追悼の灯をともしましょう


 王騎死亡の一報は、散って戦う両軍全てに一斉に伝わった。それだけでなく、中華全土にも瞬く間に広まった。斉も、燕も、韓も、魏も、楚も――そして秦も。それぞれが王騎の死を受け止めた。

 半月後、そのまま前線警備に滞まっていた王騎軍がようやく帰還した。つまりそれは――今度こたびの趙戦が終結したということを意味した。


 王騎の城に戻った瑛藍は、まず湯を張った。溜まっていく湯をぼうっと眺めながら、未だに何が現実なのかあまり理解できずにいた。適当なところで湯を止めると、誰に何も言わずに外へ出る。
 行き先は城下を一望できる高台だった。軽やかに上まで登ると、夕焼け色に染まる町を見つめる。遠目からでもよくわかる。皆がどこか元気がないことを。

「………、帰ってきたよ、殿」

 王騎の遺体は自分達よりも先にこの城に運ばれ、もう葬儀も終わったらしい。いつも彼を出迎えるのが自分の役目だったのに。少し寂しい気持ちを抱えつつも、瑛藍は「……ただいま」と帰還の科白を口にした。
 だんだんと陽が傾き、夜の帳が下りる。あちらこちらで明かりが灯されるのを一つ一つ目で追いながら、瑛藍は高台の縁で両腕を組み、そこに顔を乗せた。

 前線では王騎が死んでここぞとばかりに仕掛けてくる輩もいたが、そのほとんどを瑛藍と、まだ怒り狂う録鳴未が斬り捨てた。
 まだ手に人を屠った感触が残っている。けれど後悔はしていなかった。強いと、化け物のようだと言われるたびに王騎を思い出したから。

「……、…………」

 もう、何も考えたくなかった。

「瑛藍」

 ぼんやりと景色を眺めていると、自分を呼ぶ声が後ろから聞こえた。声の主なんて勿論すぐに分かったし、そもそもここへ自分を探しに来るのなんて二人しかいない。――そのうちの一人は、もう居なくなってしまったが。

「やはりここにいたのか」
「……何しにきたの、騰」

 やって来たのは騰だった。瑛藍は彼に背を向けたまま、静かに尋ねる。

「もう皆湯に入った。あとはお前だけだぞ」
「そう………」

 生返事をする少女に、騰は一度深く息を吐いてグイッと無理やり彼女の顔を自分に向けた。その顔に涙の跡はなかったが、ただ瑛藍の綺麗な紺藍色の瞳にはいつもの光はなかった。

「これからどうするんだ?」
「これから……そう、そうだね。…これからどうしよう…」

 昔、とある将軍から『こいつにあらゆることを教えてやってほしい』と王騎に突然頼まれ、半ば無理やりこの城に置いていかれた少女がいた。それが瑛藍だった。
 だが王騎亡き今、自分はどうすればいいのだろうか。騰に言われ、彼女はやっと頭を動かし始める。けれどまともな答えは浮かばず、霧がかかったように上手く働かない。

「殿は言ったな。お前は自由だと」
「……言われたね」
「ならば瑛藍、お前は何をしたい? 何になりたい?」
「何って………」

 問われ、霧がかった頭の中にすぐ思い浮かんだのはたった一つ。

「殿みたいな人になりたい。殿みたいに大きくて、殿がいるだけで力が湧いてくるような。……あんな人になりたい」

 彼女が初めて“彼”抜きで告げた、本心からの望みだった。
 騰は気づかれないように一瞬だけ笑うと、「それなら、いつまでも抜け殻のようでいてどうする」と頭を小突く。「イタッ」小突かれたところを両手で押さえて自分を睨む少女の眼に、光が見えた。

「明後日から演習に行くぞ」
「わたしも?」
「殿のようになりたいんだろう? 言っておくが、私は殿のように優しくないからな」
「知ってますー! ていうか殿だって、修行の時は鬼のようだったけど」
「………明日はゆっくり休め」
「ちょっと! 騰!」

 二人の掛け合いを高台の下で聞いていた兵士達は、涙を流しながらグッと拳を握った。――一番辛いはずの二人が、あれほどまでに強い心で前を見ているのに、自分達がいつまでも腑抜けていてどうすると。
 ようやく降りてきた騰と瑛藍に一斉で駆け寄り、「今日はとびっきり美味い酒を用意しました!」「一緒に飲みましょう!」と宴に誘う。びっくりした二人は互いに顔を見合わせ、もちろんと頷いた。

 その夜王騎の城では、彼を弔う声が一晩中響いていた。



 ――それから瑛藍は、今まで以上に血の滲む修行を積み重ねた。騰は宣言通り手加減など一切せず、彼女は時に瀕死になりながらも必死に彼に食らいついていた。

「鱗坊」
「何だ?」
「さっきわたしが刀をこう……、鱗坊の武器をいなして背後から薙ぎ倒すようにしたじゃない? でも結局防がれたんだけど……どうして分かったの?」
「お前、手数に詰まったらその攻撃をしているからな。何度か打ち合ったくらいじゃ分からんが、こう何度も試合っていればさすがに分かる」

 まさかの指摘に瑛藍は顎に指を添えて「うーん」と唸る。なるほど、数をこなせばいいって問題でもないのか。

「じゃあさ、鱗坊なら――例えば正面から強敵が来てて、一手目をいなすとするじゃない? そのあとすぐに反撃するなら、どんな攻撃をするの?」
「力技で相手の武器を弾き、その勢いを殺さずに相手の首を跳ねる」
「結局力技かよ! それなんのアドバイスにもなってねーからな!」
「口がまた悪くなっておるぞ……」
「……………。まあまあ、口の悪さは置いといて。じゃあ力で勝てない時はどうしたらいい?」
「そりゃあお前――速さだろう」

 それは王騎や騰から散々言われたものだった。

「瑛藍は普通の兵士より力もあるからな。今以上の速さも備われば、たとえさっき言った手数に詰まる云々も問題ではなくなるかもしれん」
「やっぱり速さかぁ……。分かった、ありがとう」

 鱗坊に礼を言うと、瑛藍は次なる修行相手を探したが、演習終了を告げる騰の声に諦めた。城に帰って湯に入り、ご飯を食べて高台に行くと、冷たい夜風が自分を包む。

「速さ、速さか……。でも力で負けるのも悔しいからなぁ。……明日は録鳴未に相手してもらおう」

 自分を睨んでくるくらいには嫌っていた録鳴未だが、ここ数ヶ月でその関係も良好になっていた。その理由は定かではないしどうでも良いのだが、修行相手を務めてくれるのは願ったり叶ったりだ。

「……あの男の首は、必ずわたしが獲る」

 茶色の髪を荒風に遊ばせる男――李牧。あの男を討つことを、わたしは彼に、殿に誓ったのだ。

「お前が次代の乱世を引っ張っていくのなら、わたしがとことん邪魔してやる」

 ただ、それと同時に瑛藍の頭の中にはもう一人の男がいた。

「あの人も…そろそろ表に出てきそうだ…」

 今の自分を見たら、あの人はなんて言うだろう。
 前はあんなに会いたくてたまらなかったのに、今はなぜか――会うのがたまらなく怖かった。