそらへ突き立て、見るもの全てに鼓舞させる。

「この戦、勝って城にっ……」

 強く瞼を閉じて、開く。キラキラと陽光を浴びて輝く瞳を、惜しげもなく曝した。

「騰達のところへ帰るぞ!!」
「「「オオオオオオッ!!!」」」

 ――嗚呼、嗚呼。瑛藍様だ。我らの瑛藍様だ。ここへ来てから様子がおかしかったが、それでもあの人は今、高らかに仰った。城に、騰将軍達の元へ帰ると。ならば何が何でもこの戦を勝たなくては。

 その後の瑛藍隊の勢いは止まることを知らないかのようで、激しさを増していた。周りで共に戦っていた飛信隊の田有達は、圧倒的とも言えるその強さに目を奪われた。自分達と似ているが、どこか違う。どこが、と問われても上手く答えられないことがもどかしかった。
 男達の目を一身に浴びて、それでも怯まず、むしろ直向きに前を見据えて強い光を宿す紺藍色の瞳。顔も身体も傷だらけで、髪だって手入れもできていないから傷んでいるし、甲冑も赤くないところを探す方が困難だ。けれど何故だろう、桓騎軍の本陣で見た美しく着飾った遊女なんかよりも、戦場で土埃にまみれながら汗と泥で汚れる瑛藍の方がよっぽど綺麗に見えた。


「趙軍総大将 慶舎の首、飛信隊 信が討ち取ったぞォ!」
「「「ウオオオオオッ!!」」」

 信の勝鬨が、男達の雄叫びがこの場で確かに響く。

「よし……っ! お前ら離脱するぞ! 下の樹海に急げ!」

 喜びを露わにした瑛藍だったが、棒立ちで喜んでいる暇はない。額から流れる汗を雑に拭いながら、自分の隊だけでなく周囲の味方にも指示を出して真っ直ぐ樹海へ突き進む。主君を失った慶舎軍の追撃が凄まじかったが、樹海特有の視界の悪さは逃げる飛信隊や瑛藍隊に大きく味方した。

 正に電光石火の一撃であった。奇襲が起きた場所も丘の裏側だった為、慶舎討ち死にの事実は桓騎を始めまだ誰も気付いていなかった。