開幕ベルが鳴り響いた


海の中は暗くて、だが上から射し込む太陽の光のおかげで水中はキラキラと輝いていた。魚達は踊るように悠々と泳ぎ、時々シャボン越しに挨拶をしてくる。
いつも見ている海上の世界とは違う景色に、シアンは大いに目を輝かせた。魚人島に行ったのはもうずっと前のこと。そのときもレッドフォース号の中をあっちへ行ったりこっちへ来たりと散々満喫していた。
しかし、今はこの景色をゆっくり楽しめる状況ではない。この景色が終わる時、それすなわち戦いの時。
シアンは目の前で鱗を輝かせながら泳ぐ魚を見ながらも、頭の中はエースのことばかり考えていた。――エースだけではない、カイドウと小競り合ったと聞いたシャンクスのことも。
“百獣のカイドウ”。あの〈百獣海賊団〉の船長にして、四皇の中でも武闘派の男。話の通じる人物ではないため、和解などもってのほかだ。そんな男が今回の戦争に参入しようとしていたのだが、誰よりも先にそれを知ったシャンクスが、カイドウを止めたのだ。心配にならないわけがない。

「…もうすぐだねい」
「……うん。…絶対…絶対助けるんだから……!」
「当たり前だろい」
「…とは意気込んでも、肝心のエースには怒られそうだけどね」

兄としてのプライドを持つエースにしてみれば、これほど屈辱的なことはないだろう。シアンはそれを分かっていて、協力を申し出たのだ。たとえ怒られると分かっていても、ジッとしているなんてできなかった。
うな垂れるようにデッキの手すりに掴まるシアンの台詞に、マルコも笑って頷いた。〈白ひげ海賊団〉では末っ子なエースが、唯一兄として居られる場所だというのを、彼はよく理解しているらしい。ポンと軽くシアンの肩を叩くと、マルコは中へ戻って行った。どうやらシアンを一人にしてくれたようだ。

「いいか、ルフィ、シアン。おれ達は絶対にくいのない様に生きるんだ!!!」
「「うん!!」」
「いつか必ず海へ出て!! 思いのままに生きよう!! 誰よりも自由に!!!」


ふと思い出したのは、幼い自分達が等身大の想いを口にした“誓い”。かつては広い大海原を前に、膨らむばかりの想像を胸に抱いていた。
それがまさか、こんなことになってしまうだなんて――。あの頃は思ってもみなかった。

「……お願い…。私から…私たちから、エースを奪わないでっ……!」

泣きそうに震えたシアンの声は、真っ暗な闇のような海底へと吸い込まれて入った。
――処刑まで、残り3時間を切った。このとき、まさかエースの出生が世間に知れ渡っていたなんてシアンは微塵も思わなかったのである。





「もうすぐ着くよい、準備は大丈夫か?」
「うん、ばっちり」

甲板へと集まる船員達は、慌ただしく武器やら何やらを調達している。そんな男達に埋もれそうになっていたシアンの元へ寄ってきたのはマルコだ。落ち着いているシアンの様子にマルコは尋ねると、彼女は二丁銃と桜桃を確認する。
その刀を見て、彼女はふと思う。

「(七武海もいるんだったら、当然ミホークもいるんじゃ……。うわぁ…じゃあ戦わなきゃいけないってこと…!? ちょっと待ってよ…! せっかくあの地獄の修行から抜け出せたと思ったのに……!!)」

今更になってあの最強の剣士の存在を思いだしたシアンは、途端に顔を真っ青にさせる。思い出したくないくらいの地獄の日々は、シアンにとっては葬り去りたいくらいの思い出だ。何度死にかけたか、数えるのも億劫になってしまうくらいなのだから。
そんな男と、今回の戦争で初めて『敵』として刃を交える。シアンは緊張からか、はたまた武者震いからか、身体がひとりでにぶるりと震えた。

「海面に出るぞ!」
「外にあがった瞬間から戦争だ! 気ィ抜くんじゃねェぞ!!」

気合の入った声が、船中に響き渡る。シアンはギュッと拳を握って、はやる気持ちを必死に抑えつけた。
――ザパァン!!!
大きな波を切る音が辺り一面に広がる。それと同時にざわめきの声が一層大きさを増して聞こえてきた。

「うわァアアアア!!!」
「“モビーディック号”が来たァ〜〜〜〜!!!!」
「次いで3隻の白ひげ海賊団の船!!!」
「湾内に侵入されました!!! 14人の隊長達もいます!!!」
「あれは……“剣聖”!! 剣聖のシアンもいます!!!」

名前を呼ばれたシアンはムッと顔を歪めさせた。“剣聖”という二つ名をあまり気に入っていないのだ。シアンは刀も使えば銃も使う。だが、その二つ名だとまるでシアンが刀しか使わないような意味合いに取れてしまうのだ。
それでも世間が“剣聖”と呼ぶのは、シアンの刀の腕がまさしく『剣豪』と呼ぶに相応しいことを知っているから。彼女の刀は、あのミホークも認めた『黒刀』である。

「“白ひげ”…“剣聖”………!!!」

センゴクの戦慄く声は、二人の耳にもするりと入り込む。そんなセンゴクに対して、シアンは挑発でもするかのような笑みを浮かべて見せた。

「グララララ…何十年ぶりだ? センゴク」

カツン…カツン…と静かにモビーの船頭へと歩いていく白ひげ。その数歩後ろにシアンも控える。

「おれの愛する息子は無事なんだろうな………!!!!」

ドン! と構えてエースを心配するその言葉や姿勢は、まさしく“親”だった。

「………!!」
「グラララララ……!!! ちょっと待ってな……エース!!!」
「オヤジィ!!!! ッ…シアン!!!!」

――戦いの火蓋が今、切って落とされた。





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