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胸元で揃えられていた深縹色の髪は腰下まで伸び、風に揺られてふわりと靡く。

「大きいな……」

少女は目の前にそびえ立つ大きな門を見上げながら、思わず呟いた。


真昼に見たあなたの幻影



あれから二年が経ち、葵も学年で言えば中学三年生になった。今日は相澤に言われて雄英高校にやって来たのである。

「おはよう」
「おはようございます、相澤さん」

門前で葵を出迎えた相澤に朝の挨拶を済ませると、彼に続いて中へ入る。規格外に大きい校舎に目を奪われながら進んでいくと、ある部屋の前で足を止めた。プレートには“校長室”と書いてある。
相澤がノックをすると入室を許可する声がくぐもって聴こえた。「失礼します」低い相澤の声につられて「し、失礼します」と慌てて一言断ってから入室した。

「やぁ! よく来たね!」
「っ、ね、ねずみが、し…しゃべっ……」

自分を出迎えた人物――否、動物を見て動揺を隠しきれない葵。それをねずみ、もとい雄英高校の校長はにっこりと笑って許した。

「フフッ、まずは座ろうよ」
「は、はい……失礼します…」
「(楽しんでんなこの人……)」

とても楽しそうなねずみを見て、相澤は一瞬遠い目をした。

「さて、僕がこの雄英高校の校長さ!」
「あ、ええっと、星月葵です。よろしくお願いします……(ねずみが校長先生っていろいろ凄い…)」

ねずみが話しているというとんでもない現象を何とか受け止めつつ、自己紹介をしながら目を合わせる。つぶらな瞳なのに、どうしてだろう、目が逸らせない。

「君のことは相澤先生からいろいろと聞いているよ」
「いろいろ?」
「そう。英語や歴史は得意だけど、数学が苦手なこととか」
「う………」
「体力が無くてずっとトレーニングをしていたこととか」
「(何話してるんだよ相澤さん……!)」
「あとは――君がヒーローではなく、“英雄”になりたいこととか」
「!」

最後の一言に下がりかかっていた顔を上げると、やはり表情の変わらない校長、もとい根津の姿があった。

「正直言うと、僕にその違いははっきりとは分からない」
「………………」
「だから、君が体現してよ!」
「え……」
「君が、星月くんが英雄になって、僕に、世界に教えてよ。“英雄”とは何かを!」

根津の言葉は、葵の心を強く叩いた。

「わたしが………」
「そう。それとも出来ないかい?」
「――……いいえ」

挑発的に問う根津に、少女は笑いながら首を横に振った。
あの戦いを通して、葵は沢山の英雄を見てきた。それはいつも傍にいて守ってくれた彼だけじゃない。魔槍を巧みに操る男や、目を隠しながら鎖のついた短剣で軽やかに敵を捕らえる女、弓兵のくせに二本一対の陰陽の夫婦剣で戦う男など、普通に生きているだけでは出会えない英雄達が、己の覇を競い合ってある物を奪い合う殺し合いを繰り広げていた。

血で血を争う、果てなき戦いだった。それでもかつての英雄達がそれぞれの得物を持って戦う姿は、見ていて心が痺れた。そして、分不相応にも思ってしまったのだ。

「やります。“英雄”とは何なのかを、わたしが貴方に、世界に、知らしめてみせます」

――わたしも英雄になりたい、と。





「今日はありがとうございました」
「いや、こっちも急に悪かった」

雄英高校の大きな門の前で対面する相澤と葵。

「説明した通り、“特別推薦者”として雄英に入学することになったが、勉強は怠らずにやっておけよ」
「はい。…その“特別推薦”というのは、やっぱり隠しておいた方が良いですか?」
「まあ、ひけらかすものでもないな。言っただろ、これは“特例措置”だ」
「…本当に、感謝しかありません」

前世を含め、学校というものに通ったことが無かった葵にとって、今回は本当に夢のような出来事の連続だった。だからこそここまでしてくれた相澤には、自分の本当の力・・・・を伝えた方が良いのかもしれない。

「それじゃあ、また様子を見に行く。今日は真っ直ぐ帰れよ」
「っあ、はい! …ありがとうございました」

いつの間にか俯けていた顔を上げると、既に相澤は門の向こう側に居て、此方に向かって後ろ手に振っていた。その背に頭を下げ、踵を返して帰路に着く。

「…言えない、よね」

一から話すには、途方もない話だ。それに魔術師にとって、魔術とは秘匿されるべきもの。間違っても安易に伝えていい代物ではない。

「いつか……いつか、言える日が来るかな」

それこそ夢のような話だ。この世界にはきっと魔術師は存在していないだろう。――恐らく自分だけが、魔術を使う最後の人。
そっと目元に手を触れ、視線を落とす。アスファルトに伸びる自分の影を見つめながら、葵はぐっと拳を握って強く目を閉じた。

「葵」
「――!」

ハッと目を見開いて、勢いよく顔を上げる。けれどそこには誰もいなくて、ただ憎々しいくらいの青空が広がっていた。

「ぁ……………」

ガクンと足の力が抜けて、その場にへたり込む。どれだけ目を擦ったって、彼女が思い描く人物は現れない。次第に目を擦る手は濡れ、キラキラと宝石のように滴が飛び散る。乾いたアスファルトは雨に濡れたように、ぽつぽつと黒い斑点模様が描かれていく。

「〜〜…っ、ふ、……ッ…ぅ、うぅ…!」

もう思い出したくないのに。これ以上彼を求めたって、自分が辛いだけなのに。
――それでも、心はこんなにも彼を求めている。

「っ、……っ……うあ、ぁぁあっ……! っく、ぅ…ッ……」

名前を呼びたい。

「ぅう……〜〜っ、ふ、っ…」

名前を呼びたい。

「あ、ッ…あぁぁぁっ……!」

名前を、呼びたい――。

けれどやっぱり、貴方はいない。