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以前はがっちりと閉められていた大きな門が、今日は堂々と開いている。自分と同じ制服を着た生徒達が次々と門をくぐり、校舎に向かって歩いていく光景を前に葵の胸は昂っていた。

靴を履き替えて校舎の中へ。以前は相澤の後ろを着いていくだけだったから迷う心配など無かったが、今は一人。迷わないようにヒーロー科を目指し、何とか指定されていたA組の教室までたどり着いた。
またまた大きな教室のドアのせいで、開けることを躊躇われる。けれど開けなければどうにもならないと、取手に手をかけてそっと横にスライドさせた。

中には既に生徒が集まっていて、誰かと談笑している子もいれば、席に座っている子もいる。葵は誰かに話しかける勇気もないので、素早く席順を確認して椅子に座った。
隣の席は耳から紐のようなものが垂れている黒髪の女の子。向こうも葵に気がついたらしく、目を合わせながら気さくにひらひらと手を振った。

「おはよう」
「お、おはよう…!」
「ウチは耳郎響香。お隣さん同士よろしく」

少し照れた様子を見せた女の子、もとい耳郎に、葵はどこか力が抜けたように笑った。

「わたしは星月葵。よろしくね、耳郎さん!」
「耳郎さんって…これから一緒に過ごすんだし、もっと砕けた呼び方でいいよ」
「じゃあ…響香ちゃん?」
「きっ………ウチ、名前で呼ばれるの恥ずかしいんだよ…呼ばれ慣れてなくて…」
「そうなの? えっとじゃあ、ジロちゃんとかは?」
「それなら、まあ……」

まだ恥ずかしそうに顔を赤くする耳郎に「それじゃ、ジロちゃんで決まり!」と嬉しそうにする葵。

「わたしのことも好きに呼んでくれていいよ」
「じゃあ、普通に葵って呼んでもいい?」
「うん!」

胸が高鳴る。初めての友達に葵は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
その後は時間が許す限り耳郎と話し続けていたが、急に教室の入り口付近が静かになり、それがクラス全体に広がっていく。葵と耳郎も同じように口を閉ざすと、一人の男の声がよく聞こえてきた。

「ハイ、静かになるまで8秒かかりました」

「時間は有限、君達は合理性に欠くね」嫌味を言いながら入ってきたのは、葵にとってよく見慣れた人物だった。――相澤だ。彼が雄英で教師として働いていることは勿論知っていたが、まさか自分の担任になるだなんて思いもしなかった。
急にやって来たくせに「体操服着てグラウンドに出ろ」だなんて宣った相澤にもの言いたげな視線を送ったが、見事にスルーして彼は出て行ってしまった。また機会があればその時に言いたい放題言ってやろうと決意すると、葵は耳郎と共に更衣室で体操服に着替え、グラウンドへ向かった。

「さすがにもう入学式じゃないね」
「うん……楽しみにしてたんだけどなぁ」

入学式を経験したことのない葵は、昨日の夜からワクワクしていたのに。けれどこういうことも学校ではよくあることなのかと思い直しながら、靴を履き替えてグラウンドに出る。既に到着していた相澤の下へ集まると、彼は早速これから始める内容を説明し始めた。

「「「個性把握…テストォ!?」」」

告げられたそれはとてもじゃないが予測していなかったもので、A組の生徒達は口々に「入学式は!? ガイダンスは!?」と訊ねるが「ヒーローになるならそんな悠長な行事、出る時間ないよ」とにべもなく突き返された。
確かに合理的な考えが好きな相澤らしい、と葵は生徒の影に埋れながら苦笑する。先生としての彼に会うのは初めてだが、まさかこんなにも“自由”を押し売りしてくるとは。

「(でも、“個性”の把握かあ。一応“水”の個性ってことになってるから、強化魔術は使えないな)」

こういった運動関連のことなら強化魔術はうってつけだったのに。少し残念に思いながら、順番に教えてくれた種目を思い出して、どうやって“個性”、もとい魔術を使っていこうかと悩む。
けれどこの魔術との付き合いはそれこそ前世から。活用方法も、それを実現させる技術もある。葵は何とかなるだろうと両手をプラプラさせて体をほぐした。

そんな安易な気持ちで居たからいけなかったのか、“個性”を使ってのテストに各々が「面白そう!」と口にする。それが勘に触った相澤は、下ろされた前髪の奥から覗く瞳で生徒達を睨みながら、「よし、トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」と耳を疑う科白をサラッと告げた。

「除籍処分ってことは……退学?」
「そうなるね…。これ本気でやらなきゃヤバいやつじゃん…」

重い溜め息を吐きながら項垂れる耳郎や、除籍処分の単語に完全に尻込みしてしまった他のクラスメイト達。だが葵だけは顔色一つ変えなかった。

「(相澤さんも本気ってことか…。それに、校長先生とも約束しちゃったからね。――英雄という存在を知らしめるって)」

今一度気合を入れ直して、葵は太陽の光できらりと輝く深縹色の髪を高く結い上げた。


晴れ渡る空の下



「終わったぁ……」
「お疲れさん、葵」
「ジロちゃんも、おつかれ」

髪を纏めていたゴムをしゅるりと取りながら、耳郎と労う。ハンドボール投げでは水柱の勢いに乗せて遠くに飛ばしたり、握力では手に水を纏って水圧を利用したり――と、純粋な“水”の力のみでテストに挑んだ結果、5位という成績だった。

「でもまさか、除籍処分が嘘だったなんてね」
「合理的虚偽、だっけ」
「そうそれ! そんな雰囲気には見えなかったのにな」
「うーん…嘘にした、とか?」
「は?」

目を見開く耳郎に「あくまでも個人的見解だから、あまり気にしないで」と明るく笑ってこの話題を終わらせた。

着替え終わって教室に戻り、机の上にカリキュラム等の書類が置かれてあることを確認しながら、中身をペラペラとめくっていく。紙に書かれた文字を目で追いながら、頭の中では別のことを考えていた。

「(あのポニーテールの女の子は、最初から嘘だと分かってたって言ってたけど…。違う、今日の相澤さんは全部本気だった。本気で最下位の人を除籍処分にするつもりで、最初にわたし達に告げた)」

それならば、どうして彼は嘘にしたのだろうか。相澤が自分で口にしたことを早々曲げるような人ではないことは、ここ数年の付き合いで理解している。だからこそ“合理的虚偽”なんて言葉で除籍を撤回したことが、葵には信じられなかった。

「(ま、考えても仕方ないか。どうせ聞いても教えてくれないだろうし)」

それより問題は自分の“個性”だと、少女は深緋色の瞳を閉じながら個性把握テストでの自分を思い返した。
“個性”を“水”だと言っているのだから、今日のやり方で間違ってはいない。けれど“魔術師”としては赤点まみれである。

「ぃっ………!」

不意に目の奥がずくりと痛む。咄嗟に手鏡で見れば、緋いはずの目の色が眩い金に変化していた。
こんな時でもか、と悪態を吐きたくなるのを我慢して、ポケットから目薬を取り出す。両目に数滴垂らして目を閉じると、ゆっくりと痛みは引いていった。

「……目薬、忘れないようにしないと」

大事にポケットへ直して、今度こそしっかりとカリキュラムに目を通し始めた。